…って思ってたんだけど、結局睡魔には勝てず…


「…とき? そろそろ時間だから起きて?」


ほっぺたを突っつかれ、ゆっくり瞼を持ち上げた視界に、優しく微笑む翔真さんが映る。


いつから見られてたんだろう…


寝顔を見られるのは初めてじゃないけど、やっぱりちょっと照れ臭い。


「良く眠れた?」

『うん…』


頷いた俺の前髪をサラリと掻き揚げ、そこに翔真さんの唇が軽く触れる。


ちょっとだけ擽ったい…


「なら良かった。あ、バイト…七時からだったよね? 途中まで送って行くから、早めに出て何か食べて行こうか?」


言われて思い出した…


そう言えば俺、バイト終わりに賄い食っただけで、管理人のおじさんに貰ったアイス以外、何も食ってないや…


俺は一つ大きな伸びをすると、翔真さんが差し出してくれる手を借りながら、ベッドの上に身体を起こした。


「何が食べたい?」

『何でも良いよ』

「じゃあ…牛丼でも良い?」

『いいよ』

「よし、決まり!」


まるで子供みたいに顔を綻ばせ、ベッドから飛び降りる翔真さん。

ただ一緒に飯を食うってだけなのに、凄くはしゃいでいるように見える。


でも俺もそう…かな…


勿論、和人のことを考えれば、自分だけがこんなに幸せで良いんだろうか、って気持ちにもなるけど、それすら考える余地もないくらいに、俺の気持ちもはしゃいでいる。


俺は翔真さんの後を追うようにベッドから飛び出ると、着替えのためにTシャツを脱いだ翔真さんの背中に抱き着いた。


「あ、こら…、そんなにくっついたら着替え出来ないでしょ?」


苦情を言うけど、その口調は全然怒ってなくて…

布越しでは分からなかった、思いの外筋肉に覆われた背中に指を這わせた。


『スキ…』


恋する乙女じゃあるまいし、なに恥ずかしいことしてんだろって思う。


でも、言葉で伝える術を持たない俺には、そうする以外に方法が見つからなくて…


だから、俺の気持ちが少しでも翔真さんに伝わるように、何度も何度も背中に指を走らせた。


『スキ』って…


そんなことを繰り返しているうち、翔真さんがクルリと身体を反転させて、少し高い位置から俺を見下ろすように見つめた。


でもどうして…?

どうしてそんな泣きそうな顔してんの?


何の言葉もないまま、翔真さんの唇が俺の額に触れる。


ねぇ…、好きって言ってくれないの?


喉まで出かかった言葉を声に出そうとするけど、やっぱり出来なくて…

伝えたい言葉が、掠れた呼吸音になって唇の端から虚しく漏れ続けた。


「無理しなくて良いから…、ね?」

『でも…』

「それより、急がないとバイト間に合わなくなるよ?」


俺の頭をポンと叩き、翔真さんが新しいシャツを身に纏う。


どうしてだろう…

好きって言って貰えないだけで、こんなにも胸の奥がざわつくのは…


「行こうか?」


言われて我に返った俺は、慌てて財布とスマホをポケットに捩じ込むと、翔真さんの腕に自分の腕を絡めた。


一歩外に出てしまえば、手を繋ぐことだって難しいことを、俺は痛い程知ってる。


もっとも、好奇の目に晒されることも、汚い物でも見るような偏見の目にも、俺は慣れてる。


でも翔真さんはそうじゃない。

翔真さんを傷付けたくない。


俺は玄関のドアを出た瞬間に、絡めていた腕を解いた。


翔真さんはそんな俺に首を傾げたけど、俺達が恋人として付き合って行くためには、仕方の無いことだから。


あ、そう言えば自転車…


エントランスを抜け、通りに出ようとしたところで思い出した。


俺は翔真さんの袖をクイッと引っ張ると、駐輪場を指差した。


「あ、そっか…、無いと困るよね?」

『うん』


交通の便が悪い上に、自動車免許を持たない俺にとって、自転車は唯一の移動手段。

だから、このまま…って訳にはいかない。


『ちょっと待ってて?』


俺は自転車の鍵を手に駐輪場に向かった。


鍵を差し込み、スタンドを足で蹴ったところで、ハンドルを握る俺の手に、翔真さんの手が重なった。


「乗って?」

『えっ?』

「後ろ、乗って?」


先にサドルに跨った翔真さんが後ろを指で差すから、


『う、うん…』


俺は戸惑いながらも、後ろの荷台に跨った。


「あ、先に言っとくけど、俺、自転車なんて何十年かぶりだから、振り落とされないように、しっかり捕まっててね?」


えっ…、なんか心配なんだけど…


俺は大きな不安を抱えつつも、大きく頷いてから、言われた通り翔真さんの腰にしっかり腕を回した。

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