第39話 人の心がある故に
天を焼く巨大な炎渦が消え、広場の誰もが火元の少女に目を奪われていた時。ただ一人、ニドだけは別のものに目を奪われていた。
灰雲の晴れたはるか上空に輝く金の鱗。
疑念を抱かずにはいられない。それだけを求めてここまで来たのだから。
「まさか……」
ニドは歯噛みをしながら自問自答する。
アイツなはずはねえ。
あっちゃならねえ。
だが、あの鱗は……!
バーディスが語り、ガープが吠える最中、人知れずニドは黒き魔獣に変わる。ヒトの身に戻れぬ危険も
ニドが霧の晴れた城に目を落とせば、屋上に怒りの的の姿が見えた。
「――ルクレイシアァァァッ!!!」
吠える黒鱗の魔獣は、ダンと地を蹴り、城の上まで高く跳び上がった。跳躍の頂点で大剣を振り上げ、降下の速度を乗せて魔女へ振り下ろす。
ガキィインッ!
ルクレイシアは周囲の空間を凍らせ、大剣を受け止めた。が、あまりに重い剣撃に、足元の石床が放射状にひび割れ沈む。
「来たわね」
「フゥーッ、フゥーッ……!」
ニドは怒りを抑えきれず、息を荒げながら再び斬りつけんと振りかぶる。が、ルクレイシアは余裕の笑みを浮かべた。
「コワイ顔して」
――キィンッ
ルクレイシアが手を振ると甲高い金属音が鳴り、ニドの全身が凍り付く。アーシャの炎を纏っていない今、ニドはびくとも動けない。
「隙だらけ」
大剣を振りかぶったまま動けないニドの頬を、そっと撫でる。その時、広く平らな屋上の中心に、大きな音を立てて金龍が降り立つ。全長20mはあろうか、大蛇のごとき巨体の着地は頑丈な石床を大きく震動させた。
輝く金の鱗に、背びれのように生えるたて髪。
大きな顎からは鋭い牙を剥き出し、警戒心をあらわにしている。
もたげた鎌首のもとに、ルクレイシアが歩み寄る。
「その怒り様、気付いてくれたようね。会いたかったでしょう? そう、コレがヨナよ」
ルクレイシアは、ヨナのこれまでを語り始めた。煽るように、わざとらしく情感を込めて。
―― ◆ ――
それは、20年前――
「ニド……ごふっ……ごめ、んね……」
「ヨナ! なぜ……なぜ躱さなかった! お前なら俺の剣など――」
「私の心…ある内に……あなたに…してほしかったから……がふっ……ありがとう……ニド」
ヨナはその言葉を最期に、立ったまま絶命した。一方ニドは、胸に刺さる薙刀ごとずるりと血溜まりに倒れ込む。
結末を見届けたルクレイシアは、歩み寄ってヨナの胸から大剣を引き抜き、まずヨナだけに世界樹の雫を飲ませた。ある仮説を確かめるために。
霊薬は見る間に胸の傷を癒し、残酷にもヨナの命を取り戻す。意識が戻ったヨナの目に映るは、真っ赤に染まる床と、薙刀に貫かれうつ伏せに倒れているニド。そして、霊薬の空き瓶を持つルクレイシアの不敵な笑みだった。
「どうしてぇッ!?! ぁ、あ……!」
ヨナがとった覚悟の選択肢。
約束通り、ニドを殺さなければならない。
でも、自分もニドに殺してほしい。
だからこその相討ち。
だからこその『ごめんね』と『ありがとう』。
その想いは、魔女に
「ーーーーーーーー!!!」
ヨナは言葉にならない雄叫びをあげる。
瞬間、金の鱗が全身を喰らい尽くし、破砕音を響かせながらその体躯をヒトならざる者に変えていく。
人の心が残っていた故に、絶望は大きく。
ヨナの清き魂は、魔獣よりもなお暗く、漆黒に反転する。
そしてヨナは、金鱗輝く龍となった。
再びあがる雄叫びは、最早ヒトの声ではなく。
怒り狂う獣の咆哮が、灰園を震わせる。
「素晴らしい! アナタの
金龍は魔女を噛み砕かんと大顎を開けて迫る――瞬間、ルクレイシアは人差し指を立てて口に当て、不敵に笑った。
「ニドを人に戻してあげる」
ルクレイシアの眼前で巨大な顎が急停止する。金龍は首を引きながらゆっくりと顎を閉じ、牙を剥き出してギリギリと噛み締めた。
「ふふ、もう意識などないでしょうに。魂に刻まれているのね」
ヨナは獣に成れ果ててなお、魔女の言葉に引き留められた。ルクレイシアは、ニドを人に戻す対価として、金龍に帝都を守り続けるよう命じる。その後、約束通りニドを蘇らせ、人の魂を取り戻させた。
こうしてヨナ――金龍ヨルムンナーガは、20年もの間、帝都上空を飛び、守り続けることとなった。もはや誰ともわからぬ相手を、心の奥底で想い続けながら。
―― ◆ ――
「ヨナはもうアナタのことは分かってない。でも、アナタのために帝都を守り続けているのよ」
ルクレイシアは金龍の大顎をそっと撫でる。
「そして今、外敵を排除するため降りてきたってわけ。外敵――つまり、アナタを殺すためにね。ああ、こんなに美しいことはないわ。尊くて、愚かで、滑稽で。最ッ高」
魔女は笑う。高々と声を上げ。一方、大剣を振り上げたまま動けないニドは、ハラワタが煮えくり返っていた。
最ッ低だ……
ヨナは、俺のために……ずっと……!
「憎いでしょう、私が。もっと怒りに心を任せなさい。そしてアナタも、ヨナのように
ルクレイシアは、この上なく興奮していた。
長き時をかけ、周到に練り上げた計画。
自らを怒りの標的にすることで、ニドを心身共に限界を超えて研ぎ澄ましてきた。
人の心がある故に、魔獣よりもなお暗くなる魂。
愛は、絶望の最上の餌だった。
全ては、人を超え、魔獣を超えた、至高の力を生み出すため。
ニドは今、魂を漆黒に染め、邪龍ニーズヘッグへと生まれ変わらんとしていた。魔女の異能で動けないはずの黒鱗が、すぐにも弾けんばかりに震え、筋骨を喰らわんと軋む――!
「――そうはさせない」
屋上の端に翻るは、純白のコート。
右手に樹剣、左手に樹砲。
金髪が風になびき、鋭い右目が魔女を見据える。
現れたのは樹教国王子、ユウリイ。
彼もまた、ルクレイシアに人生を狂わされた男。ニドが跳び上がった直後、樹砲ミストルテインで上昇風を起こし、屋上まで追い掛けて来ていた。
「アナタに何か出来るの、坊や」
ルクレイシアは見下した態度で、手を軽く振った。甲高い金属音が鳴り、ユウリイは時を凍らされ、動けなくなる。それで終わり、のはずだった。
――チィンッ!
ユウリイは樹剣ユグドラシルで、ルクレイシアと自分の射線上の空間を斬る!
ユウリイは時を凍らされることなく、動く。
「ずっと見てきた。お前の異能の正体が何なのか」
ユウリイの右目は、見ていた。
ルクレイシアの振る手が、常人には見えぬ極小の粒を放つ様を。
ユウリイが思い至ったルクレイシアの異能の正体は、≪粒子≫。その手から放つ特殊な粒子が、対象の≪時≫を奪う。だからこそ、流転の炎で粒子を焼くことで縛を解けた。森羅万象を斬る樹剣もまた、同じ。
ユウリイは樹剣の切先をルクレイシアに向けたままニドに目をやり、思考する。今ニドは、束縛されているが故に龍化を免れている。解放すれば、怒りのままに龍と化してしまうかもしれない……。選択肢は2つ。
1、ニドを解放し、共に戦う。
2、ニドを斬る。
合理的なのは2だ。ニドの精神状態が限界にあるのは、僕でもわかる。最悪の事態を避けるためには、今こそ斬るべき……!
ユウリイの脳裏に、出立前の会話がよぎる――
◆――……
『君が魔獣になってしまったら脅威だ。その時は僕が斬る……この樹剣ユグドラシルで』
『甘ちゃんだな、てめえは。脅威だってんなら、寝てる間に斬りゃあ良かったのによ』
……――◆
樹剣を握る手に汗がにじむ。
ユウリイは覚悟を決め、ニドに向け樹剣を振るった。
――チィンッ!
空を凪ぐ樹剣は、ニドを縛る粒子だけを見事斬りさく。
「……本当に甘ちゃんだぜ、てめえは」
「自分でもそう思うよ」
動けるようになったニドは、振りかぶっていた大剣をゆっくりと下ろす。ユウリイはその姿に緊張が解け、短く息を吐いた。一か八かの賭け。解いた瞬間、龍と化してもおかしくなかった。
ニド自身、どうにかなってしまいそうだった。だからこそ余計に、ユウリイの甘過ぎる考えが胸を打つ。
……俺なんかを、信じ切るんじゃねえよ。
ニドにとって、灰園の地獄を共にしたヨナと同じように、ユウリイもまた、共にルクレイシアを追い続けてきた戦友だった。
人の心がある故に、光もまた灯る。
ニドは辛うじて黒鱗の魔獣の姿に留まり、ユウリイと
「マナが何だ、邪龍が何だ、ごちゃごちゃうっせえんだよ……言いてえことは一つだ。
今からッ!
てめえをッ!
ぶった斬るッ!!!」
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