雅也さんが言いたいことなんて、わざわざ言われるまでもなく分かってた。


和人を亡くして、おまけに声まで失くした俺を、雅也さんがどれだけ心配してくれてるかってことだって、ちゃんと知ってた。

実際、喋れないってことが理由で困ることだってあるけど、元々口下手で口数の少ない俺からすれば、それだって慣れてしまえばどうってことなくて…


ただ、スマホへの打ち込みや筆談だけは、面倒に感じることの方が多いけど…


でも、今のアパート引き払って、雅也さんの所に厄介になるつもりは、これっぽっちもない。


俺はメモ帳に、「それは出来ない」とだけ書いて雅也さんに見せた。


「なんで? 俺の所に来れば金の心配だってしなくて良いし、何より智樹だって安心でしょ? 」


確かにそうかもしれない。


今まで和人と折半で払っていた家賃だって、俺一人で負担するのは、正直不安でもある。

いつ治るかどうかも分かんないこんな状態で、仕事だってろくに出来ないだろうし…


だけどさ…


良い思い出なんて特別ないけど、俺は和人と暮らしたあのアパートを離れたくないし、何より雅也さんの所に行けば、当然あの人…雅也さんの恋人と顔を合わせることになる。


それだけは勘弁だ。


俺は静かに首を横に振った。


「そっか…、残念だけど仕方ないね…」


諦め顔で肩を落とした雅也さんに、俺は唇の動きだけで「ごめん」と言った。


そんな俺に、雅也さんはやっぱり笑顔を絶やすことなく、


「気が変わったらいつでも言って?」


そう言うと、俺よりも幾分か大きい手で、俺の頭をポンと叩いた。


雅紀さんの手はいつだって優しい。

以前の…和人と知り合う前の俺だったら…、間違いなく好きになっていたかもしれない。


でも今俺の心の大半を占めているのは、和人でもなく、ましてや雅也さんでもなく、桜木さんだから…


俺は一旦上げかけた腰をまた下ろすと、メモ帳とペンを手に、あの雨の日に桜木さんと出会ってから、ずっと桜木さんのことが頭から離れないこと、そして今日、偶然にも桜木さんと再会してしまったこと…全てを書き連ねた。


躊躇いはあった。


和人を亡くしてまだ日も浅いのに、ましてや雅也さんに至っては、義理とは言え弟を亡くしたばかりなのに、こんな話をするなんて、どうかしてるって。


でも雅也さん以外に、相談出来る相手なんていなかった。


雅也さんは、俺達みたいな種類の人間にも、絶対に偏見なんて持たなくて、寧ろ理解を示してくれる、俺にとっては唯一頼れる存在だから…


その雅也さんが、俺の視界の端でほんの一瞬ではあるけど、その表情を曇らせた。


当然だ、弟の恋人だった奴が、実は別の男に惚れてるってなったら、誰だって理解に苦しむに決まってる。


事実、この俺がそうなんだから…


「話は分かったよ? で、智樹はどうしたいわけ? そのたった二回会っただけのその人と、付き合いたいとか…思ってたりするの?」


俺を責めるわけでもなく、ゆっくりとした口調の問いかけに、俺は「分かんない」とだけメモ帳に書いた。


そもそも自分で分かってたら相談なんかしてないし…


「そっか…。俺はさ、反対はしないよ? 和人があんなことになってさ、その人と上手く行くことで、智樹の心の傷が少しでも癒されるなら、良いかなって思う…」


やっぱり雅也さんは優しい。

普通なら、恋人が死んで喪も開けないうちに、って怒っても当然なのに、雅也さんはそれすらなく、俺の気持ちを受け止め、理解してくれようとしてくれる。


でもその優しさが、知らず知らずのうちに和人を傷付けてたなんて、この人は全く知らないんだろうな…


「あ、連絡先教えて貰ったんでしょ? 連絡してみたら?」


『出来ないよ…』


「なんで? その人の方から名刺渡すってことはさ、その人も智樹に興味があるからじゃないの?」


『捨てた。だって俺、電話出来ないし…』


「あっ…、そっか…、そう…だったね…」


そこまで言って、漸く俺が喋れないってことを思い出したのか、雅也さんがハッとしたように頭を掻いた。


つか、ここまでずっと筆談続けといて、忘れるか普通?

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