きっと死ぬ話

國元 すずらん

第1話 きっと死にたい私のプロローグ

Aラインのワンピースとローファー姿で片道分の交通費と現金100万円を持って鎌倉の海に沈みたい。

それは晴れた夏の日限定。

雨の、6月の梅雨頃だったら京都の少し霧立った山奥で首を吊って居なくなりたい。

春と秋はなんだか死にたくなくて、冬は朝焼けを背にすぅっと消えていきたい。

私には理想の死に方がある。

折角生まれたのだから完璧な姿で死んでみたい。

病死や突然死、事故死といった予期せぬ死に方は嫌いだ。だから自分の手で綺麗に死にたい。

そう思って私は今此処にいる。

夏休みの江ノ電車内は混み合っていてやたらと暑苦しい。が、今日を逃してしまえば途方に暮れてしまう。

実家には封筒に入った3つの遺書のみ置いてきた。他は全部捨てた。

もう後悔することなんてない。今日で然様なら。

着いた先は稲村ヶ崎だった。

ただ適当に、海岸に近い駅で降りるつもりだったのだが、どうしても記憶にあるこの駅を選んでしまうのはこの世にまだ未練があるからだろう。

稲村ヶ崎には2年前に来たことがある。

私は母と2人の女旅を楽しんでいた。楽しんでいた、というものの当時は晩夏の末頃で、暑さの中やっと乗れた江ノ電では見知らぬ人に手でどつかれ、それに横浜の赤レンガ倉庫に行きたかった私には不満が募っていた。

反抗期の女子中学生というのもあって散々文句を母にぶつけた。母もそんな私に呆れて怒っていたが稲村ヶ崎に着く頃には蟠りも解けていた。

「稲村ヶ崎って言うたら稲村ジェーンやで。サザンやで。」

サザンオールスターズが好きな母はこう言う。サザンは全くもって世代ではないが、幼い頃から両親に聞かされていた私の脳では希望の轍が再生されている。

この頃だって死にたくなるようなことは何度もあった。でもそれは死にたくなるだけであって死を身近に感じていただけではない。私が死を身近に感じ始めたのはいつなのだろうか。

今私の目の前にはアメリカまで繋がる太平洋がある。

あとは、あとは、入るだけ。

全てが終わる。終わってくれる。もう何も考えなくていい。

はずなのに涙が溢れてくる。

死んだ後の事を考えるとどうしようもなく苦しくなる。きっと両親も、祖父母も、たった1人の親友も哀しんでくれる。哀しんでくれる人がいるのに死ぬというのは贅沢なのだろう。

幸せ者なのに。

いつか一緒に遊んだ友達に言われたような言葉が私を蝕む。幸せ者が泣くのは罪なのだろうか。正義のヒーローが悪に滅ぼされるのは悪い事なのだろうか。

答えは私しかしらない。知られる前に早く死ぬんだ。


夏の海は冷たい。

もう足はつかない。泳げない私はもうすぐ死ぬだろう。

苦しい、苦しい。でもお風呂で泣きながら嗚咽を漏らした日々よりは苦しくなかった。


ごめんなさい。それが私の最後の言葉。

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