第6章 amabile

雅也さんの陰謀(?)で、再び雅也さんの店でバイトを始めた俺は、夕方を少し過ぎた頃アパートを出た。


夕方とはいっても、また陽はは高い位置にあるから、少し自転車を漕いだだけでシャツが汗で濡れる。


あっちぃ…


額の汗をシャツの裾で拭った時、ふとコンビニの看板が視界に入った。

あの人…桜木さんにバッタリ出会い、突然腕を引かれた場所だ。


だからかな…、ついペダルを漕ぐ足を止め、店内を覗き込んでしまう。

あの人がいるんじゃないかって、期待に胸を膨らませながら…


でも現実はそんな甘いもんじゃない。


いるわけねぇか…

つか、俺どんだけ惚れてんだよ(笑)


俺はキャップを被り直すと、再びペダルを漕ぎ始めた。




アパートから雅也さんの店まで、そう大した距離でもないのに、シャツまで汗でぐっしょり濡れた俺を、雅也さんは真新しいユニフォーム片手に待っていた。


「本当はさ、カウンター入ってくれると助かるんだけど、さすがにそれは無理っぽいからさ、厨房入って貰いたいんだけど…良いかな?」


そっか、だから真新しいユニフォームってわけか…


だよな…、バイト再開初日から、喋れないことが原因で俺客とトラブったし…

それでも俺を首にしないのは、雅也さんの優しさなんだろうな…


普通なら、こんな奴雇いたくないだろうし。


俺は真新しいユニフォームを受け取ると、それを抱えて狭苦しい更衣室に入った。

汗で濡れたシャツを脱ぎ、素肌の上から真新しいユニフォームを着ると、少しだけ気が引き締まったような気がした。


着替えを済ませた俺は、念の為にとエプロンのポケットにメモ帳とペンを忍ばせ、カウンターで仕込みを始めた雅也さんの肩を叩いた。


「あ、準備出来た?」


頷いた俺の頭を、雅也さんの大きな手がポンと叩く。


つか、俺ってどうしてこうも子供扱いされるんだろう…

あの桜木さんだって…


不意に頭に浮かんだ桜木さんの笑顔に、何故か頬が熱くなるのを感じて、俺は頭をブルンと振った。





土曜の夜ということもあってか、その日はけっこうな忙しさで…


俺以外にも厨房スタッフはいるものの、コミュニケーションもろくに取れない上に、不慣れな俺は常にてんてこ舞い状態。

おまけに良く分からないオーダーが入ると、他のスタッフに聞くことも出来ない俺の頭はパニック寸前で…


見兼ねたんだろうな…雅也さんがヘルプに入ってくれた。


「焦んなくていいから」って、俺の手から鍋を奪って行く雅也さんは、ちょっと…いや、かなり天然だけどやっぱり優しいし頼りになる。


和人が好きになるのも無理ないか…


雅也さんの横顔を見ながらぼんやり考えていると、例のバイト君が、暖簾の隙間から顔だけを出し、


「店長、潤一さんいらしてますよ」


雅也さんにだけ聞こえるように言った。


つか、俺にも聞こえてるけど…


「うーん、今ちょっと無理だから、ちょっと待ってて貰って?」


視線は手元の鍋に向けたまま言った雅也さんの顔は、どこか嬉しそうにも見える。

俺にしてみりゃ、出来れば顔も見たくない相手だけど、雅也さんはそうじゃない。


急に手際の早くなった雅也さんを横目に、俺は一つ溜息を漏らした。




そうしてある程度のオーダーを済ませ、店も落ち着いて来た頃、洗い物と格闘する俺の肩を雅也さんが叩いた。


「俺、ちょっと行って来てもいいかな?」


満面の笑みで言われて、俺にNOと言えるだけの理由はない。

俺は手だけの仕草で答えると、再びシンクの中で泳ぐ大量の食器と格闘を始めた。


仕方ないか…、和人が死んでから雅也さん、ずっと連絡も取ってないって言ってたし…、恋人なら当然会いたいよな…


俺が桜木さんにもう一度会いたいと思っている以上に…


心なしか、スキップ気味の足取りで厨房を出て行く雅也さんの後ろ姿に、俺は思わずプッと吹き出してしまった。


その数分後に、俺が同じようにスキップしてるなんて、全く思わずにね(笑)

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