第19話 在りし日の夢

 闇を照らす炎の巨龍が、大顎を開けて容赦なく私を喰らう。飲み込まれたその瞬間、私は一糸纏わぬ魂となって闇よりもなお深く堕ち、光無き海に沈んでいく。


 そこで私は、夢を見た。


 長い長い夢を見た。


 在りし日の、想い出の夢を――


……


「へえ、アーシャっていうの? ぼくダニー、よろしく!」


 初めての出会いは、3才のとき。


 長い秋雨の夜、トルネードに連れられて孤児院に入ったときのことだ。まだ自分のことを「ぼく」と呼んでいたダニーは、トルネードの脚にしがみつき隠れる私に手を差し伸べた。羊のようにくりんくりんのふわふわした茶髪で、ぽてっとした幼児体型のダニー。それが私の記憶の一番奥にあるダニーの姿だった。


 私は、孤児院に来るまでの記憶がない。気付けばトルネードに背負われ、ママのもとへ連れて来られた。だから、この想い出はダニーとの出会いの記憶であると同時に、私の人生の始まりの記憶でもあった。


……


「あ、きれい! アーシャの髪キラキラしてる!」


 私とダニーは6才、良く晴れたある春の朝のことだ。1階の廊下を歩いていると、正面からダニーが駆けてきた。その時、窓から桃色の花びらと共にさあっと春風が吹き込み、私の長い灰髪がなびく。髪が朝陽を浴びて銀に煌めいたのを見て、ダニーはすれ違い様にそう言った。


 ダニーにとっては、何気ない一言だったろう。言いっ放しで、ダニーは立ち止まることなく2階へ駆け上がっていった。でも私にとっては、凄く嬉しい一言だった。


 私は当時、自分の灰髪が好きではなかった。まるで曇り空のようにどんよりしている気がして、ママの綺麗な栗色の髪に憧れていた。そんな私が自分の髪色を好きになれたのは、この一言がきっかけだった。


 しかし、ダニーが私の髪を素直に褒めてくれたのは、後にも先にもこの1回だけだった。むしろ、しょっちゅう『灰かぶり』とからかうようになっていく。


 私はダニーにからかわれると、他のどの兄弟にからかわれるよりもイライラした。それは、『ダニーのおかげで好きになれたのに』という思いがあったからかもしれない。


 でも、今は。


 褒めてくれなくてもいいから。

 またからかってよ、ダニー……


……


「出来たーっ! オレ達の秘密基地だ!」


 9才のとき。私とダニーは孤児院からやや山を下った森の中、秘密基地の第一号を作った。夏の暑い日差しを浴びて、半袖短パンの私達は泥と汗とロマンにまみれていた。


 第一号の基地は、3本の梢を三角錐のように組んでつたで結び、葉振りの良い枝を被せただけの簡易なテントのようなものだった。それでも9才の子供にとっては大変な作業で、完成した時は泥だらけのまま飛び上がって喜びあった。


「いよーし、これは樹士団の基地な! オレは聖樹士で、アーシャは聖女!」

「ええー、違う! これはお家! 私がママで、ダニーは兄弟ね」


 ダニーは剣に見立てた木の枝をぶんぶん振り、私はままごと用のフライパンで抗議する。


「じゃあ、こうしようぜ。ここは孤児院な」

「私がママ!」

「ああ。そんでオレは聖樹士! 聖樹士だけど、孤児院も守るんだ」

「おおー、いいじゃん!」


 無邪気だった。無知で、未熟で、何でも出来ると思っていた。ママのように、トルネードのように。2人がどれだけの苦労の末に守ってくれていたのか、子供の私達には知る由もなかった。


……


「オレ達ってさ、孤児なんだよな」


 11才のとき。ちょっと夜更かししたある冬の日、2人でバルコニーから満天の星を眺めていた。


「どうしたの、いきなり」


 ダニーは全く似合わない黄昏顔で、ため息をついた。白い吐息が、空に消えていく。


「本当の親って、どんな人だったのかなあってさ」

「……どんな人だったんだろうね」


 しばらくの沈黙。葉の無い木々を抜ける寒風が2人の頬を冷やし、やがてダニーが口を開いた。


「オレの名字さ、アミキータって言うだろ? ホントの名字はわからないから、これママが付けてくれたんだって。古い言葉で≪友情≫って意味らしい」

「へえー、そうだったんだ!」

「アーシャは?」

「私のはね、トルネードが付けてくれたんだって。ストラグル――≪もがく者≫って意味らしいよ」


 今思えば、トルネードは最初から知っていたのかもしれない。私に眠る炎の力のことを。苦難の運命を知っていて、私にもがけと、想いを込めていたのかもしれない。当時の私にその意味がわかるはずも無く、響きが可愛くないこともあって、あまり好きな名字ではなかった。


「いいなあー、≪友情≫かあ。私もそっちの方が良かったなあ……アナスタシア・アミキータ! どう?」

「えっ!? どうって……ごほっけほっ」


 ダニーは突然むせ、赤面した。が、何か思うことがあったのか、真面目な顔で私に言う。


「なあアーシャ、オレ達って……ずっと友達、かな……」

「はあ? 何言ってんのダニー。友達っていうか、私達家族じゃない。ずっと」

「そっ……か、そうだよな」


 夜空に一条の流れ星が煌めき、ダニーはじっとそれを見上げていた。あの日、ダニーは星に何を願ったのだろう。私はこれが夢だとわかっていても、その星に願わずにはいられなかった。


 ずっと家族でいたかった、と。



……


……


……



「……うっ、ひっぐ……うう……」


 長い夢から目を覚ますと、そこは樹都の宿り木に借りている私の部屋だった。私はベッドに仰向けに寝たまま、ボロボロと涙を溢し続けていた。首から下は全身を包帯に巻かれ、ベッド脇の机には精巧な細工の施された空き瓶が置かれている。


「目え覚めたか」


 静かに泣く私に声をかけたのは、ベッドの横の丸椅子に座るニドだった。


「ひっく……うん。私、夢を見てたみたい……」

「1ヶ月も寝てんだ。夢ぐらい見んだろ」


 それは、無愛想で、ぶっきらぼうで、乱暴ないつものニドらしい口振りだったが、今の私にはそれぐらいが丁度良かった。


「でも、夢じゃないんだよね……」

「ああ、夢じゃねえ」


 私の呟きの意味を察し、ニドは飾ること無く応える。ダニーが異形と化したのは、夢ではないと。


「あ、あ、ああああああああ……!」


 その時やっと、私は声をあげて泣いた。

 時を凍らせられ、声も出せずに叫んでいた心の痛みが、今ようやく体の外に溢れだす。


 わんわんと泣き続ける私を、ニドは黙ってじっと待ってくれていた――……

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