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 週末の昼下がり、自室でお下がりのパソコンを使って動画サイトにあたっていると「新種の生物??黒石川に現る!!」というタイトルを見つけた。子どもだけの秘密を侵された面白くなさと、大人にも認めてもらえた誇らしさが混じりながら、サムネをクリックした。

 蝶番が軋む音がした。半開きになっていたドアを、妹が両手で押し開けて、興味津々の様子で近づいてきた。僕は画面を伏せて、妹のほうへ向き直った。

「パソコンはダメって、お母さんたちに言われてるだろ」

 拒絶の姿勢を見せるやいなや、妹はぐずりはじめた。親と妹を素早く天秤にかけると、妹にうなずいてみせて、ドアをきっちりと閉めた。

 幸いにも、動画はペアレンタル・コントロールに引っかからなかった。夜に街頭の明かりだけを頼りに撮影したらしく、画面は暗くノイズばかりで、はじめは何も見えなかった。撮影地点の雰囲気は、僕たちの観測地点とよく似ていて、上流か下流かは分からなかったが、そんなに離れた場所ではなさそうだった。

 始まった直後にカメラがズームして「花びらに注目」という字幕が出た。花びらが、なにか大きな石を避けるかのように、二つに分かれて流れていた。分かれはじめるポイントは動いていて、やがて花びらは分かれるというよりむしろ、せき止められるような動きに変わった。

 そのことに気づくと、街灯の明かりが弱いせいでノイズにまみれた、クロちゃんの体に気づけるようになった。Uターンを終えて遠ざかっていく様子をしばらく撮影したあと、フェードアウトして動画は終わった。

 ネタ扱いが大半のコメント欄を読み始めたとき、妹は二足歩行をやめて、ずりっ、ずりっと床を這い回っていた。

 次に「黒石川定点カメラより転載」という動画をクリックした。下流にある定点カメラの日中の映像らしく、平泳ぎをしているようにも、川底を蹴って飛び跳ねているようにも見える例の動きがはっきりと見てとれた。もちろんこれも、ネタ扱いだった。

 ちょっと検索して定点カメラのライブ中継に飛ぶと、中継はさっきの動画と同じ画角だったものの、映っているのは水鳥だけだった。

 その日の夕食で、食事をあっというまにたいらげた妹がまた、ずりっずりっと、足を大きく動かしながら床を這い始めた。

「ハイハイはもう卒業したと思ったんだけど」

「もしかして水泳のマネじゃないかな。テレビで見たとか」

「テレビはあんまり見せてないつもりだけど」

「将来は水泳選手かな」

「平泳ぎかしら。クロールじゃなさそうだし」

「近所に水泳教室があったろ」

「まだ早いわよ」

「ああ、うん」

「とりあえず、床掃除はちゃんとしないとね」

 僕が黙ってご飯を噛んでいる間も、妹は床を這い回っていた。


 休み明け、一時間目の理科が終わって、先生が教材を片付けるために教室を離れた。その僅かな隙に、僕はハカセと怪獣マニアに耳打ちした。

「動画サイトに、クロちゃんのがアップされてた」

 二人はすぐに食いついた。

「誰が撮影したんだ?」

「動画はたくさんあるの?」

「いや、二つだけ。でも一つは、黒石川のカメラの録画のパクリだから、きっと本物だよ」

「CGで作ったインチキってことはないかな?」

「うーん、どうだろう」

 提出された疑問を検討してみたが、なんともいえなかった。ハカセは、首をひねって眼鏡をハンカチで拭いていた。でっちあげの映像かどうかという疑問のなかには、この件を自分たちだけの秘密にしておけるのかどうか、という疑問も混ざっていた。たとえ、渦中の存在が、白昼堂々、人目を気にしない様子で自分の姿を晒していたにせよ。

 そんななか、得意げな笑顔を隠しきれずに、怪獣マニアがランドセルのなかに手を突っ込んでいた。

「実は俺も撮ったんだ。土曜日に」

「マジ?」

「本当?」

「本当だよ。ちゃんと見せるから。次の休み時間に、体育館裏に集合な」

 僕たちは頷いた。いつもより長く感じる二時間目の授業を終えて、長い休み時間がやってくると、体育館裏に走った。

「ちゃんと映ってるだろ。親父のデジカメをこっそり持ち出すのは大変だったんだぜ」

 怪獣マニアが見せてくれたのは、ほぼ真上から、画角いっぱいにズームしてとった写真だった。この写真のおかげで、いくつかの新発見がもたらされた。

 いつも水面上に突き出ている象の鼻みたいな器官には穴があいていて、どうやら本当に鼻のようだった。キックを終えて伸び切った下肢の先端には水かきがあった。一番の驚きは、眼が見当たらないことだった。クロちゃんは眼を使うことなく、護岸や石をよけていたらしいということに、僕とハカセは思わず声を漏らした。

「なにか食べたりはしなかったかい?」

 ハカセの質問に答えようと怪獣マニアが口を開きかけたとき、他の生徒たちの歓声と足音が近づいてきた。

「三枚だけなんだ」

 怪獣マニアは、僕たちの手に写真を押し付けて、その場を走り去った。


 しばらく続いた春雨がやんで、桜の花もほとんど散ったある日、橋の上では、既にかなりの規模の観測隊が形成されていた。

「おーい」

「僕たちも混ぜて」

「今日こそ俺が一番乗りだ」

 こうして僕たち三人は、いつからともなく始まった、クロちゃんを誰が一番はじめに見つけるかの競争に参加した。小学生だった僕たちは春寒をものともせず、動いているものはないか、波が生まれてないか、川面にじっと目を凝らした。

「いっちばーん」

「あそこだ」

「俺のほうが早かった」

「うそつけ」

 残念ながら、叫んだのは他のクラスの子だった。この競争で、一番乗りを自称するものが複数人現れて一悶着おこるのは、いつものことだった。

 僕は、はじめのころこそ一番手の名乗りを上げたが、いつのまにか周りに遅れを取るようになり、やがてはその結果にもこだわらなくなった。

 知らない誰かがランドセルを下ろして、片手を突っ込んでいた。少しすると、彼のいる場所を起点にして、歓声の代わりに静寂が広まり、一種の緊張感が伝わってきた。背伸びをして見ると、出てきたのは携帯電話だと分かった。校則で禁止のそれが出てきたとき、一緒のところを先生に見られたら厄介だなと思った。

 そいつは携帯電話を開いて動画を撮り始めた。

「あ、いいな」

「ずるい」

「僕にも撮らせて」

「俺にも」

 みんなが羨望の声を上げながら、代わる代わる携帯電話の画面を覗き込んだ。やれ俺にも撮らせてくれだの、アップにしてほしいだのと大騒ぎのなかで、そいつはうんと背伸びをしたうえに、両手で握りしめた携帯電話を高く差し伸ばして、クロちゃん専属カメラマンの座を譲る気はないようだった。

 面倒事が起こる前に帰りたかったが、周りを囲まれてしまって抜け出せなかった。

「ちょっと、あなたたち、通学路で騒がない。だいたい携帯禁止でしょ」

 通り道を遮られて迷惑顔の大人の声と、腹立たしげな自転車のベルが鼓膜に響き、僕たちを解散に追い込んだ。他の連中と同じく、僕も走ってその場を逃げ出した。

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