第12話 真面目で律儀な不良少女。

「あっ」

「……またか」


 逃げるように曲がり角、彼女の家の方向に行こうとして、けれど思い直したかのように足を止め、ぺこりと頭を下げて、改めて逃げようとするが。こちらは自転車だ。

 彼女の目の前でブレーキをかけて止まる。

 大学からの帰り道で、彼女は、えっ、昼間に何でいるの。影山涼香。


「さ、サボってるところ、見られました……」

「むしろ、制服姿でよく補導されなかったな」

「テスト期間、なので。私がサボったのは、掃除当番、です」


 そういえば、昨日、凪がそんな事言ってたな。忘れてた。 

 というか。


「んなのサボったって気づけるか。俺が」

「そうですね、ごめんなさい」

「それより、お前夜中に市川と出歩いてたって。親御さんにどう説明したんだ?」

「友達と、勉強会って」


 下を向き、ボソボソと、か細い声でそう言った。


「……はぁ。成績とか大丈夫なのか?」

「成績は、良いです。とても」

「はぁ」 

 

 まぁ、家が真面目っぽいしな。

 俺のため息をどう捉えたのか、影山さんは怯えるように身を縮める。


「あのなぁ、お前、何年生だ?」

「に、二年です」


 なるほど、凪が知らないわけだ。


「その時期はまず、自分を大切にすることを覚えるべきだ。他者を尊重とか、誰かのためにとか、そういうのは自分に余裕ができてから覚えるものだ。市川のために夜中に会いに行ったりバイトサボったりって、なんなら俺の方から言っとくから。な?」


「そういうわけじゃないです」

「じゃあ、どういうわけだ?」

「……私が、その、悪い子になるお手伝いを、してくれているのです」


 悪い子になる……?


「荒谷先輩。お時間、ございますか?」

「まぁ、あるぞ。夕方までなら」

「あっ、バイト、ですか?」

「あぁ」

「サボり、ませんか?」


 無言で指を構え、それを影山さんの指に弾く。


「あイタっ!」


 すっげー良い音した。


「生活かかってるから無理」

「そう、ですか……。やっぱり、そういうもの、なんですね」


 物凄く残念そうな雰囲気を漂わせて、影山さんは曲がり角の向こう、彼女の家の中へと消えて行った。

 それを見送って自転車に跨る。

 ……悪い子になるって。

 思い出すのは、影山さんの家。飾られた数々の賞状。整理されたリビング。

 気になるな。



 「ふぅん、なるほど。それでこんな、くそ狭い部屋に来たと」

「お前、今度寮長さんの怒りかったら、死ぬんじゃないか?」

「ははは」


 笑っているが、わりと冗談になってないと思うんだ。

 痴情のもつれという事で厳重注意で解放された市川の元カノたちは、未だこの寮にいるのだ。よく引っ越さないよな、こいつ。 

 まぁ、そんな事よりも、今は。


「なぁ、影山さんは一体何なんだ?」

「何なんだって?」

「真面目なのにわざと悪い方向に行こうとしている。けど、根っこは善人だから、悪く成りきれない。俺はそう見立てているが。如何せん、理由がまったくわからない」

「なんでお前が気にするんだ?」

「むっ」


 ……なんでだ?


「はぁ……」

「ん? どうなんだ?」


 ニヤニヤとした顔は、一発殴りたくなるくらいにはムカつくな。おい。


「あんなん、見て見ぬフリしろって方が無理だろ」

「お前、そんな学生は真面目に勉強しろとかいうタイプの善人だっけ?」

「いや、ちげーよ。ただ」

「ただ?」


 はぁ。思わず目を閉じた。自分で自分が言おうとしていることに呆れた。


「ただ、悪い事したいなら徹底的に悪になれって。自分の正義すら否定し尽くすほどに。善人になるなら、他の正義が憎たらしくなるほど自分の正義を貫け」


「おっと、悪人はその人にとっての正義が世の中に合わなかっただけじゃないっけ?」


「そういう見方もあるが、俺は違うな。この世に悪があるなら、俺は全てを否定し尽くす事だと、俺は思うぜ。なんて、善悪談義をしに来たわけじゃないんだ」


 けらけらと市川は笑う。軽薄な態度を改める気は無いらしい。


「おっと、そんなに睨むなって。わかったわかった」

「……まず、お前らはどこまでやったんだ」

「えっ、そこから聞きます?」

「あぁ」


 軽薄そうな表情を引っ込め、渋い顔になる。

 質問が不躾だった気がするが、相手はこいつだ、気にしない。


「部屋まで連れ込んでも、キスすらしてねぇ、というか、させてくれない」

「はぁ」


 マジかよ。


「案外ドライで健全なお付き合いしているのな」

「いや、今までこんな事無かった」

「あぁ、そう」


 勝手に冷蔵庫を開けてそこから麦茶を一杯飲む。


「お前も飲むか?」

「いや、俺の部屋なんだが」

「まぁまぁ」


 さて。


「んで、影山さんの話だ」

「はいはい」

「お前はどうするつもりよ」

「あの子はもう少しで壊れそうなんだよねぇ」


 またムカつくニヤニヤ笑い。


「お前……」

「睨むなよ。今までお前が僕を止めた事、あったか?」

「今までは、俺に関係なかったからな」

「清々しいくらいに自己中心だな」


 当たり前だ。人間、どこまで手が届くかくらい、把握しておくべきだ。


「よく俺は、お前と三年も友達やっていられたな、って思うよ」

「ははっ、僕もだ。よく三年も僕に付き合ってくれた」

「年上として彼氏として、お前は影山さんをむしろこのままの道に進める。そう言っているんだな」

「らしくないね。説教おじさんかよ」


 こいつがもし、今の影山さんをどうにかしようと思っているならもう少し真剣に話をしようと思ったのだが、もう良い。


「なぁ、荒谷」

「あぁ?」

「お前さ、前の涼香、知らねぇだろ」

「どういう意味だ」


 足を止めて振り返る。


「前の涼香と今の涼香だったら、俺は今の涼香の方が生きていると思うけどね」


 市川は興味を失ったように、ベッドに身を投げ出していた。

 イライラする。

 図星を突かれ、俺の行動の不可解さを突かれ。

 そして、それでも俺は、どうしてか放っておけない、そう思っている。凪のお節介が移ったか?

 




 「おかえりなさい。荒谷さん。今日は遅かったですね」

「……凪」


 昨日、気まずいまま別れた凪が、いつも通りそこにいてくれた。

 それが、今は無性に嬉しかった。


「ごめんなさい。荒谷さん。私、何も知らなくて」

「いや、俺こそ、自分の書き方が当たり前だと思ってたから、あの時は凪の気持ちが、理解できなかったからさ。あれ以外の書き方、俺、わからなくてさ」


 いつだって、俺は自分を削っていた。無理矢理削るところを作っていた。


「いつか、そういう書き方に限界が来るって、わかっていた。だから、いい機会かもな」


 神妙な顔ながらも、凪の目には隠しきれない期待の色が見えていた。

 苦笑する。書きたくない、書きたくない、そう言い続けた俺が、書き方を模索するなんて。


「うん。そうだね。凪がいなかったら、こんな風に向き合うなんて、しなかったんだろうな」


 凪の横を通り抜けようと足を踏み出す。すれ違った所で、手が掴まれた。


「荒谷さん、こういう時、女の子の頭は撫でるものですよ」

「それは、ただしイケメンに限るって行動だろ」

「良いのです。私は荒谷さんの信者ですから。むしろ大喜びですよ」

「遂に自分で名乗ったか」


 恥ずかしげもなく、純度百パーセント、どこか安心させられる笑顔は、何故かその時の俺には、とても魅力的に映った。

 凪の頭にやれやれと思いながら手を伸ばす。


「そういえば、前言っていた影山って人、もしかして思い人ですか? 応援します」

「結論が早い」

「わっ、荒谷さん。撫でてくださいとは言いましたけど、髪をぐちゃぐちゃにはしないでください」

「なぁ、凪。頼んでも良いか?」

「私が荒谷さんの頼みを断るとでも?」

「あぁ、それはとても助かるが、ちゃんと内容は検討してくれ」


 妄信されても困る。

 ちょっとだけげんなりしながら、少し手の動きを優しくした。

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