泥の花
ださい里衣
第1話
私は施設で育った。
施設にはたくさんの戦争孤児が集められ、家族を失った子供同士が寄り添いながら生活していた。
そんなある日、施設で一番年上のブラウンが徴兵を命じられた。
ブラウンは大きな体を軍服に包み、泣きじゃくる施設の子供達に優しく微笑みながら「必ず帰って来るから。」と言って施設から出ていってしまった。
いつも着ていた泥だらけでボロボロの服ではなく、おそらくブラウンの為に
作られたであろう綺麗な軍服を着た大きな背中は、私の目にもとても誇らしく、立派に見えた。
周りの大人達は口々に「ブラウンの様に立派にお国の為に生きるんだ。」と私達に言い聞かせた。
しかし、数週間して施設に届いたのはブラウンの戦死を知らせる小さな紙切れだった。
(死んだ…?)
死ぬってなんだ?
悲しみに大声を上げて泣きわめく子供の中で、私は事実が理解できず立ち尽くしていた。どんどんと視界が狭まり、色が失われていく。
私はふらふらと施設内を歩き回りながら、ブラウンの使っていた部屋へとたどり着く。しかし、その部屋のどこにもブラウンを思い出せるものなど残っていなかった。記憶の中で微笑むブラウンの顔がだんだんとぼやけていき、ハッキリと思い出せない。
「うわぁああ…。」
泥で汚れた床に蹲り私は嗚咽を漏らした。
ブラウンの死以来、施設内の子供は一気に施設の外へと出ていき、気が付けば私を含めた数人が残された。
私に向かって「次は失敗するんじゃないよ。」と言う施設の大人の言葉を空っぽの頭で聞き、その日は私と残されたメンバーの中では最年少で5歳の女の子、エミリーとある場所に連れていかれた。
「降りろ。」
武装した軍人に促され、私とエミリーは乗せられた軍のトラックから降りると、そこには破損した巨大な列車がまるでこちら側とあちら側を断絶するように横たわっていた。
「何度も言うが、この列車がここにあり続ける限り、我々はこちら側から動けない。我が国が二つに分断されてしまったと考えていいだろう。いいか、お前らの仕事はこの列車の破壊、もしくはこの中に立てこもり我が軍の進行妨げている‟敵”の抹殺だ。いいな?上ももうお前らの失敗を容認できるような余裕はない、死んでも任務を遂行せよ。」
軍人の言葉にエミリーは冷静に「分かりました。」と言うが早いか、すぐに私を見上げ、手を取ると「行こう、お姉ちゃん。私が付いてるからね。」と無表情で言った。
列車の中に入ると、想像していた以上に圧迫感があり、破損してる為足元にはあらゆる物の残骸が散らばっていた。
泥まみれの列車内は何故だか施設と同じような匂いが漂っている。
「ここ、うちと同じような匂いがするね。」
「…………。」
何気ない私の言葉に、エミリーは表情一つ変えずに頷く。
エミリーの歩調に合わせてしばらく黙々と歩き進めていると、ある車両の扉の前でエミリーは足を止めた。
「ここだ…。」
小さく呟いたエミリーの手が急に震えだす。
エミリーは一旦、私と繋いでいた手を離し、耳に手を当てると「目標に到着しました。ここまでで遭遇はゼロです。」と誰かに連絡を入れている。
音割れしている音声を微かに私も聞きながら、会話が終わるのを待っていると、唐突に目の前の扉を突き破って植物のツルのようなものが飛び出してきた。
「あっ……‼」
声を出す間もなく、私はそのツルに腹を貫かれる。
燃えるような熱さと、細胞が引き千切られる感覚が驚く程鮮明に脳に焼き付けられるようだった。
「おねえちゃんっ!おねがいっ‼戦って‼おねがいっ‼」
(……私が…?)
エミリーの悲痛な叫び声に、私の体が微かにピクリと反応する。
(……なんで?)
こんなに痛いのに?
こんなに辛いのに?
なんで私?
「おねえちゃん、おねがいっ‼もう終わらせて‼おねがいっ‼」
口から泥を吐きながら私は空っぽの頭で、ただエミリーの声を聞いていた。
扉から次々と伸びてくるツルは無抵抗の私の体を貫き、狭い列車内にバシバシと叩き付ける。
(…痛いんだよ。)
無理、なんで私なの?
見て分かんない?私こんなに怪我してんの、お腹になんか刺さってんだよ?
そう自分で思った時、大きな違和感が私の脳を揺らした。
「あ、れ?」
(……なんで、平気なんだろ…。)
体を走る痛みは確かに感じているのに、私にはまだ意識がある。これだけ体中貫かれていれば気を失うかショック死してもおかしくないのに。
(……なんで、だ?)
混乱しながらも、だんだんと頭がさえてきて周りの景色が見える様になってくる。
泥だらけの車内にはこちらを見つめながら懸命に叫び続けるエミリー、その足元には泥だらけで胴体に大きな穴をあけられて倒れている見知らぬ人の姿があった。よく見るとそれはエミリーの足元だけではなく、至る所にまるで人形の様に転がっている。
『お前、こんだけこいつらが積み重なってもそんななのか?』
唐突に脳内で声がしたかと思うと、瞼の裏にある男の姿が浮かんだ。
『はぁ…、こいつらも報われないな。お前を散々励まして、寄り添った挙句こんな様じゃなぁ。』
泥まみれの何かの山に腰を下ろし、言葉とは裏腹に楽しそうに微笑む軍服の男。私の目には月白色に輝く長い髪だけが唯一色付いて見えた。
思い出したくない――
無意識の自分が今思い出されようとしている記憶の再生を止める。
何も思い出したくない、何もみたくない、
もう、傷付きたくない、
助けて、誰か助けて――
あらゆる感情でぐちゃぐちゃになった頭を抱え、ひたすらに体に与えられ続けるダメージを感じていると、遠くでエミリーの悲鳴が聞こえた。
閉じ掛けていた目を見開き、激しく振り回される視界の中で懸命にエミリーの姿を探す。
「エミリー‼」
「おねえちゃん‼おねがいっ、助けてぇ‼」
こちらに向かって叫ぶエミリーは体中からドロドロと泥を流し出しながらまるで植物の木が人の形を真似たような姿をした化け物に体を締め上げられていた。
「エミリー‼」
私は叫びながら自分の体を貫くツルを引き離そうと必死で体を捩らせるが、拒めば拒むほどにツルは体に強く深く突き刺さる。
「お、ねえ、ちゃ…。」
「待って、待って!やめて、おねがいっ!」
エミリーの首にグルグルと巻かれた太いツルはぎちぎちと幼いエミリーの首を締め上げていく。
「ああ…!やだやだやだやだ‼やめろやめろ!やめろってぇ‼」
今にもこと切れそうなエミリーを目の当たりにし、私の腹の底からドクドクと燃えるように熱い液体が這い上がって来るのが分かった。
その液体は体の上へ上へと上がってくるごとに熱を上げ、脊椎を通って背骨の位置まで来ると、体の内側からぽっかりと穴をあけ、ズズズズと体の外に這い出てきた。
ソレはとても大きく、まるで影の様に真っ黒なソレは、幼児が書いた花の絵のような形で、私の叫びに共鳴する様にぐちゃぁっと大きく口を開けると、ギザギザで唾液を大量に滴らせた口の奥からエミリーを捕らえている化け物へと炎を放った。
「ギいいぃいいいいいいぃいいいい‼」
化け物は後ろからの攻撃を受け、その熱さに捕らえていたエミリーを放り出して悶える。黒い花は苦しむ化け物を見るなり大きく開けた口で声も無くケタケタと笑っているようだった。
間違いなく私の体から出ているソレは、ツルに貫かれている私の様子をグルんと首を回して確認すると小さい火を吐いてツルを燃やし、私を解放してしてくれた。
体が自由になった私はドロドロと体から泥を流し、痛みに喘ぎながら放り出されたエミリーのもとへと駆け寄ろうとしたその時だった。
‟たすけて”
声が聞こえた、聞き覚えのある声が。
恐る恐る声の方を振り返ると、そこには体を炎で焦がしながら悶える化け物がいた。化け物は炎の熱さに狂いながら、尚も私へと炎に包まれたツルを伸ばしてくる。
‟お願いだ、帰りたいんだ”
その声と共に伸ばされるツルが、私には一瞬人の手の様に見えた。
見覚えのある、大きくて傷だらけの手に。
「ブラウン…にいさ…?」
ボゥンという炎が私の上を通過する音で私の声はかき消された。
その衝撃に私が反射的に後ろを振り返ると、そこでは黒い花がニタニタと大きく口を開けていた。
「や、やめて‼」
大きな黒い花に飛び掛かり、その大きな口を手で塞ごうとしたが、花はそんな私をあざ笑うようにひらりと避け、ケタケタと声も無く笑いながらその口から大きな炎を化け物に向かって吐き続ける。
「やめろ‼やめろって言ってんだろ‼」
私の叫び声は花が炎を吐き出す音と、化け物の悶え苦しむ「ギいぃいいいいいいいいいいいい‼」という声でどこにも響かない。
「おねえちゃん…、いいの、これで…、アレを倒せば終わるんだよ…。」
息も絶え絶えにエミリーは炎に包まれている化け物を指差した。
「どうして⁉アレが敵な訳ない!あれはブラウン兄さんだよ⁉」
倒れ込んでいるエミリーの耳元で私は必死に訴えるが、エミリーはふぅーっと息を吐いて眉をゆがませた。
「何言ってるの…?いい加減にして!ブラウン兄さんは死んだんだ!アレは敵国の生物兵器、紛れもなく化け物だよ⁉殺さなきゃ私達が死んじゃうんだよ⁉」
「で、でも……。」
エミリーの言葉にたじろぎつつも、尚も迷いを見せる私にエミリーが続ける。
「じゃあ、おねえちゃんにはアレが人間に見えるの?アレが本当に…おにいちゃんに見えるの…?私達を殺そうとしていたアレが…?」
「えっと…。」
声を震わせるエミリーは縋るような目で私を見上げた。
「おにいちゃんが死んじゃって悲しいんだよね、その悲しい気持ちが大きすぎて、おねえちゃんは今、全部をおにいちゃんと重ねて見てしまってるんだよ…。でもお願い…気付いて、私達を今殺そうとしてるアレが、本当におにいちゃんに見えるの⁉何人も殺された、アレに‼何人も殺されたんだよ⁉おねえちゃん‼」
涙を流しながら悲痛に叫ぶエミリーに私は顔を覆った。
泥まみれの手は、孤児院と同じ匂いが染みついている。
自分の手は、いつからこんな泥まみれで、こんな匂いがするようになっただろう。今まで考えたこともなかった。
エミリーの言うことが本当ならきっと、兄さんが死んだ日からかもしれない。
泥まみれの地面に伏しながら泣きじゃくるエミリーを見て、私はやっと目が覚めた気がした。
「エミリー、ごめんね…おねえちゃんなのに私…もう大丈夫だから。」
私は改めて炎を纏いながら黒い花に反撃のツルを伸ばし続ける化け物を見ながらエミリーに声を掛け、立ち上がった。
ドロドロと体から泥を流しながら苦しそうな声を上げながらも、化け物は尚もこちらへと反撃を繰り返してくる。そしてその度に黒い花が所かまわず炎を吐き出すので列車内も既に火が回っていた。
エミリーの体力も心配だ。
あらゆる植物を練り合わせて作られたような化け物は、炎を当てられる度に泥を体から出し、そこから再び新しいツルを出している。燃やしきるには火力が足りないのだろうが、エミリーの手前それほど強い炎を放ってしまえばエミリーが無事ではないだろう。
炎に悶えている化け物を見つめながら私が無い頭を使って考えていると、さっきまで馬鹿の一つ覚えの様に炎しか吐き出さなかった黒い花が何かを察したかの様にエミリーの周辺をメラメラと燃える炎に向かって真っ黒な何かを吐き出した。
その黒いものが炎の上に降り注ぎ、あっという間に鎮火したかと思うと、次の瞬間にはパッと小さくてカラフルな花が咲いた。
黒い花はその様子を見て頷くように体を上下に動かすと、大きな口で舌なめずりをしながら化け物に向き直り、ズズズズズと私の背中から更に影を引き出し大きくなると、パッカリと大きな口を開けて化け物へと向かっていった。
黒い花が何をしようとしているのか本能的に理解した私はその大きな口に頭から喰らわれようとしている化け物を見つめていたその一瞬、化け物の体がぐにゅりと不気味に動いたかと思うと、私の視界に調度入るか入らないかの部分に人の顔の様なものが浮かび上がった。
‟帰れなくてごめんな…”
「あっ……!」
ぐちゃり、という音と共にその顔は私の視界から消え、黒い花が化け物を噛み千切った瞬間、ブシュ―っと激しく泥が飛び散り、私の顔にもベッタリとついた。
ぐちゃぐちゃと口の中の感覚を楽しむように左右に揺れながら泥を滴らせる化け物を貪り続ける花の様子を呆然と見つめながら私は立ち尽くしていた。
頭の中にはまだあの声が残っている。
聞こえてはいけない人の悲痛な声が。
ガタガタと震える手を必死で抑え、エミリーの言葉を思い出す。
そう、ある訳が無い、アレがブラウンであるはずどころか人間な訳がない。殺さなければこちらが殺されていたのだから。これは仕方がない、私に選択しなどなかった。
心の中で私は必死に自分に言い聞かせ、まるで花畑の中で倒れているエミリーに駆け寄った。
「エミリー、終わったよ。」
私の声にエミリーはぐったりと頷くと、よろよろと立ち上がった。
「報告します、目標を撃破しました。帰還します。」
エミリーは私の体にしがみつくようにして歩きながら耳に手を当てて誰かに話していた。
ゆっくりとした歩調で来た道を順に戻っていた私達の耳に、遠くから何かが爆発する音が聞こえてきたかと思うと、車両が激しく上下に揺れた。
「まだ私達が脱出してないのになんで…。」
エミリーは混乱したように体を震わせた。
「何か行き違いがあったのかもしれないね、はやくここから出よう。」
私がエミリーにそう言うと、ドロドロと口から泥を滴らせながら私達の後ろを付いて来ていた黒い花が唐突に列車の壁をぶち抜き、スッと外へと出てしまった。
「え、ちょっ!」
一瞬にして姿を消した黒い花に動揺した私だったが、すぐに背中から引っ張られるようにしてエミリー共々、列車の外へと放り出された。
「いった…。」
いきなり地面に叩き付けられ、痛みに顔をしかめながら私の上に呆然と立つ黒い花を見上げると、花はすぐに私とエミリーの上に覆いかぶさってきた。
(喰われる!)
とっさに私が目を瞑った時、ドォーンという衝撃と爆発音が起こり、さっきまで私達がいた車両が粉々に浮き飛んでしまった。
(危なかった…。)
数秒列車から出るのが遅れていたら、この黒い花が私達を庇おうとしなければどうなっていたか。私はゴクリと唾を呑み込んだ。
しばらく私達は黒い花の陰に隠れる様にして体を休めていたが、ふと花が覆いかぶさるのを止めた為、そのタイミングで再び歩きだすことにした。
「エミリー、帰ろう?歩ける?」
私の問い掛けにエミリーは黙って頷くと、耳に手を当て「列車を脱出しました、帰還ポイントを指定してください。」と誰かに指示を仰いでいる。私にはハッキリとは聞こえないが、ボソボソと誰かの言葉を聞くなりエミリーはホッと安心したように頬を緩め、話が終わると私を見上げ「迎えに来てくれるって、帰れるよおねえちゃん!」と微笑んだ。
「うん…良かった…。」
私はその時初めてエミリーの笑顔を見た。
エミリーはまるで何かから解放されたような、晴れ晴れとした笑顔だった。
私達は手を繋ぎながら施設で習った誰が作ったかも、どんな意味があるかも分からない歌を歌いながら歩いていた。
戦争で荒れた大地は渇き、砂漠と化している。
「あっ‼」
エミリーの声に私がふと顔を上げると、数十メートル離れた辺りに軍のトラックが見えた。
「迎えに来てくれた!」
きゃっきゃとはしゃぐエミリーは私の手をパッと離し、前方に止まったトラックに向かって走り出した。そんなエミリーの無邪気な姿を私は目を細めながら眺めていると、唐突にパンッと渇いた音がして、バタリとエミリーが砂の上へと倒れ込んだ。
「え……?」
呆然と立ち尽くす私を次の瞬間黒い花が私を覆い、連続して放たれる銃弾から私を守る。
何が起きているのか理解できない私を置いて、黒い花が私の背から影をズズズズズと引き出し、自分を大きくすると尻尾のように黒い影を引きながらトラックへと大きく口を開けて向かっていく。
対抗する軍の打つ銃弾や爆弾を黒い花は全て飲み込み、‟人間だけ”をしっかりと捕らえてそのまま口へと放り込んだ。
爆弾や火炎放射器の攻撃を受けながらも、黒い花はケタケタと後ろの私を振り返りながら笑っている。その口からどろどろと滴り落ちる液体を舌で舐め取り、火炎放射の真似でもするかのように口からブゥーッと炎の息を吐き、トラックや大地の砂を燃やしていく。
もう攻撃してくる敵がいないのか、黒い花は長い首でグルんと燃えるトラックの残骸を見渡し、器用に人間だけを搔き集めると、いつまでも同じ場所で立ち尽くしている私のもとへと意気揚々といった様子で戻って来た。
私の目の前でぶちぶち、ぐちゃぐちゃと肉を食む音を立てながら夢中で死体を貪る黒い花は、ふとプッと口から何か吐き出したかと思うとソレが私の頭にコツンと当たる。
何かと思い、ソレを手に取ってみるとその黒い丸いソレからは何か声が聞こえていた。私は何も考えず、ただ聞こえてくる声を聞こうとそのままソレを耳に当ててみた。
【今作戦は、我が軍の中だけで秘密裏に処理しなければならない。第一の標的はフラワーが撃破した。我々の任務は我が軍最後の生物兵器フラワーを抹殺することである。絶対に逃がすな、失敗は許されない。今作戦の失敗は我が軍、ひいては我が国家を揺るがす事態である。】
まるで洗脳するかのように繰り返し流れる音声を聞きながら、前方から激しい砂ぼこりを上げながら列をなしてこちらへと向かってくる戦車を目にした時、今まで色のついていなかった部分全ての色が鮮明に映し出された。
「うっ…。」
一気にあらゆる物がパッと色付いたせいで、脳が視覚からの刺激に追いつかず痛みだした。
自分の穴のあいた腹から流れる泥は、ニタニタと笑う花の口から滴り落ちる液体と同じ赤色。ざらりと泥がこびりついたと思っていた手は真っ赤に染まっており、ベッタリと顔にも染み付いていることに気が付いた。
いつから…?
いつからだ…?
泥だらけの施設、泥だらけの私の手、記憶の中に積み重なる泥だらけの‟何か”。
それら全てに記憶の中で同じ色が付与される。
「血…か、これ…。」
私は自分の手にこびりついた血痕を見つめた。
自分の体中から血生臭く、腐乱したような匂いがしている気がした。
「私は…もう私ですらなかったの…か…?」
戦車から放たれる巨大な爆弾を背で防ぎながらぐちゃぐちゃと死体を貪っている花を見上げると、花はにいっと笑い、黙って千切った肉片を差し出してきた。
ぽたぽたと滴り落ちる赤い液体が、花がまき散らした黒い泥に吸い込まれて小さな花が咲く。
戸惑うだけで一向に受け取らない私に、黒い花は私の穴のあいた腹を差した。
「これがなに…?」
怪訝そうに見上げる私に花は次の瞬間肉片を無理矢理私の口に押し込んできた。
「むむむっ‼」
反射でその肉を噛みしめてしまった時、今まで思い出さない様にストップを掛けていた記憶が一気にフラッシュバックする。
「お願い、もうやめて‼」
赤い血が至る所を滑っている施設内を何かから逃げ回る子供達。
『傷付いた体を治すのは食事が一番だ、とは言ったが食い過ぎだ。』
指先でクルクルと死んだ子供の首を回している月白色の長い髪の男。
「化け物が…何の役にも立たないくせに…。」
口々にそう言いながらバラバラになった小さな体を回収する施設の大人達。
列車の中で倒れ込んでいる人々を夢中で貪り喰う黒い花。
その中に何人もの知っている顔を見つけては錯乱して気を失う私。
血生臭い血だらけのベットに横たわり、目を覚ますごとに少しずつ視界から色が消えていた。
「作戦が成功すれば、君達は軍から解放される。約束しよう。」
軍人の言葉に沸き立つ子供達と、その様子をあざ笑うように見つめる上官。
そうだ、私は知っていたんだ。
最初からあの子達が報われないことを。
施設に集められた子供達はいつからか私の‟餌”となり、そして作戦の囮となって殺された。最初から軍は、私を含め、あの施設の子供全員を生かす気など無かったのだ。
「裏切った…。」
私の腹の底から再びドクドクと燃える様に熱い液体が這い上がってきて、背中からもう一つの黒い花が生まれた。
穴のあいていた腹には空洞の部分を補うように小さな花が敷き詰められ、その花は流れ出す血液を吸って鮮やかに咲き誇っていた。
「兄さんも、エミリーも…他の皆も…お前たちが殺したんだ…、全部…全部お前らが悪い‼全員殺してやる‼お前ら軍人全員‼」
私の喚き散らす声と同時に新しく生まれた方の花が戦車に向かって真っ黒な泥を吐いた。その異常なまでに粘度の高い泥に戦車は足を取られ、動けなくなる。そして次の瞬間、泥の中から真っ黒な棘が全ての戦車を貫き、車内から悲鳴が漏れ聞こえてくる。
さっきまで死体を貪るのに夢中だった方はというと、一通り食べ終わったのか大きな口を開けてゲプッと空気を吐き出すと、悲鳴の聞こえる戦車へとルンルンと向かっていき、車内から一人ずつ人間を引きずりだし始めた。
「助けてくれ!俺は死ねないんだ!」
数分前の私なら過剰に動揺しそうな叫びだが、今の私にはただの雑音にしか聞こえない。私が無表情で手のひらを思いっきり握ると、それに合わせる様に黒い花がパクンと口を閉じて雑音は聞こえなくなった。
そして続々と来る応援部隊も二つの黒い花が全て壊滅させた。
新しく生まれた方の花は比較的小さく、泥を周囲に吐き出しては戦車ごと鋭い棘で刻み、燃やす。そして元々いた方は逃げ出した一部の人間を捕らえ、燃える砂の火で炙り、口に放り込む。または新しい方の花が刻んだ人間の死体を大きい方の花が丁寧に回収し、楽し気に食べるの繰り返しであった。
全てが終わった時、気が付けば砂漠の真ん中に唐突に黒々とした泥からたくさんの鮮やかな花が咲き乱れ、花畑を作り出していた。
「エミリー…。」
私はその花畑の中からエミリーの姿を探していた。
そしてやっと見つけたエミリーは、戦いによる流れ弾や爆発の影響で体の一部がどこかへ吹き飛んでしまっている状態だった。
真っ黒な泥がエミリーの体から流れ出す血液を吸って小さくて可愛らしい白い花を次々と芽吹かせ、花を咲かせていた。
「助けられなくてごめんね…今までずっと、ごめんなさい…。」
エミリーの白い頬を撫で、涙を流す私の上に、死体あさりに飽きたのか、二つの黒い花が戻ってきた。大きい花はエミリーの亡骸をツンツンとつつき、ダラダラとよだれを垂らしていた為、「ダメ、この子はダメ!」と私はエミリーに覆いかぶさり、よだれを滴らせる黒い花を睨んだ。
新しく小さい方の花はその様子をノーリアクションで見つめている。
「これからいっぱい食べれるから、この子は私に頂戴。」
大きい方の花は私の言葉にぐちゃぁっと口を開けながらも頷くと、再び花咲く戦車の残骸の方へとスルスルと移動していった。
「あなたにも、この子はあげられないよ…?」
特に反応を示さない小さい方の花は見上げる私をジッと見つめるだけで私の傍を離れようとしない。
「あげないよ…?」
確かめる様にもう一度言う私の声に花は今度こそ小さく頷いた。
その様子に安堵した私はふぅと息を吐いてエミリーを抱き上げる。
「エミリー、こんなところに一人でいるなんて嫌だよね?置いていかないよ、エミリー…ずっとおねえちゃんと一緒にいよう…。そうすれば寂しくないからね…。」
私は虚ろな瞳で空を見つめるエミリーの砂でザラザラになった髪を撫で、そのまま左手でエミリーの頭を支えた状態でエミリーの柔らかな細い首へと噛り付いた。涙を流しながら一心不乱にエミリーの肉をぶちぶちと噛み千切り、飲み込んでいく。肉を噛みしめる度に、エミリーやその他の死んでいった子供たちの最期の姿が思い出されて心がズタズタにされていくようだった。
「ごめんね…みんな、ずっと一緒だからね…。」
ぐちゃぐちゃと肉を食みながら、私は脳に軍を象徴する紋章を焼き付け、次の目的地を頭の中で模索していた。
ここは国の南部に当たる、南部を統括する基地を叩き、全滅させてから北へと向かおう。怒りに満ちた私の熱い体に反応し、傍にいた小さい方の黒い花が一瞬泡立ち、一回り大きくなった。
「あ~あ~、やっちゃいましたねぇ~♪あの様子じゃあ、軍も終わりですかねぇ☆」
クリクリと大きな目をパチクリとさせた少年は底抜けに明るい口調で言うと、被っていた国軍の帽子を投げ出した。
『最初から扱いきれる訳が無かったんだ、自業自得だ。』
「ええ~でも寒緋さんだって最初は‟どこまでモノになるか期待などしていない”とか言ってたじゃないですかぁ~☆」
若干声真似をしながらズイっと顔を寄せてくる少年の顔を男は形の良い眉を寄せて押し返した。
『寄るな、確かにここまで花開くとは思っていなかったが…やはり使えない。考えてもみろ、この方法を使うとなると人が減り過ぎてしまう。』
胸に数えきれないほどの輝く勲章を飾った男は言いながら軍服を脱ぎ捨て、帽子をかぶる為に束ねていた月白色の長い髪を解き、溜息を付いた。
「あ~、確かにそうですね。アレ、燃費悪すぎ。寒緋さんみたいに性能よくできないんですかぁ?」
『俺とアレを一緒にするな、アレはあくまでも俺の血を混ぜて作っただけの練り物だ。お前には月とスッポンが同じに見えるのか?』
涼しげなアクアブルーの瞳がニコニコと満面の笑みを浮かべる少年へと向けられる。しかし少年は特別態度を改めるでもなく「全然っ☆」と首を横に振るだけだった。
「あ、じゃぁヤッちゃいますか?実験はもう結論出ましたし、アレが生きてなくてもいいんですよね?」
少年はそう言うと微笑みながら虚空から一瞬にして木製の大きな古びた杭を出して数百メートル先の花畑をウロウロと彷徨う大きな黒い花を指差す。
『放っておけ、後始末までは俺の仕事じゃない。今頃あの醜い豚は自分の願いが生んだ結果に脂汗をかきながら俺を探しまわっているだろうな、馬鹿なヤツだ。』
男の言葉に少年はあ~と声を上げるとポンと手のひらを叩いた。
「なるほどぉ~、だからここに来てからはずっと人の姿なんですね?もうあの豚猫の姿に飽きたのかと思いましたよ、いい加減♪」
『豚猫…?あの姿の俺は全ての人間を惹きつけてしまうからだ。さすがの俺もあの脂ぎった顔で頬ずりされるのは耐えられん…。』
(……されたんだ…頬ずり…。)
少年は美しい男の横顔を眺めながら気が付かれない様に目を細めた。
(……ダメだ、黙ってたら笑いたくなっちゃう!)
「じゃあ、最後にその豚の顔でも踏んずけに行きますか☆」
『ああ。』
少年は必死で込み上げてくる笑いをこらえようとするが、どうしてもその震える唇から微かに笑い声が漏れてしまう為、思いっきりエンジンを掛けて誤魔化した。
二人の乗った車は花畑からどんどんと遠ざかり、砂漠に吹き荒れる風の中へと消えていった。
泥の花 ださい里衣 @momopp0404
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