第2話

 翌日、宣言通り通称ユンボと呼ばれる、アームの先にハサミのついた重機での家の取り壊しが行われた。

 親方はユンボに乗る大工に何やら耳打ちをしていた、恐らくは何かしらの業務通達だろう。

 いかにも力強そうな重機がけたたましいエンジン音を唸らせ、キュラキュラと音を立てながら、キャタピラで悠然と動き出す。その様は猛猛しい。

 アームが上がり、壁をぶち抜く、先ほどまで堅固に見えた外壁は砂上の楼閣の如く崩れていく。

 正雄はその様子を見て、少し怖くなった。


「なんだ? 怖いのかよ?」


 大工に背中を突かれチャチャをいれられる。


「怖くありませんよ」


 正雄は虚勢を張り答えた。

 やはり、嫌っているとはいえ、父親が遺し、己が半生を過ごした家が壊されていくのは、ちょっぴり悲しく怖くあったのだ。

 正雄は解体作業による粉塵が辺りに害を為さないよう、散水の作業につかされ、路上にホースで水をまいている。

 その日は日差しが強く、更に舞い上がる埃で環境は劣悪だった。それで持って散水たる機械的な作業は性に合わず、正雄は苛立ちを隠せずにいた。


「全部、親父が悪いんだ。親父が大工なんかやってたから、仕事にかまけて、オレを蔑ろにして、それでオレに因縁を押しつけて……ああ! もう、チクショウ!」


 一際大きな瓦礫が落下し、地を揺るがすような轟音を響かせる。


「おい、正雄。ちょっと来い」


 急に親方に呼び止められた。作業中の私語を咎められるのだろうか。

 正雄はげんなりし、親方のいる解体作業中の実家へと入って行った。


「この柱は大黒柱だ。この柱はこの家で一番重要な柱だ、これがなくなれば、途端にこの家は崩れる」


「なんすか? ベンキョーですか? まどろこしいことはなしにしましょうよ」


 親方は急に大黒柱について語り始めたので、正雄は怒るならトットと怒られて、それで終わりにしたかった。


「まぁ、焦るな。この大黒柱は親父さんの魂とも等しい。それ、裏を見てみろ」


 正雄は言われた通り柱の裏を見る、眼前に広がる光景に正雄は膝から崩れ落ちた。

 そこにはクセのある字でこう書かれていた。『正雄、愛してるぞ』と。


「これは正雄、お前の親父さんの字だ。クセの強い字だからお前でも分かるだろう」


 正雄が今生で最も渇望した言葉がその大黒柱に刻まれていた。彼はただ一言、言って欲しかったのだ、その言葉を……


「お前の親父さんは不器用だからな。己の息子にその言葉を言えるかどうか不安でしかたなかったんだ。だから、親父さんは保険をかけたんだ、この柱に文字を残すという保険をな」


 正雄は涙が流れていたことに気がつく。


「オセェよ、オセェよ、なんで死んでから言うんだよ。もっと、早く言ってくれよ。そしたらオレ……」


 大黒柱に抱きつき、嗚咽を漏らす。その時、不思議と自分の父親と抱擁を交わしているような、そんな感覚に正雄は襲われた。

 彼はしばらく大黒柱に抱きついてやまなかった。


         ○


「これで分かっただろ、お前の親父さんがお前のこと愛していたことが」


「ええ、本当に不器用なヤツですよ。でも、なんか、スッとしました」


 正雄の顔は晴れやかであった。

 正雄は言われたかったのだ、ただ一言『愛している』と、子供を愛さない親がいないように、また、親を好きではない子供はいないのだ。

 正雄の父親はその不器用さ故

己の正直な気持ちを伝えようとはしなかった。そのことを正雄は不安に感じていた。

 しかし、それはもう今日で終わり、正雄は父親の愛情をこの目でしかと見たのだ。それまで立ち込めていた暗雲は、一陣の神風によって引き裂かれた。


「親父、オレこれから仕事頑張るよ。それで、親父みたいな偉大な大工になるんだ、でも、子供ができたら自分の気持ちは素直に伝えることにするよ」


 ホースからでる水に反射し、プリズムが輝いていた。

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大黒柱 @kurodoss

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