11杯目


 すっかり風邪は治ったけれど、久しぶりに夢を見た。幼い頃から、何度も見ている夢だった。唸ったところで、ルピナスに鼻をつままれて、びっくり半分飛び上がった。素晴らしい目覚めというには難しくて、あくびを噛み殺していたせいかもしれない。







 土人形を動かして、一つ一つ、丁寧に庭を見て回る。日時計を綺麗にして、禿げ上がった木々が順番に、どこまでも並んでいる道を歩いた。ざくざく進んだ。遠い先には、小さくお城が見えている。ぼんやり見上げて、白い息を吐き出したとき、きゃらきゃらと楽しげな声が聞こえた。ガゼボでは、お嬢様方がお茶会をしていらっしゃる。



 アゼリアの肩に乗っていたルピナスと目を合わせた。さっさと逃げねば、と互いに声もなく目で語ったものの、「社交界の騎士様は」 聞こえた単語が気になって、ぴたりと足を止めた。もしかすると、と思ったら、やはりだったらしい。



 彼女たちははっきりと言葉にはしないけれど、ディモルのことを楽しげに噂していた。一緒にいた土人形は、アゼリアがおろついたものだから、すっかりもとの土に戻ってしまった。「アゼリア、はやく行きましょ、ほら!」 ルピナスがそう言っているのに、一歩を踏み出して、やっぱり戻ってを繰り返しているうちに、勝手に声が聞こえてくる。



「そろそろご年齢も、というところですからね。この間の夜会でお話しさせていただきましたけれども、噂よりもずっと紳士でいらっしゃって」



 そろりと頭だけ出して、生け垣から覗いてみる。茶会の参加者はどこからか立派なテーブルを持ってきていて、ぐるりと座って優雅に紅茶を楽しんでいた。周囲ではメイドたちが気配を消すように、そっとお茶菓子を運んでは消えていく。彼女たちを見る度に、アゼリアはどきどきした。先代のときならばともかく、アゼリアが作った庭を、彼女たちは気に入ってくれるだろうか。もちろん、彼女たち以外の誰からも愛される庭にしたい、とも思っていた。



 しかし色とりどりのドレスに身を包んだ彼女たちからすれば、庭の風景よりも、甘い噂話に夢中だった。ディモルと話をした、と言っているのは、水色の瞳をした少女だ。彼女の言葉に、まあ、と少女たちはゆったりと口元を隠すように声を出した。



「紳士だなんて、あらいやだ」

「本当に、お話をしただけですのよ?」



 と、言うわりには、ディモルと話をしたと言う彼女は勝ち誇った顔をしている。普段の彼を見ていると、すっかり忘れてしまいそうなのだが、彼は噂には事欠かない男性だ。「それを言うのでしたら、私だって」 赤髪の少女が、合間にするりと潜り込むように、自身の声を主張する。「声をかけていただきましたの。何かと思えば、綺麗な髪だねと」 今度こそ色めきだった雰囲気で悲鳴が上がった。驚きやらの声を可愛らしく抑えた声だったが、様々な思惑が混じり合っていた。



「静かになさいな」



 だというのに、ピンクブロンドの少女の言葉一つで、ぴたりとその場が静まり返った。アゼリアよりも少しばかり年上というところだろうか。ふわふわとした可愛らしい髪型なのに、顔つきは凛々しくて、この場の中心にいるようだ。「申し訳ございません、バーベナ様」 慌てて、顔を伏せた少女達を代表するように、一人が声を出した。



 バーベナ、という名にも聞き覚えがあった。ディモルに出会う少し前に、雪かきをしようとスコップを抱えていたとき、南の道で出会った少女の一人だ。下手くそな影、と言われたことを思い出して、顔が赤くなってしまった。きっと、彼女がこの中で一番身分が高いのだろう。彼女はセプタンス、とも呼ばれていた。この国の公爵家の名字の一つ、ということも、どこかの茶会で耳にしたこともあった。



 よくよく見ると、バーベナと呼ばれた少女の隣には、その場には似合わず、うずたかくお菓子が積まれている。それがみるみるうちになくなって、消えていく。ぴょこん、と飛び出したのは小さな妖精だった。いや、もしかすると妖精ではなく、精霊なのかもしれない。さあ、どんどんもってこい、とばかりに腕を動かして、周囲のメイドに主張している。セプタンス家についている、精霊だろうか。



 その姿を見た瞬間、ルピナスは口を一文字にして、そっとアゼリアの背中に隠れた。

 なんにせよ、これ以上きいていても仕方がない、とこっそりと消えてしまおうとしたとき、覚えのある匂いをかいだ。



「それはそうと、もしよろしければ。庶民の間ではやっているものですので、皆様のお口にあうかわかりませんけれど」



 たまにはこんな趣向も面白いかと思いまして、と一人の令嬢が、パチリと手のひらを叩いたところ、するするとやってきたメイドが、おかわりの紅茶を持ってきた。花を入れたカップからは、ほっとする匂いがする。ついこの間、ディモルと一緒にかいだ香りだ。アゼリアが作っている茶葉だった。まさか彼女たちが口にするとは思わなかった。



「ほんの少ししか出回らない、と評判になっているそうですよ。まあ、味は値段に相応するでしょうが、たまにはと思いまして」



 ドキドキした。ルピナスと一緒に息をひそめて、じっと見つめた。怖くて、期待して、おいしい、と言ってくれたら嬉しいと思っている自分に気づいて、少しだけ恥ずかしくなった。ただの趣味と言えど、やっぱり誰かが喜んでくれたら嬉しい。彼女達の言葉を待った。



 結論として、まずいとは言われなかったものの、おもしろいわね、との一声で終わってしまった。


 ほっとしたような、残念なような。アゼリアはゆっくりと息を吐き出したとき、「誰かいるわ!」 ぎくりと肩を跳ね上がらせた。すっかりと、気配を消すのを忘れてしまっていたのだ。

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