03.根拠のないガーナの勘とライラの願い

「え? ――えーっと、二回目でしょうか」


 不安げな声を上げる。

 前触れの無い質問に対して、ライラは、首を傾げながら答えた。


 ……答え方も可愛らしいって、ほんと、私の親友は素敵よね。


「うふふっ、ハズレ! 今ので五回目!」


「あら。そうでしたかしら? ……でもね、ガーナちゃん。そういうのはとても大切なことですのよ。何回も話をしたでしょう?」


「あれぇ? そうなの? 私、なーにも知らないわ!」


「ええ。そうなのですよ。私の国の考え方にはなりますが、私欲に溺れることは穢れを背負うことなのです。穢れを背負えば、いずれは罪となり、それは国と民を――。って、聞いていますか?」


 ライラは戸惑ったように言う。


 両腕に紙袋をかけているその姿は、何とも市民として定着してしまいそうな程に違和感のない姿。確かに、横で笑っているガーナに比べれば荷物は少ないが、一般的に見ればだいぶ買い込んでいる。


 ……うふふっ、謙虚なところも好きよぉ。


 戸惑うライラに身体を当てる。少しだけ体重を掛けるようにして、斜めになる。そんな突然の行動に、首を傾げるライラ。


 ……やっぱし、ライラは最高ねぇ。


 ガーナは、緩んだ笑みを浮かべた。


 その笑みは見ている人を安心させる不思議な力がある。


 少なくとも、貴族ばかりの魔法学園に通っていながらも、ガーナがイジメに遭っていない要因となっているだろう。それ程に不思議な力があるのだ。


 一方で、まだ足らない、と言うガーナの発言には、ライラは、時々ついていけないとすら思っていた。それを表情に出しつつも、彼女にとっては良き友人であるのは間違いがない事実だ。


「うふふっ、真面目な子だねぇ。元学級委員長様は真面目すぎるのよ。そこがライラの良いところだけど、私にはちょっと重すぎる考えだわ。もっとね、気楽に生きましょうよぉ。今からそんなに真面目だったら途中で頭がおかしくなっちゃうわよ!」


 隣国とはいえ、歴史的にも名高い王族の血族であるライラ。


 第二王女である彼女に意見を言う人間は、やはり近い親族だけになってしまうのだろう。それでも我が儘放題にならず、真面目な性格になったのは教育が良かったのか、生まれ持った気質なのか。


 ……でも、そうならなきゃいけなかったのかもしれないねぇ。


 祖国には、立場上の友人はいても、王女ではないライラの友人はいなかったのだろう。以前、寂しそうにそう漏らしていた彼女を思い出した。


 ……もっと前に会えていたら、ライラの心を少しでも救えたのかねぇ。


 ガーナは、静かに視線を反らした。


 視線を反らした先には、血のような紅色が見える。

 血のようだと嫌悪感を抱く色であるのにも関わらず、なぜか、懐かしいと思わせる色をしていた。


「いえ、私が真面目というよりは貴女が不真面目なだけな気が――」



* * *



 否定的な意見を言うライラの言葉は、途中から聞こえていなかった。


 一瞬、視界を覆い尽くした紅色の髪。

 美しく、それでいて、懐かしい。


 人込みに飲まれるようにして、離れていくその人に導かれるように、走り出していた。見知らぬ人の影を追いかける。その顔には、先ほどまで浮かべていた幸せそうな笑顔は、残っていなかった。


 ……“あの子”は。


 胸が高鳴る。ずっと、探していた気さえしてくる。


 隣に居た筈のライラの存在を忘れてしまったかのように走り出す。


 ガーナの心は、すれ違っただけの少女に奪われていた。まるで何者かに操られたかのようである。記憶にないはずの少女に対して懐かしさを抱く。


 ……どうして、忘れていたの。


 長い年月を共に過ごしていた気がする。

 思い出があるわけではない。記憶があるわけではない。


 それなのにも関わらず、ガーナは、その人を知っていた。


 なにも知らない筈のその人を追いかける。


 手遅れになってはいけないと誰かに背中を押されたかのように身体が軽い。見失ってはいけないと囁かれるようにはっきりと紅色に染まった髪が視界に入る。


 ……捕まえなきゃ。“あの子”が、孤独になってしまう前に。


 今、追いかけなければ、二度と会えなくなる。


 そして、彼女を思い出すことはないだろう。そうすれば、なにもかも忘れたまま、生涯を終えるのだろう。それはそれで幸せなのかもしれない。


 ……助けなきゃ。約束をしたもの。


 孤独のまま、その命を終わらせる姿を想像する。

 胸が痛む。苦しい感情を追い払うかのように、地面を蹴る。


 離れていく紅色の髪を探す。


 なぜかはわからない。

 ただ、ガーナは追いかけた。導かれるように必死に走る。


 ……そうよ。私たちは、いつも、一緒にいたのに。


 いつでも、笑っていた人たちの姿が、脳裏をよぎる。

 姿をはっきりと思い出せたわけではない。霞みがかったその人たちの中には、確かにいたのだ。


 常に守られている立場に居た。

 半端な力しか持たない“少女”を守る為に、どれくらいの犠牲を払ったことだろうか。何度、彼女が犠牲となったことだろうか。何度、それを悔やんだことだろうか。


 忘れてはならないとなにかが警告を鳴らす。


 得体の知れないものに背中を押されている。それに気づくこともなく、ガーナは走った。ひたすらに走った。


 霞みがかった記憶の先には、大切なことが隠されている気がした。


 ……“私”は、約束したのよ。守るって。


 無意識に紅髪の少女を探す。彼女を探せば、なにか思い出す気がした。


 胸が痛む。頭が痛む。身体中が悲鳴を上げる。


 まるで、思い出す事を拒絶しているかのようだった。痛みで足を止めてしまいそうになる。頭を抱えて丸まってしまえれば、楽になるのだろうか。


 ……うん、大丈夫。守るよ。その為に、走らなきゃ……!!


 痛みを堪えながら走る。

 この時は、既に、ライラの存在を忘れていた。



* * *



「そうですね、少しだけならそういったことを忘れても――。って、いません!?」


 横で歩いていたガーナはいない。

 慌てて周りを見渡す。


 すると、前方。人の間を器用に通り抜けて、大荷物を両腕で抱きしめたまま、全速力で駆けていく姿が見えた。時々、苦しそうに身体を左右に揺らし、倒れそうになりながらも、駆けていく。


 なにかを追いかけているようにも見える。

 なにか得体の知れない力に引き寄せられているようにも見える。


 ……身体強化魔法を――。いえ、その魔法を使えなかった筈です。


 身体強化と呼ばれる創作魔法(オリジナル・マジック)を使わずに、駆けていく。

 その速さは、十五歳の少女のものとは思えない。


 ……そう言えば、ガーナちゃんは、運動神経が素晴らしくよろしいのですよね。今、苦しそうに走っていられますが……。


 陸上選手として声を掛けられた経歴を持っていたことを思い出し、少し、空想に深けていたライラであったが、慌てて、走ろうと地面を蹴り上げる。


 ぼんやりとしている暇ではない。

 少しの時間でも、ガーナを見失ってしまうのには充分な時間になる。


「ガーナちゃん!? なにをしているのですか!?」


 温厚なことで有名な彼女の叫びに、偶然歩いていた少年少女たちが肩を揺らす。幾ら温厚とはいえ、ライラは隣国の王女。逆らえば、磔にされたところで文句は言えない。


 帝国では、皇族の癇に触れた者は、生きていけない。

 身についている恐怖に怯えているのだろう。


「いきなりの行動は止めて下さいと、何度も申しているでしょう!?」


 恐怖から逃げるかのように、少年少女たちは慌てて立ち去っていく。人込みの中に隠れて行ったガーナの姿が見えた。長い青色の髪が視界に映る。


 ……止めなくては。


 ここで引き留めなければ、良くないことが起こる気がした。

 警告をするように頭痛がする。その意味を知っていた。


「お待ちください! 私を置いて行かないでくださいませ!」


 そんな目で見られていることなど気づかずに、ライラは叫ぶ。否、気にしていられるほどに冷静ではいられなかった。


「ガーナちゃん!!」


 今は、ガーナを引き留めることがなによりも大切な行動だった。


 急に走り出した為にバランスを崩し、倒れる。その際、荷物は地面に叩きつけられ、ライラは悲鳴を上げる。


 ……痛いですわ。痛くて、痛くして、仕方がないのです。


 普段ならばそれに気づかないガーナではない。ましてや、なにも言わずに置いていくような人ではない。――それをしなければいけないほどに、ガーナは大切ななにかを見つけてしまったのだろう。


 ……ガーナちゃんが、あちらへ行ってしまう前に引き留めなくては。これは私にしかできないことなのですから。


 地面に叩き付けられた痛みよりも、心が痛む。

 これから先、ないか良からぬことが起きてしまうのではないか。


 根拠のない不安が心を覆う。


「ガーナちゃん……っ!!」


 必死に手を伸ばした。

 視界には、もうあの美しい青髪は映らない。


 振り返ることすらしない。突然、前触れもなく開いた距離は、なにかの暗示であるようにすら感じてしまう。すると、突然、寒気が襲ってきた。


 身体を震わせるのは、恐怖感。

 大切な者を失ってしまう。思わず、そう錯覚していた。


「ガーナちゃんっ……!!」


 叫ぶ。愛おしい親友の名を叫び続ける。

 引き留めなければ、全てが変わってしまう気がしていた。


 ……あぁ、神様、お願いですわ。


 二度と逢えないのではないか。――あの、自由を愛する少女には。


 身分を気にするライラに対しても、笑顔で手を指し差し出してくれた親友が、離れて行ってしまう。手の届ないところに連れて行かれてしまう。


 ……嫌ですわ。あの子を、ガーナちゃんを、失いたくはないのです。


 それは、ガーナの死を意味している。

 何故だろうか。そんな不安がライラを支配した。


 ……どうすれば、良いのでしょうか。


 恐怖感に身体が蝕まれる。この直感を否定することが出来なかった。


「ガーナちゃあああああああん――!!」


 もう一度、名を呼んだ。大声を上げた。


 手段を選んでいる暇はなかった。

 どのようなことをしてでも引き留めなくてはいけない。


 助けを呼ぶかのように叫ぶ。走り去った唯一無二の親友を引き留める為だけの声は、空しく響き渡る。誰もがその声には応えない。


 傍に居たあの笑顔が美しい少女は、振り返らない。


 傍に居るだけで世界を救ってしまいそうだった力強い笑い声は、聞こえない。

 振り返ることも応えることもなく、なにかに引きずり込まれるように消えた。


 それから、ライラは力無く、蹲った。

 地面に散らばる荷物をかき集めることもしなかった。ただ、地面を涙で濡らす。恐怖で零れ落ちた涙は、止まらない。


 ……どうすることも、出来ないのでしょうか。


 初めて感じた恐怖に身体を震わせる。


 ……あぁ、お願いです、神様。なにも起きないでください。


 その場に蹲ることしか出来なかった。涙を流し続けることしか出来なかった。


「神様。どうか、どうか、私から、ガーナちゃんを奪わないでください……!」


 皮肉にも、ライラの願いは届くことがなかった。


 それどころか、彼女の直感は間違っていなかった。

 それを知るのは、まだ先の話である。

 

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