4:この世界の魔術 その1
馬車が止まったのは1時間ほどしてからだった。
「まだ早いよね? 休憩入る予定だっけ?」
「いや、そんな予定は聞いてない」
ミーナとマリクが顔を見合わせると、マリクが御者台に立ち上がって前方を見た。
「なにか見える?」
「問題が起こったみたいだ」
ふたりの後から真二郎は幌の隙間から顔を出して見る。前方に別の馬車が横倒しになっている。交通事故だろうか。
こっちの世界でもあるんだななんて能天気に考えるほど真二郎はバカではない。なにもない真っ直ぐな道で馬車が横転するわけがない。
真二郎が幌から顔を抜こうとすると、シャリーグが猛スピードで駆けていった。
「後方守備がなんで前に行くんだ?」
素人でも後ろから襲撃されるかもしれないと予想出来る事態だ。まして、シャリーグはプロ。
と、いかにもチンピラ風の若い男が荷台に飛び乗ってきた。
ミーナが気づいて怪訝な顔をする。
「ジールだっけ? どうしたの?」
「ミーナ、おまえは俺と来い」
「え? なにかあったの!?」
「この隊商の荷は俺たちがいただく」
「え……?」
「なんだって!? 冒険者の仁義はないのか!?」
「うぜぇな……」
冒険者ジール転じて盗賊ジールは早口で呪文を唱え、マリクに向かって魔術を放った。
これが真二郎が初めて見たこの世界の魔術だった。
なんだ、これ?
真二郎の第一印象は落胆だった。
あれで発動するのというくらい術式は大雑把だし、呪文は発音も単語もでたらめに近い。しかも無駄に長い。
呪文は風刃という魔術のはずだ。空気の密度を変化させて、真空状態にして相手を斬る――いわゆるかまいたちだ。だから、人間くらいサクッと胴体両断のはずが、マリクは辻斬りにあったくらいで倒れてしまった。いや、辻斬りもひどいには違いないが。
風刃なら真二郎はこうだ。
セラ・アエル=カトゥーレ・フォルテオ
これで風の精霊を呼び出し、強く斬れという命令になる。しかし、ジールが唱えたのはこうだった。
セ・ラ・アエル=ン・カトゥォレ・ジル・ナ・フォールテオ・イ・ルカニ
明らかに長い。発音も微妙に違う。それに意味不明な言葉が途中に入っている。
さらに術式のジェスチャーもいい加減だ。きっちり腕の角度を90度にして、指の組み方を正しくして、振り払う時には相手を見て切断箇所を指定しなければいけない。ジールはどれも適当だった。
そういえばと、真二郎は思い出した。真二郎の魔術を見た老人たちが『古からの正統な術式』と言っていたことを。つまり、今はジールの方式が普通で、最近の魔術にはノイズのような言葉が混ざっているのか。
となるとと、真二郎は考える。これは僕にとってアドバンテージだ。
「マリク!?」
真二郎はミーナの悲鳴に現実に引き戻された。
斬られたマリクは胸から血を流しながら倒れた。
マズい。このままじゃ僕と坂城さんも殺される。なんせジャチクだと思われてるわけで。
真二郎の考えはジールの傲慢な笑いがあっさり否定した。
「ミーナと、そこの奴隷の女は俺の物だ! 野郎はいらん!」
殺されるのは真二郎だけらしい。
ミーナが魔術で反撃しようとして、動きを止めた。ジールがナイフを突きつけている。魔術だけでなく、冒険者としてもジールのレベルが上だ。
「おまえはこのジャチクを殺した後でかわいがってやるぜ。そっちの奴隷もな。御者と野郎は死ねや!」
安っぽいチンピラみたいなセリフを吐くと、ジールはさっきと同じ術式で呪文を唱え始める。
「……見てられないな」
真二郎は思わず嘆息した。
こっちは真面目に一所懸命間違わないように術式動作を覚えたんだ。スライム相手に向かい合い、ボヨンボヨンと殴られながら何時間も失敗を繰り返し、ようやく発射した火炎弾はダメージ1。HP10のスライム相手にそれを10回繰り返す虚しさ! それなのに、こっちの世界はこんなにいい加減で魔術が使えるなんて……。反則だろ!
怒りをぶつけてやると、真二郎は術式開始した。
「セラ・アエル=バキューテ・ビルド!」
「はん? ジャチクがなに――」
せせら笑うジールはそれ以上声を出せなくなった。
顔を真っ赤にして喉に手をあてると、ぱくぱくと口を開けてもがき始める。
そこに美姫が飛び出し、右腕をつかむと背中に回し、トドメとばかりに足を払って床に倒す。鮮やかな動きだ。さすが元自衛官。
「坂城さん、もう大丈夫です」
感心しながらも不届きなことはしないようにしようと真二郎は心に決めた。指を回して魔術を解除する術式を行う。
美姫はジールが生きているか確かめて真二郎を振り返った。
「間生クン、こいつどうしたの?」
「空気の流れを止めたから窒息したんだ」
「落としたワケね。じゃあ、縛っとかないと。ミーナ、ロープかなにかある?」
「あ、あるよ!」
ミーナが持ってきたロープで美姫が賊を縛っている間に、真二郎はマリクの様子を見る。肩から袈裟掛けに斬られた感じだ。革の胸当ても綺麗に斬られている。
「治癒はできるかな?」
「それほど力ないけど、血を止めるくらいなら大丈夫です」
「じゃあ頼む」
ミーナがマリクの治療に移る間に真二郎は周りの様子を探る。確か探索が使えるはずだ。
「デュ・テラル=ルクーテ・ヴァルド」
これでいいのかと不安になった真二郎だが、すぐに頭の中に簡単なマップが浮かんだ。ゲームで言うと、画面左上に出ている周辺マップにかなり近い。
6つの長方形は馬車だろう。そこに赤い点11個と青い点5個。それに先頭馬車に黄色い点。
敵味方の識別ではなさそうだ。生きてる人と死体と怪我人だろうか。位置からすると、この馬車以外の御者が殺されているようだ。先頭の黄色い点はベルゼルかシャリーグだろう。あるいはこの隊商のリーダーか。誰かが傷を負っている。
真二郎は視線を感じて見ると、ミーナが驚いた顔をしていた。目を丸く見開いてる様子がかわいくて、ジールが俺の物なんて言っていたのもわかる。
「えっと、キミはジャチクじゃないの?」
「さあ? 自分でもわからない。他の連中を見てくるよ」
「ちょっと、間生クン!?」
美姫が慌てて後を追おうとするが、真二郎はそれを止めた。
「坂城さんは動かないで。多分、人が殺されてる」
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