10杯目

 彼らは城下の子どもたちなのだろう。親の手伝いからやっとのことで解放されて、僅かな時間を近所の子供を連れてやってくる。冬で、いつもよりも閑散としている庭園は、彼らの格好の遊び場だった。いや、冬など関係なく彼らはアゼリアを見つけると、「ぎゃあ!」と叫ぶ。



 庭園で影を見ることはひどく不格好なことだ。庭の管理をするものが、表に出てはいけない。そんな常識から、いつの間にやら、見つけると、『目が汚れる』と言い表されるようになった。


 貴族にとって、平民が人ではないように、平民からしてみれば、影も人ではありはしない。



 その上、アゼリアは不思議な瞳を持っているから、とにかく姿を隠さなければいけなかった。なのに子供と言えば好奇心が旺盛で、庭園でこんなローブを羽織って姿を隠しているのはアゼリアくらいだから、「お前、影だろ! 汚いな!」「真っ黒い! 怪しい!」 言いたい放題である。



「い、いや、えっと、その」

「アゼリア……なんであなたはほんとにもう」



 必死に肘で瞳を隠して、あわあわと片手を振った。ゆっくりとした時間だからか、ディモル相手ならきちんと話すことができるのに、囲まれてしまってはたまらない。「いっぱつめーーー!!」「ふんぎゃっ!?」 砲弾が投げられた。雪玉がばこりと彼女のローブにぶちあたる。



 逃げ切ることができれば一番なのだが、中々うまくいかないし、万一瞳が見られてしまう可能性もあった。アゼリアの瞳は、見るものを怯えさせる。幼い頃はこうではなかったから、未だにどうしていいのかもわからない。二発目、三発目、と投げられる度に、覚悟を決めた。「また、ダンゴムシが出たぞーーー!!」 



 見かけよりも機能性を重視して、雪の上に土下座のようにうずくまって、体を小さくさせてみた。子どもたちを相手にすると、毎度このパターンである。



 万一のことがあってはいけない、と瞳は強くつむった。子どもたちがアゼリアに突撃する度に、彼女は同じような体勢を作った。なのでダンゴムシ。誰が言い始めただかは知らないが。虫嫌いのルピナスは、その呼び名を聞く度に怒り狂った。



 動かなくなったアゼリアを的にするように、さらに幾度も雪玉が投げつけられた。彼らはきゃあきゃあと楽しげに、足元の雪をすくって、丸める。冷たい塊が、べしゃべしゃとアゼリアの頭やら、体やらにぶつかった。大した痛みではない。そんなことよりも、ルピナスの怒りの声が激しくて頭よりも耳を隠した。



「あんたらの方が汚いわよぉーーーー!!! この鼻垂れども!」



 もちろん、彼女の声は聞こえていない。

 動かない的にも飽きたのか、しばらくすると楽しげに子どもたちが去っていく。



「私、やっちゃっていいかしら?」



 十分に子どもたちが離れたことを確認して、アゼリアは苦笑した。立ち上がると、小さな体を震わせながら、ルピナスの瞳がギラギラと剣呑に光っている。「いやいや」 思わず苦笑しつつも、服の隙間に入り込んだ雪を払った。すっかり体が冷えていた。



「いっつもいっつも思うんだけど、アゼリアはもっと怒っていいと思うの! どうかと思うわ!」

「ルピナスがかわりに怒ってくれているから」



 ぷっくりと頬を膨らませた姿を見るに、まったく納得していないらしい。「そりゃあ、私だって、どうかしら、と思うことはあるけど」 彼らにではないけれど、最初に水をかけられたときはびっくりして、驚きと一緒に涙が溢れそうになるのを、必死で噛み締めたことがある。まだまだ幼かったのだ。



「私は庭師だし、影だし、ちょっと冷たいのを耐えることくらい、どうってことないよ。それに、大事なことは一つきりだから、あの子達に何を言われたって気にもならない」



 アゼリアには、とてもとても、大事にしているものがある。


 それは彼女の内側にあって、誰にも見せたことはない。とっても特別なことだ。ルピナスは八の字眉毛でアゼリアを見上げた。「まあまあ」 気にしないで、と言われたところで、彼女はやっぱり気にするのだろう。それがありがたくもあった。ルピナスはアゼリアと生まれたときから一緒にいるわけではないけれど、やっぱり一番の友人だ。



「それより、まだまだ仕事が……ぐしゅんっ」

「いやだちょっと」

「くしゅん、ぶしゅんっ!」

「アゼリア、だから言ったでしょ、それよりもっとかわいいくしゃみをして!」




 ***




「くしゅんっ! す、すみません」

「いや、謝らなくてもいいけれど」



 ディモルが青い瞳をまんまるにしていた。

 本日の茶会は、曇り空だ。星の一つ見えやしない。ディモルはよくよく空を見上げる男だった。いつもどこか嬉しげで、ときおり、指をさして、ひとつひとつ、星の数を数えていく。頭の上にはたくさんの星があるものだから、すぐに数がわからなくなってしまって、照れ隠しをするように口元を拳で隠していた。そんな彼の姿を見ると、アゼリアはどこか胸の内が熱くなるような、不思議な気持ちになった。



 でも残念ながら、今日は月も見えなくて、丸いテーブルにぽつんとのったランプの明かりが、ゆっくりと手元を照らしてくれた。



「くっしゅんっ!」

「……風邪でもひいたかな?」

「すみません、本当に」



 アゼリアは立ち上がって、彼から離れた。大したことない、と思っていたのに、うつしてしまったら大変だ。「い、いやいや。寒いだろう」 ディモルは慌ててアゼリアの片手を掴んで引っ張った。椅子とテーブルには、大地の精霊の加護がある。座っていれば暖かいが、立ち上がれば途端に冷え込む。ひゃっとアゼリアは小さく悲鳴を漏らした。勢い余って、ぱさりとフードが落ちてしまった。真っ白な頬と菫色の瞳が覗いている。



 互いに目を合わせて、なんとも言えない沈黙だった。瞳をそらしたのは同時だ。二人とも椅子に座って、体ごと背中を向けてしまった。いまの、なによ! と叫んでいるルピナスのお口はそっと閉じた。



「今日は、もう帰ったほうがいいだろうね。体調の悪いときにすまなかった」

「いえそんな。私が、その、雨に……濡れてしまったので」



 雪玉をぶつけられた、というのはさすがに言えない。「雨は、とても苦手で」 呟いたところで、ディモルがそっとアゼリアを見つめていたことに気がついて、落ちたフードを慌ててかぶった。やっぱり少し気まずかった。





 お大事にね、というディモルの言葉に頭を下げて見送ったところで、温かいお湯の中に、たっぷりの生姜をすっていれた。甘さは、はちみつで調節する。今日のお土産に、とディモルがくれたものだ。生姜はぴりりと少し辛いけれど、はちみつの甘さが包んでくれる。ほかほかとした気持ちでベッドの中に潜り込んで、空を見上げた。サイドテーブルにのせたランプの光が、ゆらりと揺れた。



 いち、にい、さん。



 もちろん、天井があるものだから、本当は何も見えないけれど。


 星の数をかぞえてみたのだ。何をしているんだか、と自分自身苦笑して、キルトに顔を押し付けた。葉っぱのベッドに入ったルピナスから、小さな寝息がきこえてくる。ほかほかと暖かいから、きっと明日には治っている。

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