1:空からの脱出 その3

 真二郎は転がったまま空を見上げて歓声を上げた。おまけに美女と空中散歩。しかも、ラッキーなおまけ付き。いやあ、映画みたいだな~などと笑みを浮かべ、そこで思い出して跳ね起きる。


「坂城さん!? 大丈夫ですか!?」

「……思い出して頂いてありがとうございます。なんとか無事です」


 真二郎が声の方向に行くと、美姫は少し離れた所にしゃがみ込んでいた。運悪く落ちたところが川だったせいで全身ずぶ濡れ。風で乱れた髪からは水がしたたり落ちていた。真二郎が落ちたのは、川岸の土手だった。


「とりあえず、助かりました。礼を言います」


 いつものように折り目正しい言葉だ。しかし、美姫の声は少し震えて、足はガクガクしていた。真二郎も似たようなものだが濡れていない分マシだ。


「すみません。落ちるところまでコントロール出来ませんでした」

「動揺して手を離した私のせいです。気にする必要はありません」


 美姫の事務的な口調に、真二郎はさっきの悲鳴を思い出してギャップに笑いそうになる。またああいう声が聞きたいななどと言ったらセクハラと言われるだろうか。起き上がるのに手を貸そうと腕を伸ばしたところで違和感を感じた。


「あれ? 坂崎さん……なんか印象が……」


 真二郎が身を乗り出して見ると、美姫の顔にメガネがなかった。細くて軽そうだったので、風に飛ばされたのだろうか。

 ほどけた髪には軽くウェーブがかかって、かなり柔らかな印象になっている。しかも、スーツが肩までめくれあがって、シャツは濡れて肌に吸いついている。ブラジャーの脇の辺りなど透けている。


 やばい……。完全なセクハラになってしまう。


 真二郎は凍りついたように動きを止めて、視線だけ90度動かした。


「えっと、見えますか?」

「え?」

「メガネがないから」

「え? え? きゃ~っ!?」


 美姫はパタパタと顔に手を当て、メガネがないのを確認すると、いつもからは考えられない可愛い悲鳴を上げた。


「あ……だ、大丈夫です! 見えます。でも、見ないでください!」

「大丈夫です。見てません」

「見ましたよね!?」

「いや、すぐに目をそらしたので」

「私の顔見ましたよね!?」

「顔? 服じゃなくて?」

「メガネなしの顔です! 服なんて――きゃーっ!」


 ようやく自分の状態に気づいた美姫が悲鳴を上げてスーツを直して胸元を合わせ、真二郎に背を向けた。


「せっかく綺麗な顔なのに」

「そ!? そんなことありませんから! 見ないで! だいたい、それセクハラです!」

「いや、でも、こんなところでふたりなんですよ? 見えないと危ないじゃないですか」

「ふ、ふたりきりっ!?」


 いきなりひっくり返った声を上げると、美姫は真二郎を見ながらじりじりと後ずさり。その目は獣を見るような目つきだ。


「だ、ダメですからね! 絶対ダメですからね! まだ早いですから!」


 両手で必死に壁を作る仕草をする美姫。

 基本的に人畜無害なのが取り柄だと思っているだけに、真二郎はこれだけ警戒されてグサグサとナイフが刺さったような顔をしてしまった。

 美姫がそれに気づいて咳き込むように付け加える。


「いえ! あの! えっと、間生クンが嫌いとかオタクが嫌とかではなくてですね!」

「いや、いいですから慰めは」


 真二郎も自分がイケメンではないことくらい生まれた瞬間から知っている。控えめに言って、パッとしない普通の顔なのだ。


「ではなくて! その……男性とふたりきりになったことがなくて……ですね。た、たとえ間生クンでも、まだ……その……」

「えーっ!? 冗談でしょ? そんなに、その、綺麗なのに」

「……そのせいです」

「え?」

「私の名前、覚えてます?」

「名刺もらったっけ。ええっと、坂城美姫……さん?」

「そう。どう思います?」

「名は体を表すというか、似合ってますよね」

「それが……嫌だったんです」


 美姫は意外なことを言い出した。口ごもったところに本気で嫌だったのだという気持ちが垣間見える。


「両親も友達もその親も『美姫ちゃんはお姫様みたい』って言うし、私はそれに応えなきゃってお姫様らしくないことはしないようにしてたんです。当然、妬みやいじめもあったけど、それを言うわけにもいかなかったから。そしたら、もう疲れ切っちゃって」

「だから、自衛官の道に進んだ?」

「そうです。親の反対を押し切ったのは初めてでした。防衛大学を出て入隊5年目の昨年、外務省に出向という形で異世界対応に回されたんです」

「そうか……」


 って、ことは、今年で……などと考えたのが顔に出てしまったか、真二郎は美姫にじっと見つめられてしまった。


「今、年齢計算しましたね?」

「へ? いや、つい……」

「来年いよいよ三十路女ですよ。ちょっとだけ年上ですね」


 そう言って美姫はペロッと舌を出して笑った。

 不意打ちを食らって真二郎の鼓動が早くなった。パニックとは違う。予想外に可愛いかったのだ。

 それが今度はうなだれて告白し始めた。


「実は謝罪しなければいけないのです」

「へ? いきなりなに?」

「送られてきた間生クンのプロファイルを見て、最初は金持ちの道楽息子だと思ってたんです。いきなりあんなゲーム一式揃えるんだから。でも、調べてみると、ブラック企業相手に個人で法律の勉強までして訴訟を起こして勝訴まで持っていくなんて」

「金がないから弁護士雇えなかっただけだよ」

「凄いことです。しかも、SLOを見事に完全クリアするなんて」

「ひょっとしてクリア出来ると思ってなかったとか?」

「正直なところ、かなり難しいですよね。その前にインしてる人がどんどん減ってきましたし」

「あはは……」

「それでも、間生クンはやり遂げた」

「いや、クランの仲間がいたからだよなぁ。僕ひとりじゃ止めてたよ」

「間生クンが頑張ってたから他の人もついてきたんじゃありませんか?」

「そうかな? 僕もクランのみんなに助けられたし」

「それでも、間生クンのおかげです。だから、私もリーダーやっていられたんです」

「え? リーダー?」

「昨日言いましたよね? またねって」

「……ええっ!? こなもんさん!?」

「えへへ」

「まさか他のメンバーも?」

「あ、それは違います。私だけです。でも、ずっとリアルで会ってみたいと思ってたんです」

「じ、実際会ってみてどうよ? がっかりしたろ? イケメンじゃないし」

「どうしてですか? 容姿なんて箱の飾りリボンですよ」


 この顔で言うと説得力ありすぎるなと、真二郎は思う。

 美姫が真二郎をじっと見る。メガネがないせいだろうか。ちょっと潤んで輝いて見える。

 ちょっと待って。なにこの雰囲気?

 免疫なんて全然ない真二郎には、どう反応したらいいかわからない。うろたえながら視線をさまよわせると、少し離れた所に光る物に気づいた。メガネだ。急いで拾って美姫に手渡そうとして気がついた。


「あれ? 度は入ってない?」

「そうです。はい、もう大丈夫です」


 メガネをかけると、さっきまでの狼狽ぶりとは別人のように目に力が宿る。伊達メガネは美姫にとって戦闘用のゴーグルみたいな物なのだろう。


「あの……先ほどしゃべったことは戯れ言だと思って忘れて頂けるとありがたいです」


 乱れた髪をまとめながら、美姫がバツが悪そうな顔で言う。

 いや、それ無理だろ。

 そう思った真二郎だが、事態をややこしくする気もなかった。


「え~っと、とりあえず、その問題はちょっと棚に置いておこう。それよりも、でかい問題があるし」

「そうですね」

「ここ、どこなんだろなぁ?」


 苦手極まりない空気を振り払うように、真二郎は周囲を見回す。見えるのは森、小川、そして、空だけだった。

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