5杯目
パチリ、と両手を合わせた。
アゼリアの何倍も大きな樹木だ。頭はすっかり禿げ上がっていて、寒々しい。必死に掘り返した土は、今は雪に埋まってしまっている。
――――今日も、何事もなく平和でありますように
日課のような祈りとともに、報告の言葉も告げた。ひどく男前な、金髪の騎士がやって来ますよと。
「教えてくれていたらよかったのに」
そうすれば、アゼリアや青年だって驚くことはなかった。しかし、彼の秘密を守っていたのかもしれない。
先代の墓に手を合わせたい、と言ったディモルを連れてきたのは、この大きな樹木の前だ。墓標など何もいらない。ただ捨て置いておけと、そう言い残して去った老人を、まさかそのままとするわけにもいかず、アゼリアはゆっくりと彼の墓をほった。まだ、本格的に冬に入る前のことだ。
譲り受けた土人形を使えば、あっという間に終わることはわかっていたけれど、どうしてもそうする気になれずに、肌寒くなってきたはずが、全身を汗だくにして大きなスコップを硬い土に滑り込ませた。ひどく重たい感覚であったことを覚えている。
顔すらも覚えていないという老人の墓に頭を下げるディモルは、一体どんな面持ちであったのか、アゼリアには想像もつかない。ただ、とても静かな時間だった。手袋をしていてもかじかんでいくような、寒い夜だった。
今は頭の上には少しばかりの太陽が昇っている。
それだけでも寒さは和らいで、日中の作業もしやすくありがたい。
「私はそろそろ南の作業にも慣れてきたところでして。というのはまあ、口先だけなんですけど」
「……アゼリアって、あの人がお墓に入ってからの方がよく喋るわね?」
「……否定しないし、木が返事代わりに枝を揺らしてくれるから、話しやすい、というところもあるよ」
口下手が二人そろうとただ面倒だということだ。特にアゼリアは、不可思議な瞳があるから、人と目を合わせて話すことができない。
「あの金髪の色男、今日も来るのかしら」
ルピナスが小さな頬を必死に膨らませて、不機嫌な顔をしている。「どうかな。わからないけど、そろそろ来るかもね」 あれから何度か、ディモルはアゼリアの家を訪ねた。とは言っても、扉をノックするわけではなく、外でぼんやり茶会をしているときに、生け垣向こうで、雪まみれの頭をそのままに、「やあ」とこちらに手を振るのだ。
「あんな夜中に、非常識よ! 婦女子の家だってのに、二人きりで!」
「そこまで夜というわけではないし、ルピナスがいるじゃない」
「私の姿はあなたにしか見えてないんだから、結果は同じよ!」
「確かに」
「すぐに自分を曲げて納得をしないで!」
それがあなたの悪い癖なんですけど! とぽこすか殴られたところで、ちょっとばかりちくちくするくらいだ。
「あの人は、大丈夫よ。ルピナスが心配することなんて何もない」
うんうん頷きながら、おっとりと声を落としたところで、妖精はあんぐりと口を開けて、呆れたような顔をしていた。「なにか、言いたいことがあるのかな?」 一応聞いてみると、じっとりとした瞳でこちらを見ている。「もしかしてなのだけれど、あいつが特別だから?」 彼女の言葉に、アゼリアは、うーん、とどうしたものかと返事を考えた。
「だってアゼリア、いつもは人と話すことだってできないのに。あいつには違うじゃない」
「おかしな目があるからね。私は人を不快にはさせたくはないよ」
「確かに、あいつはアゼリアと目を合わせても、なんともならないけど!」
でもでも、とルピナスはふわふわの髪の毛を振り回して、ついでに羽根と一緒に両手を必死に暴れさせた。「だめなの!」 とにかく彼女はディモルが気に食わないらしい。カッと瞳を見開いて、「あいつはだめ!」 最近では、いくら言ったところでアゼリアに聞く気がないものだから、夜は顔も見たくないとばかりに消えてしまう。その分昼間は抵抗する。
「あんな尻軽男、私は嫌よ! 許せないわ、女の敵は、消え失せるべきなのよ!」
散々な評価である。
ディモル・ジューニョと言えば、たしかにアゼリアの言う通りに、泣かされた女はいかほどかと噂される青年だが、「やあ、この間ぶり」と言いながら相変わらず朗らかに片手を上げてやってきた青年は、ただの人懐っこい血統書つきの小型犬だ。これはあくまで雰囲気の話で、整いすぎているという点を除くと、いたってまともな外見だが。
「今日は少しばかりいいものを持ってきたよ」
そう言って、アゼリアの小さな手にのせた可愛らしい包みの中身はマロンのタルトだ。夜中に食べるには、少々罪悪感はあれど、少しばかりなら、と誘惑に打ち勝つことはできなかった。
「人に持たされたんだけれど、きっと君なら喜んでくれるだろうと思って」
ちなみにそういう青年であるが、彼からしてみればアゼリアは初対面のはずである。いくらメモに残していようと、自身の記憶の違和感は拭い去れないに違いない、と思うのに、毎度距離の詰め方が素晴らしい。色男と言われる所以なのだろうか。ルピナスは舌打ちをして、ふよふよと小屋の中に消えていった。
ありがとうございます、と頭を下げながらも、アゼリアは毎度の重たいローブを羽織っている。いくらディモルがアゼリアの瞳を見てもなんともならないのだとしても、やはり気になるものがあるし、人と顔を合わせて会話をするということもひどく慣れない。
毎日書いているというディモルのメモには、一体アゼリアがどんな姿で書かれているのか、少しばかり気になった。黒尽くめ、だとか、怪しい、だとか。いくらでも単語は思いついたが、これ以上は想像すると傷つくばかりなのでやめておいた。
それから甘い食べ物を食べることはあまりなかったものだから、彼の手土産にどんな紅茶を出せばいいのかわからなかったけれど、困って出した茶葉のみの、何も付け加えずに出したストレートティーでも、不思議なことにタルトとはよくあった。ごろごろした栗の感触がアゼリアの頬を幸せにふくらませる。
「おいしいねえ」
「本当に」
古ぼけた椅子に座って、二人で一緒に月を見上げた。
なぜディモルが、アゼリアとの茶会に付き合ってくれるのか、正直なところ彼女にはよくわからない。帰宅途中での寄り道、という理由が一番だろうけれど、他に想像するとすれば、先代と同じく秘密を打ち明けられた仲間なのだと思われているのかもしれない。彼の重たい荷物を、こんな少しばかりのことで軽くすることができるのなら、アゼリアにとって、それはとても喜ばしいことだ。
「ジューニョ様、おかわりはいかがですか?」
「ディモルでいいったら。言いづらい名字だし、他には誰もいないわけだし」
「はあ、ディモル様」
これもすでに何度めかのやり取りである。やはり人との距離の詰め方が絶妙だった。アゼリアからはまったくもって欠落している才能だ。
にこり、と彼が無自覚に笑いかける姿を見て、一体何人の令嬢達が心を躍らせたり、狼狽したりと心を忙しなくさせたことやら。アゼリアには関係のない話なのだが、ご令嬢達の噂は、やはり確かなことなのかもしれない。
「それにしても影さん、そろそろ君の名前を教えてくれないかな」
「影は影ですので。名前などございませんとも」
「そ、そうなのか?」
「いえまさか。ただの冗談です」
「分かりづらいな!?」
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