俺の不安は見事的中…

翔真さんの自転車の運転テクニックは半端なく乏しくて…


目的地の牛丼屋に着いた頃には、俺のケツは有り得ないくらいに痛くて、自転車を降りると同時に、よっぽど踏ん張っていたのか、両膝は大笑いを始めた。


こんなことなら前と後ろ代われば良かった…


そんなことを思わないでもなかった。


翔真さんは終始苦笑いを浮かべたまま、それでも牛丼の大盛りをペロリと平らげ、波盛りを注文したにも関わらず残してしまった俺の牛丼まで綺麗に腹の中に収めてしまった。

見事過ぎる食いっぷりに呆気に取られてしまった俺は、きっと凄く阿保面をしていたんだと思う。


なんたって翔真さんの指が、俺のほっぺたに付いた米粒を摘んで口に入れたことにすら、全く気付いてなかったんだから…


「あ、でね…、今度の木曜なんだけど…、って聞いてる?」

『え、あ、う、うん…』

「たまたま有給が取れてね…。だから、どこか出かけないか?」


言われて、雅也さんの話を思い出した。


でも俺は何も知らないフリをして、


『どこか…って? 二人で?』


首を傾げて見せた。


「どこ…って決めてはいないけど…、智樹はどこか行きたい所ある?」


俺…?

俺は…、特に行きたい所もないし、第一旅行なんてモンとは無縁の生活をして来たから、言われたってパッと思いつく筈もなくて…


それでも唯一浮かんだのは、


『船! 船に乗ってみたい!』

「ふ…ね…? 船に乗りたいの?」


出来れば自分で動かしてみたいけど、車の免許もなければ船の免許なんて当然持ってない俺だから、操縦するのは無理だって諦めてはいる。


けど乗るだけだったら…


『だめ…?』


俺が聞くと、翔真さんはポテッとした唇を指でスリスリしながら、少しの間考え込み…


つか、癖…なのかな?


何度か会ううちに気付いたことなんだけど、翔真さんはいつも何か考え込んでいる時、撫でたり摘んでみたり…必ずと言って良いほど唇を触る。


「いや、考えとくよ」


マジで?


「うん、二人でする初めての旅行だし…智樹の行きたい所に行こう」

『やった♪』


滅多に感情を表に出すことの無い俺だけど、やっぱり嬉しいモンは嬉しくて…

俺は珍しく、翔真さんの前でガッツポーズをした。






翔真さんと旅行に行く…、それはとても嬉しいことで…

でもそれ以上に、“旅行”って言葉が凄く嬉しかった。


旅行なんて、和人と付き合ってる間は勿論のこと、高校の修学旅行以来だから…

しかも恋人となんて…、俺…、夢でも見てんのかな…(笑)


「なーにニヤけてんの?」


え…俺、そんなにニヤけてる?


「もお…、忙しいんだから、ちゃっちゃと仕事する!」


俺は返事の代わりに片手を上げた。

すると雅也さんは、フライパンを二つ同時に操る俺の横に立って、


「じゃないと来週の休み、無しにするよ?」


耳元で意地悪く言うもんだから、思わず菜箸を落としそうになってしまう。


だって休みが貰えなければ、翔真さんと旅行に行けなくなってしまう…


それは流石に困る!


つか、意地でも休むけどね(笑)




「で、どこ行くか決まってんの?」

『ううん、何も…』

「そっか、決まってないのか…」


仕事終わり、疲れた身体にビールを流し込みながら、雅也さんが残念そうに肩を落とす?

つか、雅也さんがガッカリする必要、なくね?


「まあでもアレだよね…、泊まり…なんだよね?」

『う…ん…』

「じゃあさ、ひょっとしてひょっとしたりして?」


白い歯をニカッとばかりに覗かせて、二ヒヒと雅也さんが笑う。


でも、雅也さんが想像しているようなことは、何一つ考えてなかった俺は…


『あ…』


思わず頭を抱えた。


「まさか…、何も考えてなかった…とか?」

『う…ん…』


だって旅行に行けるってことが嬉し過ぎて、それ以外のことなんて考えられなかったんだもん…


『どうしよう…』

「どうしよう…って…、そんなの流れに身を任せれば良いんじゃない? それに、どう転んでも、桜木さんなら智樹のこと、絶対大事にしてくれるだろうからさ、安心しなよ。ね?」

「うん…」


雅也さんの言葉に、少しだけ背中を押された俺は、アパートに帰るなり、押し入れの奥底から大きめのリュックを引っ張り出した。


気が早いと思いながら、リュックに着替えやなんかを詰め込んで行く。


凄く楽しかった。


旅行の準備をしている時間も…

その日を待つ時間も…


凄く待ち遠しくて、でも凄く楽しみだった。





でも旅行の当日…


翔真さんが待ち合わせ場所に現れることは、とうとうなかった。

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