第4章 strascinando

まさかもう一度会えると思わなかった。


だから、あの人に腕を掴まれた時、あの人に手を握られた時、心臓が止まるかと思った。

夢を見てるんじゃないかって、我が目を疑った。


そんな想いはあの時以来…いや、あの時は別の意味で心臓が止まりそうになったし、寧ろ想像もしなかった光景に、思わず目を背けたんだっけ…


それにしてもどうしようか…


桜木さんと別れ、アパートに帰った俺は、テーブルの上に置いたスマホと、多分勤め先のなんだろう名刺とを、交互に眺めていた。


桜木翔真…、それがあの人の名前。


俺でも知ってるような、大きな会社の営業部に勤めてるらしく、見るからに真面目そうな人。


きっと、俺なんかと違って頭も良いんだろうな…


そんな人が、


「いつでも良いから、気が向いたら連絡して欲しい」


別れ際に俺に名刺を差し出しながら言った。


その言葉が何を意味するのかは、正直分からない。

理由を聞きたかったけど、いちいちスマホに打ち込むのが面倒で、結局聞きそびれてしまった。


ただ一つ分かっているのは、あの人が俺を探してた…ってこと。

たった一度きり、あの雨の日に会っただけの俺を…


お互い、名前も連絡先も、何も知らないのにどうして…って聞きたかったけど、それすらも聞けなかった。

実際に声に出して喋るのと、文字だけで会話するのとでは、伝わり方が微妙に違うってことを、最近になって知ったから…


それに、大体が俺、メールとかも苦手で、文字打つの遅過ぎって、よく和人に笑われてたっけ…(笑)


俺は名刺だけを手に取ると、畳の上にゴロンと仰向けになった。


俺が桜木さんにもう一度会いたいって思ってたのは事実。

あの日以来、和人といる時も、和人を抱いてる時も、ずっと桜木さんのことばっかり考えてたのも事実。


だから、桜木さんを好きだって気持ちも…多分事実。


今日偶然とはいえ、櫻井さんに会ってハッキリと分かった。


てもな…

…つか、俺ちゃんと伝えたよね?


声出ないんだって…


電話番号教えられても、今の俺に電話なんて出来る筈もない。

仮に電話出来たとしても、声一つ出せないってのにどうやって喋りゃいいんだか…


ハハ…、その時点で終わってんじゃん(笑)


俺は手の中で名刺をクシャッと丸めると、ゴミ箱に向かって投げ入れた。


俺から連絡を取らない限り、俺達は二度と会うこともない筈。


忘れよう…

桜木さんのことは全部…、(多分…だけど)好きだって気持ちも全部纏めて忘れよう…


第一、今の俺に人を好きになる資格なんて、どこにもないし…


そうだろ、和人?


机の上に飾った和人の写真に問いかけてみるけど、当然返事なんて返ってくる筈もなく…


俺は手だけを伸ばして、ベッドの上に無造作に丸めてあった和人が愛用していたタオルケットを取ると、和人が良くしていたように、タオルケットを頭からスッポリ被った。


ずっと洗濯もしてないからか、和人の匂いがまだしっかり残っている。


いい加減洗わなきゃって思うけど、和人の匂いを消すことで、和人がこの部屋に存在していたこと自体を消してしまうような気がして、結局洗濯出来ずにいる。


タオルケットだけじゃない、シーツだって、枕カバーだって…和人が触れた物は全部…


和人の匂いに包まれ、うとうとしていると、テーブルの上でスマホがブルッと震えた。


続け様に二度、三度と震えるスマホを手に取り、タオルケットにくるまったままで確認する。


表示されていたのは、俺のバイト先の店長で、和人の義理の兄貴で…、和人がずっと憧れ続け、俺と関係を持った後でも、変わらず想いを寄せ続けた相手…相川雅也の名前だった。


俺がこの世で一番信頼出来て、でも一番会いたくない相手だ。


あの日以来…和人がこの世を去った日以来、こうして一日に何度か連絡をくれるようになった。


恋人…と呼んで良いのかは分かんないけど、和人を亡くしたショックで、声を失った俺を心配してのことなんだろうけど…

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