ブルースを聴きながら

 大好きなバーがあった。


 もう二十数年も前、まだ私が独身でひとり暮らしをしていた頃のことである。

 友人に誘われて行ったそのバーは、教えてもらわなければ絶対に知ることはなかったであろう住宅街の外れのなんでもない通りに、ひっそりと佇んでいた。

 ネオン管の看板がなければなにかの店だということにすら気づきそうにないそのドアを連れが開け、中に一歩入ったその瞬間。ひょっとしたらその瞬間からもう、そのバーは私にとって特別な場所になっていたのかもしれない。


 店内は意外と広く、元はスナックだったのか、些か雰囲気にそぐわないオレンジ色のソファセットが置かれたボックス席が二ヶ所あった。同じ色のチェアが並んだカウンター席を含め、一昔前のスナックのまんまの店内はなんだか寂れた感じがしていて、客の姿もふたりしか見えず、あまり繁盛しているようには思えなかった。が、そんなことは私にはどうでもよかった。


 カウンターの端のほうの席に連れと並んで腰掛けながら、私の目は薄暗い店内のある一点に釘付けになっていたのだ。


 注文を受け、マスターが流れるような動作でボトルを手にし、シェイカーを振る。その背後に並ぶ、大きさも形も色もまちまちな、たくさんの酒瓶。その酒瓶と存在感を競うように、作り付けの棚の半分にはヴァイナル盤がびっしりと並んでいた。

 薄い背表紙の小さな文字は席からでは読めなかったが、ところどころ飾るように立て掛けてあったジャケットから、おそらく殆どがジャズとブルースなのだろうと私は思った。そして気がついた――店に入った瞬間に耳を擽ったメンフィス・スリムは、有線などではなく奥のステレオコンポでかけられていたのだと。


 スプモーニを飲みながら、連れとマスターが話している隙を狙って、私は尋ねた。メンフィス・スリムいいですよね。ブルース、お好きなんですか? その質問はほんの少し、マスターを驚かせたらしい。

 今思えば当然である。馴染みの客が初めて連れてきた、新しい彼女らしき二十歳そこそこの女――実際はただの仕事仲間で、友人でしかなかった――が、目を輝かせて一九四九年に録音されたブルースの話を始めたのだから。

 ええっ、よく知ってるね。なんで? 驚きながらも嬉しそうにそう云うマスターに、私は自分の音楽遍歴を簡単に語った。ああ、ストーンズが入り口かあ、それにしたって珍しいね。と、話は音楽にはあまり興味のない連れを置き去りにして、大いに盛りあがった。

 どうやらマスターは私のことを気に入ってくれたらしく、エルモア・ジェイムズやオーティス・スパン、マディ・ウォーターズなどを次々とかけてくれた。私は料理上手なマスターお手製のタコスサラダやバッファローチキンをつまみながら、綺麗な色のカクテルと大好きな音楽の話をたっぷりと楽しんだ。





 それから私は、ひとりでそのバーに通うようになった。

 何故か常連だったはずの友人はあまり行くことがなくなったらしく、顔を合わせることはなかった。かわりに、マスターの昔のバンド仲間であるというおじさんたちと知りあい、その他にも音楽の話ができる仲間が増え、ひとりで行っても大抵誰かと肩を並べて飲んでいるような状態だった。

 話が通じる、自分と似たような人がいるという安心感と居心地の良さ。それまで好きな音楽について語り合える友人など殆どいなかった私にとって、そこはオアシスだった。どっかの仲の悪い暴言兄弟のことではなく、憩いの場所のほうの意である。


 マスターは基本的に誰にもヴァイナル盤を触らせることはなかったが、あるとき「レコード針についた埃、指で取る奴ぶっ殺したろうか思う」とか、「インナーの紙袋とか薄い透明なビニールにレコード入れたら、角折って入れ口を上にしてジャケットにしまうやんな、ジャケット傾けたら盤が出てくるとかありえへん」などという話で盛りあがった後、私には好きなレコードを勝手にかけていいという許可をくれた。私にとってそれは、宝物庫の鍵をもらったようなものだった。


 そしてそのうち、だんだんとそのバーは客が増え、バーテンダーのアルバイトを募集するほどになった。私は週末など混む日は避けるようになり、勤めを変え勤務時間が遅くなってからはだんだんと足は遠のき、しまいにはまったく行くことがなくなった。





 更に何年か経ち、知りあいからあのバーが引っ越しすることを聞いた。元あった場所とは比べものにならないほど賑やかな飲み屋街に移転オープンしたそのバーに、私はお祝いがてら花を持って向かった。


 久しぶりに見たマスターはまったく変わっていなかった。そしてお店は以前よりずっとすっきりとセンスの良いインテリアで、客もたくさん入っていた。BGMは相変わらず旧いブルースで思わず顔が綻んだが、カウンターの後ろにもどこにも、あの大量のヴァイナル盤は見当たらなかった。

 席を埋め尽くしている客たちのなかに、知っている顔はなかった。マスターは忙しそうに奥の厨房とカウンター内を行き来していて、シェイカーを振っているのは若いバーテンダーたちだった。がやがやと話し声がタバコの煙と一緒に充満するなか、私は耳に届くブルースを聴きながらグラスを傾けていた。そして、マスターの好きな曲ばかり続くそれが、おそらくカセットテープに録音したオリジナルのコンピレーションらしいことに気づいた。

 まあ、無理もないかもしれない。大きなヴァイナル盤を取りだし、ベルベットのクリーナーで埃を掃き、ターンテーブルに乗せて針を落とすという作業は、CDやMDに慣れてしまうとかなり面倒だ。曲のスキップも容易ではないし、それになにより、デジタルと違いヴァイナル盤は聴けば聴くほど溝が擦り減ってしまう。

 きっとあの膨大なコレクションは、マスターの自宅で大切に保管されているのだろう。


 カウンターの端のほうの席で、しばらく私はひとりで飲んでいた。マスターとは殆ど話すことができず、代わりというわけでもなかったのだろうが、客として来ていた若い男たちが声をかけてきた。

 待ち合わせ? え、ひとりなの? 一緒に飲もうよ。このあとどこか行く? 

 私は、今かかっているのが誰の曲か当てたら考える、と答えた。答えることができた男はひとりもいなかった。それどころか、はぁ? なにそれ、こんなん英語だしわかるわけないやん、と云う奴までいた。確かそのときにかかっていたのはボ・ディドリーの〝 Road Runnerロード ランナー 〟で、私としてはかなりのチャンス問題のつもりだったのだが、そもそも洋楽を聴かないのだろう。そういう人のほうが多数派だということは、その頃にはもううんざりするほど知っていた。しょうがない。


 そんな感じで、なんだか以前のように楽しめもせずつまらなかったので、それっきりもうそこへ行くことはなかった。





 不思議なもので、ずっと行ってはいなかったのだから同じことだろうに、もうあのヴァイナル盤の詰まった棚のある広い店はないのだなと思うと、なんだか寂しかった。

 若くかっこいいバーテンダーがいて、繁華な場所で客も大勢入っていて、おしゃれでセンスの良い店なのに、新しいほうの店には私はまったく魅力を感じなかった。

 カウンターのなかでスツールに腰掛け、暇そうにバーボンを飲みながら、尽きることなくブルースや旧いロックの話に付き合ってくれたマスターと、私と同じようにそれを楽しみにやってきていたおじさんたちがいて。行く度にかけてもかけてもとうとう全てを聴くことは叶わなかった、あの大量のヴァイナル盤があってこそ、あの空間は私にとって特別だったのだ。

 ブルースを聴きながら、いろんな話をするのが本当に好きだった。


 楽しかった、かけがえのない時間。あの新しいほうのおしゃれな店は今も若い客たちに人気だろうか。マスターは今も元気でバッファローチキンを作っているだろうか。それとも、もう店を畳んで引退しただろうか。


 どちらにしても――たぶん、ぜんぜん儲かってはいなかっただろうけども、旧い店のほうもあれはあれでよかったなと、マスターがいい想い出にしてくれていると信じたい。――私と同じに。

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