予定の時間よりも早く取り引き先に到着した俺達は、担当者が帰社するまでの間、時間潰し(決してサボリなどではない)のため、近くのカラオケボックスに入った。


俺としては、落ち着いた喫茶店でコーヒーでも飲みたかったが、松下がどうしてもと言うから、仕方なくカラオケボックスに入ったわけだが…


「んで、さっきの続きなんだけど、結局のところどこまで進んだの? 告ったんだよね? 智樹からの返事は? セックスしてないなら、キスくらいはした?」


個室に入るなり、松下の質問攻撃が始まった。


だいたい、喫茶店ではなくカラオケボックスで、と言われた時から、薄々はこうなることを予感はしていたけど、まさかコーヒーを飲む間すら与えてくれないとは…そこまで考えてなかった。


「あー、もおっ! そう急かすなって、順番に話すから…」


俺は松下が用意してくれたストローを使うことなく、直接グラスに口を付けると、キンと冷えたアイスコーヒーを口に含んだ。


ちゃんとした店のコーヒーに比べると、味は格段に落ちるが、とりあえず乾いた喉を潤すことは出来る。


「一応…さ、告白はしたよ? 付き合ってくれ、って…」

「それで? 返事は? 智樹、なんて?」


キラキラ目を輝かせる松下が、どんな答えを期待しているかは、大体想像がつく。


その期待を裏切るのは、なんとも忍びなくはあるけど…


「聞いてない」


俺はありのままを答えた。


「え、なんで? 聞かなかったの?」

「いや、そうじゃなくて…、その…なんて言うか…」


言いかけたところで、急にあの日の記憶が鮮明に蘇って来て…


軽く触れただけだったのに、あの触れた瞬間の柔らかな感触だけは、あれから数日が経った今でも、忘れることは出来ない。


俺は無意識のうちに、自分の唇を指でなぞっていた。


「ねぇ、まさかとは思うけどさ、返事聞く前に襲っちゃった…とか?」

「ち、違うって…、襲っては…ない…、けど…」

「けど、何?」


言葉の続きを急かすように、松下が向かいの席から移動して、俺の隣に腰を下ろした。


つか、距離近すぎだし!


顔を背けても背けても、覗き込んで来ようとする松下を押しのけ、グラスのコーヒーを一気に飲み干した俺は、スーッと息を吸い込んだ。


「キス…はしたかな…」

「うっそ、マジで?」


目ん玉が落っこちるんじゃないかってくらいに目を見開き、松下がビタミンCたっぷりのフルーツジュースを啜った。


しっかり小指が立ってるのが、ちょっと気になるけど…


「え、じゃあ何? キスしちゃったから返事聞けなかった、ってこと?」


まあ…、簡単に言うとそうなる、かな…


俺は無言で頷いた。


「ふーん、そっか…。でもさ、別に智樹は拒んだりはしなかったんでしょ?」

「それは…なかったと思う…」


表情を見れたわけじゃないから、彼がどんな顔をしていたかは分からないけど…


「だったらさ、OKってことなんじゃない?」

「そ、そう…なのか?」

「うん。だって、俺が知る限り智樹は、仮に遊び半分だったとしても、そう言うの簡単に受け入れる奴じゃないし…」


松下がいつから大田君を知っていたのかは知らないが、俺よりは遥かに彼のことを知っている松下が言うのだから、多分間違いはないと思う。


「でもさ、やっぱり気が早かったかな、ってさ…」


知り合って間もない上に、彼は恋人を亡くしたばかりなのに、ポッカリ空いた隙間に付け入るような真似は、俺としてはしたくなかったことで…


だから性急過ぎたんじゃないか、って後悔もなくはない。


「桜木の気持ちも分かんなくはないけどさ、俺はそれで良かったと思うよ?」

「そう…か…?」

「だって、返事を待つのももどかしくなるくらい、智樹のことが好きだったんでしょ?」


うん…、俺自身も気付かないくらい、好きになってた…


「放っておけなかったんでしょ?」


うん…、静かに涙を流す彼を、一人にはしておけない、って思った。


「だったら当たって砕けろだよ(笑)」


いや…、砕けてはないけど…?


「まあでも、これでちょっと安心した…ってのは変だけど、ホッとはしたかな、俺も雅也も」


濃い目の顔に、柔らかな笑みを浮かべ、そっと席を立った松下は、空になったグラスを二つ手に持ち、個室を出て行った。

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