文意喪失

 一連の殺人事件には、夕組として五人の捜査官が駆り出されることになりました。他四名は分担して四か所の事件現場の現場検証を朝組から引き継ぐ形になり、現場へと散っていきました。

 一方、残ったバークに任されたのは、事件の共通因子の洗い出しでした。

 四件の殺人事件はいずれも別個の犯人によって引き起こされたものですが、そもそもパシフィカにおけるここ十年の殺人事件発生率は年二件以下。二十四時間で四件もの殺人事件が発生した場合にそこに何らかの共通因子があると考えるのは決して珍妙な考え方ではないと言えるでしょう。実際、パシフィカ創設期、数多の有害全覚文が跋扈したときには、単一の有害全覚文からごく短時間で多くの人を殺傷した歴史もありました。

 しかし、〈リュシャン〉の協力を借りて捜査を開始したバークはすぐに壁にぶち当たりました。 

 犯人がそれぞれ異なるのみならず、その殺害方法も特徴もバラバラだったからです。

 第一の事件。マハ・ユールは背後からシャード・カルタリに近づき炭素ナイフで刺殺。それにユールは快感を覚え、射精。

 第二の事件。キリフ・アイルセンは大学構内の三階のテラスで、同じラボの学生マキマ・イザシンボと耐衝撃人工皮膚ハイパー・スキンの設計について議論。アイルセンは生身の人間の皮膚が衝撃にどうやられるか見たくなり、イザシンボを突き落とす。

 第三の事件。アトラシア・キムは極夜帯のカジノに来ていた健全な客で、海外からの観光客サミュエル・ファインバーグと意気投合。ファインバーグは海外の違法カジノであったとされる命を賭けたギャンブルの話をし、興味を持ったアトラシアは量子スピンスロットと二人の人工臓器を違法に接続し、スロットの出目によってそれぞれが独立に一定確率で死ぬというギャンブルに興じ、ファインバーグが偶然死亡。

 第四の事件。代替神経ナノマシンメーカーのエンジニアで、全覚文失読を治療する代替神経ナノマシンの開発に携わりながらも、苦戦していたフラ・マサ・シンは論理学の基本に立ち返り、逆の証明に着手。。ナノマシンの使用履歴があるならば全覚文可読であることを証明するためには、全覚文可読であるためにはナノマシンの使用履歴があることを証明すればいい――そう考えて、通りすがりのアンダールタ・メゼカにナノマシンを注入。拒絶反応で発作を起こしたメゼカは死亡。

 バークは原始犯罪のスペシャリストではありますが、殺人のスペシャリストではありませんでした。そもそも、年に一、二件しか殺人事件の起きないここパシフィカでは原始犯罪――とりわけ殺人事件は過去の遺物であり、その本当の意味でのスペシャリストなどいないのです。

 以前、クシーがインターンとして原始犯罪課PCDに来てない間もない頃、バークに訊いたことがありました。

「バークさんはどうして、パシフィカ人が誰も気にしない原始犯罪に関わろうと思ったんですか」

 それは全覚文難読症のパシフィカ人が極夜帯で酔っ払い、暴力沙汰を起こした事件の解決をした日の勤務後のことでした。そのまま極夜帯で二人飲んでいたのです。

「気になるか?」

 アルコールの入っていたバークは珍しく笑いました。

「だってバークさん、あまり原始犯罪課員っぽくなかったんで」

「よく言われるよ。原始犯罪なんて、パシフィカでは忘れ去られつつある。パシフィカで真に教育を受けて、統計的思考力を養った者からすれば、滅びゆく犯罪に関わろうとはしないはずだ」

「でも、バークさん、パシフィカ人をして『冷徹』と言わしめる程、思考が〝パシフィック〟じゃないですか」

「そのせいで課員との折はあまり良くないが。原始犯罪の捜査をしようと思う連中のほとんどは感情的で、感傷的で、合理的思考力に欠ける」

「セワンさんはいい人だと思いますよ」

「本気で言っているのか」

「冗談に決まってるでしょ」クシーはけたけたと笑いました。

「だから私、インターン来る直前まで不安だったんですよ。私、あまり思考に共感的、感傷的な脳回路を用いないタイプなんで、パシフィカンらしくない人をよく怒らせがちなんですよね」

「パシフィカンでも怒ると思うが」

 クシーは明らかに無視して続けました。

「でも、メンターがバークさんで安心しました。私以上に合理的なパシフィカンじゃないですか、バークさん。で、教えていただけないんですか、原始犯罪課員になった理由」

「外れ値にも関わろうとする人間がごく僅かに必要だからだ。原始犯罪に関わろうなんてもの好きが多くても困るが、全くいないのはもっと困る」

「次は個人的な理由を訊いていいですか?」

「二〇四〇年代、パシフィカ創世記――いや、全覚文創世記に有害全覚文が跋扈したのは知っているだろう?」

「ええ、エイドリアン・チェンら全覚文研究者が有害全覚文の研究に邁進し、それと同じ全覚素パターンの発話を予め回避する機能をすべての全覚素発話準人と全覚文発話アルゴリズムに搭載する法律をわずか九か月で施行させた。でも、それ以来、パシフィカは平和の道を進み始め、競っていた東京がXデーで自滅したことを皮切りに、世界最高の治安都市の名を手に入れた。パシフィカの犯罪はこうして滅びた」

「九十五点だ」

「滅びた、のところが違いますね」

「年に数件しか殺人事件が起きないってのは確かに異次元の治安だ。そんな都市は人類史上、一度もなかった。管理された全覚文に人間の行動選択を外注することで、パシフィカは稀に見る平穏を手に入れたんだ。でも、年に数件は殺人事件が起きる。統計的にはそれは無視すべき誤差かもしれないが、その本人や大切な人々からすれば、それは棄却できる問題じゃないんだよ」

「随分と、感傷的ノン・パシフィックなことを言うんですね、バークさんも」

「いいや、だからこそだ」

 バークは即答しました。クシーは首を傾げます。

「原始犯罪は非合理的ノン・パシフィックだ。パシフィカの監視網をかいくぐるなんて不可能だ。絶対捕まる。なのに、そんなものはまだこのパシフィカに巣食ってる。何故か。非合理は滅びちゃいないからさ。私はそれが許せないんだ」

「原始犯罪を一つ残らず駆逐するのが夢なんですか。何というか、憎んでいる、みたいですね」

「そうだ、の言葉を借りれば、私は非合理を――原始犯罪を憎んでる」


 誰も彼もが、殺人は自分の意志ではないと主張している――そんな例は世界の犯罪史では決して珍しくありませんが、勾留後に受けさせたAIによる精神分析の結果、彼らが四人とも自分の意志によるものではないと心の奥底から信じている可能性は非常に高いと弾き出されていました。つまり彼らは何者かに操られており、それが彼らを殺人せしめた――それはパシフィカにおいて決して珍しくない仮説ではありますが、その犯人の唯一の候補たる有害全覚文は全覚言語管理局ASLAの検査の結果、「なし」とのことでした。

 つまり、四人の犯人は自らの意志で殺人を犯し、そしてそれが自らの意志による者ではないことを心の奥底から信じている、ということになるのです。

 どこかに嘘が紛れているのは明白です。そしてバークがマハ・ユール以外の犯人と直に話す機会がなかった以上、残り三人の証言に怪しいところがないか疑うのは必定でした。


 エン・バークはまず、夜組、朝組の同僚が行った、三人の犯人への聴聞記録を見るべく、三メートル四方の再現ブース、仮想ワークステーションが並ぶ一帯へと向かいました。バークが空きブースへ入ろうとしたところ、廊下の向こうから別の黒服が声をかけてきました。

「やあ、厄介そうな事件になったねえ、エンくん?」

「職場でみだらにファーストネームで呼ぶのは控えていただきたいと申したはずです、セワン管理官」

 フランクに話しかけてきたのはバークより背は低いながら、肩幅の広い屈強そうな男性管理官シュルク・セワンです。

「やだなあ。ファーストネームも呼べずに良好な関係が築けるものですか。これだから、パシフィカンは冷淡だと外国人に言われるんですよ」

「事件を解決するのに必要なのは論理、証拠です。そこに共感が入り込む余地はありません」

 バークはそう言い切ると、セワンの脇を抜けていきます。

「本当でしょうか」

 バークが足を止め、振り返りました。

「どういう意味ですか」

「いくらパシフィカと言えど、そこに住む人間たちの思考回路は多様性に満ちている。あなたのような終身名誉パシフィカンばかりじゃないんです。彼らの動機を理解するのにはときに共感が必要なこともあるということですよ」

 バークは何も言わず、ブースに入ってドアを閉めさせました。


 バークが入るやいなや、〈リュシャン〉は何もない殺風景な部屋を聴聞室の光景へと上書きしました。

 気が付くと、バークがいた部屋にはテーブルが置かれていて、それを挟んで向かい合う形で、キリフ・アイルセンと夜組の捜査官が向かい合って座っていました。再現しているバークには感知できないようになっているものの、実際の聴聞室では第六禁文〈汝の罪を告白せよ〉が発話され、アイルセンが真相を包み隠さず話すよう誘導されていたことでしょう。

 アイルセンは二十一歳の大学生で、仮想髪と実服の色染めがなければあか抜けない見た目で、パシフィカでは見慣れない黒色の実服に身を包むPCDの課員の目つきには怯えているようでした。

 けれども、〈汝の罪を告白せよ〉がアイルセンの緊張を抑え込み、強張りを弛緩させるのに時間はかかりませんでした。間もなく、アイルセンは事件を起こしたときの心境を話し始めました。

「――ですから、本当に分からないんです。僕の中の一体どこに、あんな殺人衝動が隠れていたのか、僕ですら想像だにしていなかったし、今でも信じられません」

 アイルセンの話はその一言に尽きました。被害者は同じ研究室の学生で、無差別な殺人衝動を覚えたこともなかったとのことです。けれども、そのとき、その場所で、たまたま実験したくなり、同僚をテラスから突き落とし、その実験ノートを〈リュシャン〉に取らせている間に警察に捕まったのです。

 その彼の話は殺人犯の告白というよりも、悩める青年の恋の相談に近いものでした。

 すぐにバークは再現を終了しました。他の二人への聴聞の再現もまた同じような結果でした。


 残る二件について有害全覚文の可能性なし、との判定結果がASLAから送られてきたのはその日の夕六時を回った頃でした。そのニュースは同じ事件を捜査していた同僚捜査官を激しく動揺させたようでした。情報交換用のチャンネルに彼らの悲愴と落胆に満ちた短絡的な呟きが流れ込み、バークの視界を激しく汚しました。

 ――偶然だ。確率が低くても、ありえなくはない。

 ――純パシフィカンは自分の意志に対して無責任なんだよ。

 けれども、そこで感情的に怒鳴り返すバークではありません。激情を押しとどめ、それらの短絡的な呟きの一つ一つに理論的に、理知的な反駁を丁寧に返しました。間もなく、短絡的な意見がチャンネルを汚すことはなくなりました。

 バークが次に目をつけたのは、四人の犯人がいずれも〈ローレライ〉の影響下で殺人を遂行したという点です。原始犯罪制圧準人システム〈ローレライ〉はパシフィカのほぼ全域で常時実行されているシステムで、第七禁文〈わたしと共に歌いましょう〉の発話によって衝動的な原始犯罪を制圧します。絶えずパシフィカの街路をモニターし、ある人物が原始犯罪の遂行をしようとしている判断すると、あらゆる全覚文の発話に割り込んで、〈わたしと共に歌いましょう〉の発話によって対象の意識を一時的に奪うのです。〈ユイ〉でも全覚言語環境ASLEでも防げなかった原始犯罪を防ぐための最後のセーフティネットです。

 それでも、パシフィカから原始犯罪がまだ駆逐されていない理由は、全覚文の可読率というものが決して高くないからです。全覚文として認められている刺激はいずれも多くの人間に共通の効果をもたらしますが、万人に同じ効果を与えられる刺激はありません。それは可読率の非常に高い〈わたしと共に歌いましょう〉も同じであり、十人に一人はこの全覚文を受けても意識を失いません。

 とはいえ、四人の犯人全員がこの全覚文を受け付けなかったというのを偶然と捉えてしまうのはいささか都合がいいというものなのでしょう。バークは実際にそれを確かめることにしました。

 他のいかなる全覚文が発話されていない状況下で四人の犯人たち全員に〈わたしと共に歌いましょう〉を発話し、彼らが本当にその全覚文の失読者なのか確かめようというのです。犯人たちは皆快く協力しました。そして全員が――多くの全覚文を受話できないシャード・カルタリ含めて――〈わたしと共に歌いましょう〉を確かに受話したのです。

 バークの〈リュシャン〉の概念検索システムはすぐに文意喪失というワードを見つけました。提示されたのは三年前、とある発見で有名になった全覚言語研究者が一般向けに書いていたコラムで、『全覚文の文意喪失と文意創発』というタイトルでした。

 そして、その著者の名はこうありました。

 武田洋平。

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