第79話

 毒々しい、紫の長髪。

 人形のような美貌に、悪魔のような邪悪な笑み。

 人造悪魔を生み出せる人間というだけで数は限られる。

 

「〈逆さ黄金律〉の錬金術師、〈知識欲のウィザ〉……」


 〈幻竜騎士〉が行方を追っていた、要注意人物の一人であった。


「おやおや、知ってもらえていたようで嬉しいな。なかなかの手練れのようだけれど、君の名前を知らなくて申し訳がないよ。なにせ君達のことは、確証のある話がどこにもまともに残っていないからね。こうしてお会いできたのは光栄だよ。名前を、聞かせてもらってもいいかな?」


 俺は無言で、折れた刃を構える。

 俺の様子を見て、ウィザはくすりと笑った。


「ああ、ごめんね、ただの兵器に名前はなかったかな?」


 どうにも〈幻竜騎士〉にも多少見識があるらしい。


「さ、〈逆さ黄金律〉って、実在したんですの……? 大昔に大貴族が不死の研究をするために結成させた、禁忌の魔法を研究する錬金術士団だとは聞いたことがありましたけれど、てっきりそんな、与太話だと……」


 概ねヘレーナの言葉通りである。

 〈逆さ黄金律〉は、百年前にヴァーレン公爵家が秘密裏に抱えていた錬金術士団である。

 その際にヴァーレン公爵家は取り潰されたが、〈逆さ黄金律〉の残党は逃れ、拠点を転々としながら活動を継続していた。

 ネティア枢機卿が、王国内において最も警戒していた団体である。


 ウィザが首を傾け、ヘレーナへと目を向ける。

 目の合ったヘレーナがびくりと肩を揺らす。


「ひ……!」


「フフ、可愛いお嬢さんだね。一つ教えておいてあげよう。私は今は〈逆さ黄金律〉には所属していないよ。既に追われた身でね」


 ウィザはそこまで言って、長い赤紫の舌を自身の唇へと這わせる。

 涎が一筋、顎へと垂れていた。


「どうしても、どうしても欲しい魔導書があってね。でも、持ち主が、絶対に譲らないし、見せたくもないなんて意地悪を口にするものだから、殺していただくことにしたんだよ。ただね、〈逆さ黄金律〉は裏切り行為を絶対に許さない。そうしたらもう、一人殺すのも何人殺すのも変わらないじゃないか! ただで逃げるのも勿体ないからね。私はついでで追加で二人ほど殺して、せっかくだから欲しかったものを搔き集めて逃げてくることにしたんだよ」


 ウィザは身を乗り出し、口を大きく開けて笑う。

 ヘレーナはウィザの悪意を剥き出しにした発言の前に、完全に委縮して真っ蒼になっていた。


 何故ウィザが学院迷宮の奥深くに隠れていたのかはわかった。

 彼女の言葉を信じるのならば、〈逆さ黄金律〉から身を隠すためにこの場所を選んだらしい。


 〈逆さ黄金律〉は表に出ることを好まない組織である。

 ウィザのような錬金術士は、人間や悪魔を用いた研究を好む。

 その点を熟せるのは地下迷宮くらいだっただろうが、当然〈逆さ黄金律〉に捜し回られることになる。

 だが、居場所が絞れたのならともかく、わざわざウィザの調査のためだけに王都の学院迷宮まで探しに来るような真似はしないと踏んだのだろう。


 また、力の源であるマナの性質や総量は、血筋に依存する部分が大きい。

 人体実験のための人間の確保としても、学院迷宮に潜伏することが好ましかったのだろう。

 古い王家の極秘資料もここには眠っているといわれていた。

 考えてみれば、ウィザのような人間が隠れ家に選ぶのに、この上なく適していたのだ。


「なるほど、概ね疑問は解消された」


 離反してきて追われている身であれば、仲間が近くに潜伏している危険性も薄い。


「ネティアの子となれば、いや、本当に興味深いよ。ゆっくりと語らおうじゃないか。私を殺しに来たつもりなのだろうが、それくらいの猶予はあるだろう?」


 ウィザが馴れ馴れしくそう口にする。

 俺は地面を蹴り、ウィザの背後を取った。


「おい、君っ……!」


 ウィザが驚いた顔で俺を振り返る。

 そのまま俺は、彼女の胸の高さで刃を走らせた。

 肉を斬り、骨を断つ感触が手に伝わる。

 鮮血が辺りに散った。


 ウィザは壁に背を叩き付け、ぽかんと口を開けたまま、胸の傷へと手を触れる。


「さ、さすがアインだ。なんだ……ここまで警戒する必要なかったじゃねえか」


 ギランは安堵したようにそう口にする。


「ギラン達は、二人を連れて、地上に急いでくれ。交戦は避けて、逃げることに集中しろ」


 俺の言葉に、ギランが顔を顰める。

 何か言おうとしていたが、その前にウィザがゆらりと立ち上がった。


「これは残念だな。私はお喋りが好きなのだが、こうもはっきりと拒絶されるとは。時間を稼げるのは君にも利のあることだと思ったのだがね」


 ギランがぎょっとした顔でウィザを見る。


「な、なんで、死んでねえんだ……。つうか、あそこまでバッサリいってやがったのに……血が、もうほとんど止まってやがんのか?」


 ウィザはギランの驚いた様子を見て、満足したように笑みを浮かべる。


「いい反応だね。なに、そう隠すことじゃない。〈魂割術〉さ。予備の命を作っているんだ。長らく失われていた技術だけれど、この私が復活させたんだ。大したものだろう? ギラン君、でいいのかな?」


 ウィザに名前を呼ばれたギランは、目を細めて彼女を睨んだ。

 だが、虚勢であることは明らかだった。

 

 〈魂割術〉は聞いたことがあった。

 歴史の中で、度々それを用いる魔術師が現れている。

 噛み砕いていえば、自身のマナを分けて保管しておくことで、命のストックを作るというものだ。

 自分が死んだ際に、保管しておいたマナに死を肩代わりさせて時間を稼ぎ、その間に肉体の損傷を回復させるのだ。


 強力だが、代償は大きい。

 保管したマナから離れすぎれば、自身のマナとして扱えなくなって魔術が大幅に弱体化する上に、〈魂割術〉が機能しなくなる。

 故に、術者は分離させたマナを、武器か何かとして持ち歩いていることが多い。


「テ、テメェで種明かしをしてくれるのは結構だが、今のアインの一撃でそれはなくなったんだろ? あと一回ぶった斬ってやればいいだけの話……」


「私の〈魂割術〉は、従来のものから更に進化させていてね。残りの命の予備は、千二十三個といったところかな?」


「せ、せん、にじゅうさん……?」


 ギランの顔が蒼白となった。

 さすがに俺も、それを聞いて驚いた。

 これまで聞いたことのある数字は、最大で八つだった。

 正攻法でどうにかできる数ではない。


「ここは任せて、早く行ってくれ!」


 俺はそう叫んだ。


「う、うぐ……すまねぇ、アイン」


 ギランはそう零し、ルルリアとヘレーナと顔を合わせ、頷き合っていた。

 それからマリエット達を連れ、部屋の外へと逃げていった。


 その間ウィザは、楽しげに微笑んでいるだけだった。

 あっさり見逃してくれるのは意外だった。


「フフ、別に構わないさ。勝手に出ていってくれるのなら、邪魔者なんてとっとと出ていってもらった方がいい。何せ、ネティアお手製の〈幻竜騎士〉が手に入るのだからね。ただの騎士見習いの死体が千体手に入ることより、よっぽど意義があることだ。いや、今の動きも剣筋も、なかなかのものだったよ。これが手に入ると思うと、ああ、今から楽しみだよ」


 ウィザはそう口にして、舌舐めずりをした。

 俺の顔を見て、考えていたことを察したらしい。


「でも……〈幻竜騎士〉、フフ、思っていた程じゃないかもしれないな。その折れたナマクラのせいもあるだろうけれど、今のが全力だなんて、そんなことは言わないでおくれよ?」

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