8杯目
「なあ、ストック、うまい菓子屋は知らないか? できれば手頃なものがいいんだが」
真面目くさった顔つきで、端正な顔をこちらにじっと向けてくる友人を見て、ストック・メーヴルは幾度も瞬きを繰り返した。気の所為だろうか、ともう一度ディモルをまじまじと凝視したが、特に何も変わらない。「うまい菓子屋は」 その上繰り返し始めた。
「いやいや待て待て」
ストックは、そっと両手を突き出した。ディモルはたしかに男前ではあるが、あまり近づかれると圧が辛い。ストック自身も決して見栄えしない見かけというわけではないが、あちらは群を抜いている。
「うまい菓子屋を知りたいんだが」
「落ち着け」
待てと言っているだろうが、と再度重たく声を落としたところで、周囲からは、ぶるぶると鼻を鳴らす音が聞こえる。ディモルの背後では、これはまた暴れ馬と名高い黒馬が、がしがしと蹄を鳴らしている。腹を減らしているのだ。それを皮切りにぶしゅぶしゅ、じたばた。音やら鳴き声やらが重なった。厩舎である。
騎士団の厩舎となると、そこいらの馬小屋よりは立派ではあるが、それでも敷き詰められた馬達は文句があるとばかりに足踏みを揃えて暴れだすし、こちらの事情で待ってくれるはずもない。
「とにかく、その話は馬の世話をし終わってからにしてくれないか?」
足元のバケツを指差して、ストックは呆れたように口元を笑わせた。彼はディモルの、数少ない友人である。
***
ストック・メーヴルは燃えるような赤髪で、つり目がちな青年だ。一見すると剣呑な顔つきのように見えるが、実際のところはとっつきやすく面倒見だっていい。彼らは古い知り合いというわけではないが、城仕えするようになり、訓練場に顔を出しているうちにいつの間にか軽口を叩きあう仲となっていた。
ストックはディモルが夜の記憶をなくしてしまうことなど知りはしないが、女好きであるとして浮き名を流しているそれが、ただの勘違いであることは知っている。初めて聞いたときは腹を抱えて彼は笑った。
「はいよ、どっこいしょ」
いくつめだかわからないバケツを幾度も往復して餌をやって、厩舎の掃除をして、ついでにブラッシングをしている様を見ながら、「ストック、お前はなんでまた馬の世話をしているんだ?」 尋ねにきたはずが、ディモルは逆に問いかけていた。彼は決して馬小屋の管理役ではなく、れっきとした騎士である。ただし、身分は下から数えた方が早いし、ディモルのように王太子の警護役ではなく、城下の警邏役だ。
身分も立場も違うが、馬が合うのだから仕方がない。まあ、今は馬の前であるが。
「警邏役に、訓練場を使わせるのはもったいないだと。役に立つことをするのなら検討させてやる、とのことだからな」
「誰に言われた。名を教えろ」
「やめとけやめとけ! お前だって目をつけられてるだろう」
目立つ外見もさることながら、王太子の“お気に入り”であるディモルも、何かに付けて面倒を言われることも多い。
「いやしかしな」
「別に、これくらい大したことねえさ。転職したっていいくらいだが、じいさんが泣くからな」
ストックの実家は、一代限りの騎士階級を得ている。彼は厳密に言うと騎士ではないし、精霊の守りもない。彼の祖父は平民からの叩き上げで、戦争にて武勲を残した英雄だ。そういう時代もあったのだ。
「ああそうだ、お前を探して子犬がやって来たからな。首根っこを掴んでお家に帰しておいたぞ」
「ふ、不敬だぞ……」
「ただの子犬の話だ。誰が、どうとは言っていない。それよか俺は馬の相手をせにゃならん」
さっさと許可をいただきますかね、と腕まくりをするストックを見ていると、強がりを言っているわけではないことくらいわかった。本人がそういうのであれば、外から口を出すことも無粋だろう。まあ、自身になんの力もあるわけじゃないが。まったくもって、僕は口先だけの軽い男で、何もできず、精霊の守りがあると勘違いされているだけで、本当は呪いつきの夜に役の立たない男である、とずんずんとディモルは埋もれていく。周囲ではぶるぶると馬が笑っていた。いや、よく見ると鼻を鳴らしているだけだった。
「僕は本当に、なんの役にも立たないだめな男だ……。多少顔の作りがよくて家が金持ちで位があるだけの、ただそれだけのありきたりな男だ」
「十分じゃないか?」
「ところで僕も手伝ってもいいだろうか。バケツ運びは任せてくれ」
「さっきから何回も断らせてもらってるとこ悪いが、もう一回言っとくぞ。そこに座っとけ」
ざっくばらんな対応である。
いそいそと座り込み、ぼんやりと厩舎の天井を見上げた。もちろん、空なんて見えやしない。目をこらしたところで、梁が見えるばかりである。
ディモルが記憶にある空は、いつも真っ青で、違ったとしても多少の曇り空なくらいだ。
とっぷりと日が沈んで、きらきらと光る星空や、まんまるのお月さまなど、彼にとってはおとぎ話のようだ。この国では日が長く、見ることができたところでほんの一瞬。朝早く起きてみても、なにか違うような気もするし、せめてもと目にした光景を必死に日記に書くものの、後で読んだ自分としては首をかしげるばかりである。
結局、文字では何にも表せないのだ。
日の入りが短い、遠い他国へ渡れば、それなりに夜を満喫することができるだろうが、ただの自分の我儘で、そんな力技を行うわけにもいかない。
「なんだ、また沈み込んでいるのか?」
仕事を終えてやってきたストックが、呆れ声を出したところで、ディモルは慌てて立ち上がった。ひっそりと体育座りをしている場合ではない。「まあ、お前は男前なくせに、後ろ向きなやつだからな」 ぐさりと刺さった。「社交性があるのか、口下手なのかいまいちよくわからないし。距離感が下手くそだよな。女が勘違いをしても仕方ない」 埋まった。馬が笑っていた。
「僕は……本当に、何にもできない男なんだ」
正直、少しばかり泣けてきたような気がする。妹の方がよっぽどしっかりしているし、言葉を使って平手打ちを行ってくる。外側ばかりで、伯爵家のくせに妖精の加護もないことをごまかし、口ばかりで生きている。それはまるで、“精霊に呪われてしまった祖先”のようだ、と考えたあたりで辛くなった。
ディモルがすっかりうずくまっている最中、ストックはただただ笑っていた。「お前が、何もできない男だってか」 何がおかしいのか、ディモルにはわからないが、なんにせよこうしている場合ではない。元の目的を果たすべきだ。
「それでストック、菓子屋を教えて欲しいんだ。僕もある程度覚えはあるが、君の方が街は詳しいだろう」
「なんだ、国の長を守るものとして、自身の街すら知らぬことは恥だと、休暇を使って見て回っていたじゃないか」
「……だから、口先ばかりなんだ。菓子屋は目に入っていなかった」
こんなときになるまで、そのことに気づいていなかった、とディモルは恥じた。なるべく、入念に見回っていたつもりだが、やはり意識が薄くなるところはできてしまう。実際のところ、女性が集まる場所は無意識に足を向けることを戸惑ってしまっていた。また新たな噂ができてしまってはたまらない。
「ははあ」
ストックは面白げに口元をひっかいたが、「まあいいさ。手頃なものがいい、と言っていたな。つまりは、相手が重たく感じない程度の値段で、それでもうまくて、女性が喜ぶようなものということか」「そうだ女性が……ではなく!」 さすがに気恥ずかしさがあったため否定したが、ストックの心には響かない。決定事項のままに続けられる。
「俺に相談したということは、すでに何度か贈ったあとだな? それでネタがつきてきたと。それならもう菓子はやめて、いっそのこと花はどうだ? この季節だ。ありきたりな手だが、多少は珍しくもなるだろう。いい花屋を紹介するぞ。精霊もちの貴族の子飼いの店なんてどうだ」
「いや、花はな……」
まさか相手が庭師なのだ、とは告げられない。ディモル自身は、彼女が庭師で、影であることなど気にはしないが、彼女に迷惑がかかってはたまらないし、夜のことはなるべく口にはしたくなかった。
しかし、たしかに茶会と言えど、何度も菓子ばかりを贈るのはいかがなものか。手土産だと考えれば間違いではないが、こちらの心情の問題だ。ありきたりだと考えられていたら、と日記の記録を思い出して、ディモルは唸った。
そんな困り果てた彼を見て、ストックは、それならば、と一つ知恵を貸してやった。なるほど、いいかもしれない、とディモルは瞳を輝かせ礼を言ったが、やはり少しばかりの居づらさを感じていた。そのまま黙って逃げてしまえばいいものの、やっぱりむずむずとする口をごまかすことができなかった。「なあ、ストック」「ん? どうした」 赤髪の騎士が首を傾げる。
「君は、相手は誰だと聞かないんだな」
もちろん、聞かれたところで口を割る気など毛頭ないのだが。
ストックは少しばかりつり眼がちの瞳を見開いて、それから吹き出すように笑った。そのまま逃げてしまえばいいものを、下手な彼の真面目さを面白くも感じた。ディモルはストックを不思議に見ていたが、「悪い悪い」と赤髪の青年は片手を振った。「そりゃあ、当たり前だ」
なんてこともないような、そんな声で、ストックは告げた。
「誰だって、隠しごとの一つや二つ、あるだろうさ。人間、そういうものだろう?」
***
いらっしゃい、こんばんは、と交わすのはいつもの言葉だ。彼女が外のテーブルにいない日は、小屋の扉を叩いても大丈夫、と日記に書いてあった。ディモルは少しばかり息を飲み込んで、木の扉を軽くノックする。乾いた音が、静かな夜にしんと響いた。
はい、と返事をして出てきてくれたのは、恐らく“彼女”だ。もちろん、彼だって緊張している。それを隠して、いつものふりをするように笑った。彼は夜の自分を覚えてはいないから、いつも必死に“ディモル”を作っている。それに気づかれないことを祈っているだけの情けない男だ。
土産とばかりに渡したものを見ると、彼女は首を傾げた。相変わらず重たいフードをかぶっているものだから、顔つきは分かりづらいけれど、吹き出したように笑った、ような気がした。食べ物ばかりでは芸がない、とのことで、今度は紅茶を買ってみたのだ。少量の取り扱いしかない、女性に人気の品ときいたのだが、外してしまっただろうか。
やっぱり自分と言うやつは、と出てきそうなため息を必死で飲み込んだ。こっちが勝手にやって来て、わざわざ彼女の時間を使ってもらっているのだ。暗い顔を作るわけにはいかない。
とにかく、本当の彼はいつも必死だった。
***
さて、ディモルは知るよしもないことだが、実のところ、彼が持ってきた茶葉は、アゼリアが街に卸しているものだ。庭師としての給金は十分にもらっているし、ときおりお茶の道具を新しくして、茶葉を購入してとするくらいで、自身の装いにも無頓着な彼女は金に困っているわけでもない。ただの趣味、と言えばいいだろうか。
紅茶は湿気に弱く、新鮮さが命だ。なるべく密閉して、暗所で保管するために古いキャディボックスを使用しているが、彼女一人と、妖精一匹が消費するにも限度がある。茶葉を作ったはいいものの、余らせてしまうばかりで、さて、どうしたものかと考えて、ある日街に出ることにした。大勢の人の中で肩身を小さくさせて、ひっそりと影のように歩いたとき、がんばりなさい、と応援してくれるルピナスの声が、とても心強かった。
さて、そんな彼女が卸す茶葉は、意外なことにも評判がよかった。それからときおり街に出て、少量を売るようになったのだが。
ディモルがアゼリアに差し入れたのは、くすんだ青い花の蕾である。事情を把握したらしいルピナスは、「馬鹿な男ね」とふんと鼻で笑っているものの、アゼリアは何も言わず、二つのカップの底に、そっと蕾をのせた。蕾が壊れてしまわないように、熱くなったお湯をそうっと流し込む。一枚、二枚。
みるみるうちに鮮やかな色合に代わっていく。ゆっくりと花開いたその姿に、ディモルは感嘆の息を吐き出した。
「これは……綺麗だなあ」
偽りのない言葉だと思った。自分が作ったものを見て、彼が喜んでくれている。知らずとは言え、なんだかくすぐったい。
それから、嬉しかった。ルピーのようにきらきらした水面は、まるで夜空が閉じ込められているかのようだ。
「これはとても、温かいですねぇ」
「本当に」
どちらともなく、ゆっくりとカップに口をつけた。それから、おいしい、と二人の声が合わさった。今日の茶会も、もちろん成功したんだろう。
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