第五話 舞台上に、私と、ツバキと、

「来たよぉ。」


そう言って332号室に入る。エアコンが効いている病室には私とツバキのみ。


「あ、ミズキ。」


ツバキはあれ以来言葉を長く話すことが出来なくなった。例の病で肺胞がほぼやられ、次の一言までには時間を要するようになった。


私はベッド横のパイプ椅子に座り、肩にかけてきた重いボストンバッグを膝に置いた。


「これ持ってくんの疲れたんだからねぇ~。」


荷物のチャックを開け、中から正方形のボックスを取り出した。


「これ、例のもの。」


例とはつい三日前の大会の結果である。金賞であればトロフィー、銀か銅であれば盾を賜る。このボックスの中に、私ども部員の結晶が詰まっているわけだ。その結晶を、顧問と部員の許諾を得て持ち出してきた。

ツバキは先の救急沙汰によって「要安静」とされ、27号室からテレビの無い332号室へ移された。そのため結果はまだ知らない。

ツバキは近親者から結果を聞くことは出来たが、「結果はミズキから直接聞く。」という本人の意思により誰も伝えてはいない。


「絶対金賞だよ。」


笑い混じりにツバキが言った。


「え、なんでわかったの。」


ツバキに質問を投げかけたが、私はツバキの息が続かないことを忘れていた。しばらく黙ってツバキの返答を待った。


「…私を誰だと思ってるの。」


ふふっと笑い、私はボックスの中身に目をやった。

つい三日前に私が舞台上で全日本ダンス協会うんたら会長から賜ったトロフィー。それを入れて丁重に梱包材を敷き詰めて持ってきた。トロフィーの輝きを見ると、授かった時の緊張や感動を思い出した。



「あ、そうだ。」


私はいいことを思いついた。トロフィーを箱から取りだし、パイプ椅子を立つ。

私が舞台上でエラい人から貰った場面を、エラい人が私、私がツバキという役で再現しつつ、ツバキにトロフィーを渡そうと考えた。


息を整えているツバキは温かい笑みを浮かべながら私を眺めていた。


右手をトロフィーの首根っこに、左手を土台の下に添え、ツバキに向けて差し出す。


「国営放送主催全国ダンス大会、金賞ゥ。」


土台に金で彫ってある文字列を読み上げた。次にエラい人の言ったことをまんま真似してみる。


「君、この度は金賞、おめでとう。」


私がそう言うと、トロフィーがツバキの腕に渡った。ツバキはしばらく金の輝きを眺めていた。

本当はツバキも出るはずだった大会。

私は渡したトロフィーに、ツバキに私たちの喜び、歓声、スポットライトの情景を感じて欲しかった。


すると、ツバキは目を閉じて上を向いた。


「何してるの?」


「ん?ミズキたちの出番の時を、歓声を、スポットライトを、想像してるの。」




…私はしばらく黙ってツバキの様子を見ていた。ツバキはベッドから出ている上半身を少々揺らしていた。恐らくツバキは今舞台上で踊っている。私も目をつぶり、ツバキの世界に入ってそれに参加した。


─────


舞台上のダンスを終え、私は目を開ける。ツバキは目を閉じたまま私にこう言った。


「…私、ミズキ達信じてた。」


「その気持ち、大会で私たちに伝わってたよ。だってなんか、ツバキパワーがこっちまで届いて来たもん。」


例の如くしばらく息を整えて、ツバキが言う。


「すごい、なんでわかったの?私ずっと会場に向かって念力送ってたんだ。」


「私を誰だと思っているんだい?」



ふふっと笑ったツバキは目を閉じたまま顔を下に向けた。

このツバキへの表彰式を終えツバキが抱えていたトロフィーを回収すると、土台に水滴がついていた。



そろそろ夕方6時となるところ。空は赤い。ツバキからトロフィーを回収してボックスに戻し、それをボストンバッグに入れ、それを来た時とは違う方の肩に提た。


「じゃあね、また来るよ。」


私はツバキそう言って帰った。


「うん、また。」



───


夜中、担当医である私は河野椿の容態を見に332号室へ問診に行く。

中に入ると、彼女は下を向いて手紙を書いていた。


「それは誰宛だい?いつも会えない家族かい?」


「これは私の友達宛です。」


あのいつも来ているミズキという奴か。


「今日の調子はどうだい?」


椿はあの手術以来この質問に黙るようになっていた。


「良いのか悪いのか教えて欲しい。」


彼女は呼吸を整えながら少し考えて返してきた。


「良くはない。」


仕方ないので、カルテの[悪い]に丸をつけた。


彼女は手紙を書く手を止めない。試しに覗いてみる。彼女は隠すことなく、一節を見せてくれた。


[私の分までVIS☆IONのライブで楽しんで欲しい。部活、卒業公演まで私の分まで頑張って欲しい。テストも私の分まで]…



「私の分まで」という一句を見た途端私は息を飲んだ。彼女は自身の短命と迫る危篤を理解している。

現に彼女の症状の進行は中程を過ぎようとしている。重篤化の一歩手前とも言える。

装着必須のチューブについては、装着の必要がない程の病気の進行のため外すことにした。その作業を明日行う。



手紙には円形に湿った斑点が数箇所見受けられた。

すると彼女は書きながら震えだし、突如私に弱音を吐いた。



「先生……私…死にたくない…」


彼女は水気を帯びた震える声で私にそう言った。そんな闇より深いことを考えていたのか。残酷ながら関心を覚える…。



「その理由、聞いてもいいかい?」


彼女が簡単にはこの世を離れたくない理由というのははなから察することはできていた。だが、私はそれを彼女の口から直接聞きたかった。


彼女は返答した。

 

────

 

思った回答であった。




「…死ぬのは誰だって怖い。死にたくないと思うのは当然だ。」


…。


「ただ、運命とは残酷なようで、貴女の場合はすぐにその時を迎えてしまう。


…ただ、それで完全にこの世から消え去るのかと言われれば、そうでは無いと私は思う。」


泣き震え続ける彼女はペンを手放し、私の方を向いた。彼女の前のテーブルに落ちたペンはカランカランと三回ほど弾み静止した。



「人が本当に死ぬのは忘れ去られた時だ。たとえ自分が亡き者になったとしても、誰かの記憶に残ることで、その人の中で生き続けることが出来る。


つまり貴女が友人に何かをのこして、いつでも貴女のことを思い出して貰えるようにしたら、貴女はその人の記憶に生き続けることが出来るんじゃないかな。」


言うことを言い終わった。


「ありがとうございます。」


そう言って彼女は目元を拭い、ペンを持ってまた執筆を始めた。まるで何ら病んでいないかのような、彼女の入院頃が思い出される笑みをする彼女は、執筆に一入ひとしお懸命になっていた。

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