鬱病なので異世界とかどうでもいいです

蝕 カヲル

1話『深淵からHELLO異世界』

 殺殺殺殺殺され続けている。死死死死死に続けている。でも殺されることはない。死ぬことはない。もう何年経っているのか分からない。発狂すら許されず狂気に蝕まれ続け、鉛のように重たい1秒を味わい続けている。どうしてこうなったのだろうか。




 始まりはこの病室だった。ここは精神病棟。私の病名は鬱病。病室の窓から見える空を貝沼かいぬま 三四郎さんしろうはベッドで横になりながらボーッと眺める。入院してそろそろ一年が経とうとしていた。目線を窓から天井へと移す。窓から差し込む太陽光が味気ない病室を照らしている。起きていてもつらいだけなので目を瞑った。外は夏を迎えて蝉がミンミンと忙しなく鳴いている。ということはそろそろ誕生月か。


 そんなどうでもいい事を考えながら微睡んでいた時だった。突然ベッドに。文字通り沈んでいったのだ。突然水に落とされたようにドプンと。驚き目を開けるとそこは真っ暗な水の中だった。光は一切見当たらず天地がどちらかも分からない状態だった。パニックになり口からゴボボッと大量の空気が出ていき苦しくなると同時に水を飲んでしまった。少し塩っぱい。海だろうか?異常な状況だったがだんだんと怖くなくなっていった。ようやく死ねるのだなという安堵感に満たされていた。徒労としか思えない闘病生活は真綿で首を絞められているようで、苦しい抑鬱状態と不安と自殺衝動との戦いだった。でもこれでようやく解放される。そう考えると藻搔いていた体も脱力し暗い海中をぷかぷか漂うようになった。それにしても、と貝沼は考える。ここはなんなのだろう。現世とあの世との狭間か何かなのか?三途の川の中だったり?でも塩っぱかったしなぁなどと考えていた時だった。6本の腕が深淵から迫ってきた。この海よりも更に仄暗くボヤけた腕と赤黒く燃える大きな腕、そしてシワシワにしわがれた腕が2本ずつ。唐突だったし不穏だったが不思議と恐怖心は感じず、むしろ愛する者からの抱擁を受ける前のような不思議な心境だった。迫りくる腕たちが体に触れるか触れないかのところで貝沼の意識は途絶える。まぁいい。これで死んだのだ。良かった。




 頬に鋭い衝撃を感じてパチクリと目を開けた。そこにはメイド姿の女性が1人と小さな老人が1人佇んでいた。どうやらメイド女性に頬を叩かれたようだ。朦朧としている貝沼かいぬまに老人がこう言った。


「ようこそ異世界へ! さてさて君はワシに何をもたらしてくれるかのぉ?」


 突然の事に理解が追いつかない。異世界?私は死んだのではないのか?状況を確認するために辺りを見渡す。どうやら貝沼は何やら陣が彫り込まれた床にのまま横たわっているようだ。そこは室内のようで部屋は円柱状。窓はなくドアが1つあるだけの殺風景な場所だった。一通り見回した後に「えっと……あの、ここはその……どこで、えっとその……ど、どういう事なんですか?」と体を起こしながら恐る恐る質問してみる。すると老人はその質問へは意を返さず「まぁまぁ、今はとりあえずじゃなぁ」と言いながらこちらに近寄り、おもむろに貝沼の首を掴む。意図が分からず何ですかと言おうとした時だった。

「ほいっと《奴隷呪縛スレイヴチェーン》じゃ! うん、これでよし」その瞬間、掴まれた首がジュッと熱くなり思わずのけぞり手で払う。そして貝沼は首を触り何事かと確かめたが、火傷したような様子もなく特に変わりはない。老人は踵を返しドアの方へ向かう。メイドも同じようにドアの方へ。流石に滅茶苦茶なので「ちょ、ちょっとあの! どこに行くんですか!」と少し語気を荒めて質問を投げかける。すると如何にも面倒くさそうに「煩いのぅ。いいから」そう言うとドアを開けこの部屋から出ていく。なんなのだと憤り文句を言おうとした。が、何故か喋る事ができない。更には体が勝手に動き出し、老人たちについて行こうとする。なんだこれは?口をパクパクさせながら従順についていく貝沼。全てが異様で異常だった。


 部屋から出るとそこは廊下のようで、それはそれは豪華な内装だった。廊下の長さから見てもここは相当大きな豪邸であることは伺えた。窓から見える街並みはどこか異国情緒があって美しく、庭には美しい花が咲き蝶が舞っている。生活水準の高さが素人でも分かる。

「そう言えば自己紹介をしとらんかったの。ワシの名はマルス・ディス・ゴランセム。種族はご覧の通りハーフリングじゃ。このゴランセム領の領主での第10位貴族……と言ってもには理解できんのじゃったな! カッカッカ!」とこちらを振り返りもせず自己紹介を始めた。ハーフリングって何かのお伽話で出てきた気がする程度しか知らないが、確かに老人の背丈は人にしては低すぎる。後ろからついていくメイドの女性がスレンダーなので余計に小さく感じる。そう言えばこの女性も肌は褐色で髪は銀、そこまでは良いが耳が長い。彼女もお伽話の住人であるダークエルフのようだった。

「これでも他の貴族と違って功績によりワシ一代で貴族までのし上がったんじゃぞ?長年課題だった食糧需給の低さを解決する為、畜産と農業の効率を上げるスキル運用法を立案。これにより雇用問題も同時に解決し、経済は潤い国力は潤沢になった。そこに福利厚生が整った徴兵制を制定し、更には超高距離かつ高い破壊力と殺傷力のある魔導砲を開発した事で、長年冷戦状態だった近隣諸国とは圧倒的軍事力の差による超優位的立場での終戦を迎えることが出来た。それも全てワシの成果じゃ! どうじゃ?凄かろう!」そう饒舌に語るゴランセムに素直に感心した。だがこの状況と何か関係があるのだろうか。すると心でも読んでいるかのように「まぁまぁ話は最後まで聞くもんじゃよ?と言うのもだね、ワシはスキル研究のエキスパートじゃ。書籍もいくつか出版されておる。じゃが公開している情報はほんの一部じゃ。目的を果たすための資金と地位を獲得するための準備でしかないのじゃよ。本来の目的のためにワシは老若男女あらゆる種族の人体実験を重ね続けてきた。全て奴隷で賄ったから合法じゃよ?奴隷如きが崇高な計画の糧になれたのじゃ。誉れじゃよ誉れ。カッカッカ!」不穏な単語にギョッとする。

「その目的はの、不老不死になりこの世界に君臨し続ける神となる事じゃ!」突飛な話でポカンとしてしまう。ゴランセムの自分語りは止まらない。

「元々ワシはスラム出身じゃった。親が誰かも分からんような場所じゃ。だがの、ワシは希少なスキルを発現できた。それが《能力強奪スキルスティール》! 他者のスキルを奪い我がモノとする。まぁスラム生まれにはお似合いのスキルではあるがの」と自嘲気味に話すゴランセムだったが「それからは奪って奪って奪いまくった。それによりスキルをスキルで調整・改造したり複数融合する事もできるようになったのじゃ! この時のワシは万能感に満ち溢れとったのぉ」と天に両手を掲げ芝居じみた仕草で悦に浸っていた。

「それからはさっき話した通りの偉業の数々で地位を確立させた。目的の不老不死だけではただの長生きジジイじゃ。ワシは全能の神になりたい! その実現にはどうしても肩書なしでは限界があったからの。地位を確立してからはスキル研究に没頭した。人体実験に没頭した。真のスキル開発に成功してからは、更に何百何千と膨大な人数の開発と強奪を繰り返した。じゃがの、スキルがしもうたのじゃよ」心底残念そうに語る。出尽くしたとはつまり、この世の全てのスキルを手に入れる事に成功したのだろう。ならば目的の不老不死も手にのではないのか?なぜ残念に思うのか理解できなかった。

「残念ながら不老不死のスキルは手に入らんかったよ。改造と融合をいくら重ねても無理じゃった」また心でも読んだかのように語り出す。

「そう、この世全てのスキルを手にしても目的が果たせないと知った。その時のワシは心底絶望した。じゃが神はワシを見放さなかった! あれはよわい90くらいの?……まぁいいわい。要するに天啓を得たのじゃ! この世全てがダメならば他の世、つまりは違う世界の住人ならば可能なのではないかと思い至ったのじゃ! そこからは早かった。召喚系・次元系・概念系スキルを掛け合わせ《異世界召喚ワールドアブダクト》を開発した。先ほどの部屋に刻まれた陣はを召喚するのに必要なものでね。まぁ補強剤のようなもんじゃ」何やら違和感を覚えたが、それよりも先ほどからケロリととんでもない事を話している。息を吸うように命を弄んでいる。吐き気を催すほどの悪辣さだった。するとまた「まぁそう嫌わんでおくれよ。無駄な人間の有効活用じゃよ。まぁ出涸らしは廃棄するんじゃがの。カッカッカ! ……話を戻すが《異世界召喚ワールドアブダクト》による記念すべき実験体第一号を召喚しスキル開発をした。すると何が発現したと思うね?それはの、何と《時間逆行タイムリープ》じゃった! 不可逆である時間すら超克する力! 素晴らしい! あの感動は今でも忘れることはできんのぉ」あぁ、そういうことか。と、貝沼かいぬまは先ほどから感じていた違和感の正体に気づき、そして同時に解決された。。ゴランセムは確かに老人ではあるがとても90歳を超えているとは到底思えない壮健さだったからだ。

「そこからは簡単なものじゃった。初めからやり直し最短で地位と名声を手にし環境を整え、召喚して開発を繰り返す。老いがくれば《時間逆行タイムリープ》で地位と名声と環境を整えた時点に戻ってまた召喚と開発。その単純作業じゃよ。ワシ自身本当の年齢などとうの昔に分からなくなってしまったわい! カッカッカッカッカ!」そして今回は自分の番なのだなと貝沼は悟るしかなかった。

「そうそう、賢明なことじゃ。そうやって胸の内で悲観しながらも現実を受け入れるしかないと諦める。矮小な実験動物はそれぐらいがちょうどよいわい」やはりこの老人もといゴランセムは心を読んでいるのか。もう驚くこともない。それもスキルとやらなのだろう。今だ喋ることも体の自由も解けておらず2人の後を付いて行くことしか出来ない状況もスキルとやらなのだろうさ。

「その通りじゃよ。パッシブスキル《心理掌握サイコメトリー》で心は筒抜けじゃ。もっとも、パッシブなので常時やかましいのが玉に瑕たまにきずじゃがのう。耳が痛くないだけまだマシじゃわい。あと最初に施したスキルは《奴隷呪縛スレイヴチェーン》といってな、主人の命令に絶対服従する代物じゃ。主に奴隷商が保持しているスキルなのじゃがもちろん、のぉ?」奪ったのだろう。間違いなくそうだろうさ。

「そう言っている間に目的地についたぞ。スキル開発室じゃ」そう言いながらドアを開け中に入っていく。続いてメイド、そして私の順で。部屋は先ほどの部屋より広く前後2部屋に分割されていた。ドアから見て前方はベッドと何やらヘルメットのようなものが置かれた殺風景な部屋。向こう側は透明なガラスで仕切られ機材やらパネルやらが雑然と置かれたモニタリングルームといった様子だった。

「では、」そう言い残しゴランセムとメイドはモニタリングルームへと消えていった。私は命令通りに動く。それにしてもスキル開発とはどのようなものなのだろうか。正直碌なモノではなさそうだが……。

「そうじゃったそうじゃった! 肝心な開発内容を話しとらんかったの! ワシとしたことが失礼失礼! 単純作業の繰り返しが過ぎて手順を端折りすぎとったわい。カッカッカ!」そう愉快そうに笑うゴランセム。それからパネルに何やら打ち込みながら「スキルはのもちろん単純な鍛錬でも発現されたり強化されたりするんじゃがそれでは時間がかかる。人道的な方法の効率的なスキルの育成方法は書籍にして販売したりギリギリ人道的なモノは徴兵した者どもに施したりはした。がそれでも時間がかかる。じゃからワシは発明したのじゃこの設備を! 」手を広げこちらを見るゴランセム。

「スキルが最も発現し最も強化される条件とはの、死の淵に立つことじゃ。つまりは死ぬくらい追い込まれると生存本能によりスキルが呼び覚まされるのじゃ。この装置はな、ありとあらゆる死の瞬間、ありとあらゆる殺され方を脳に直接全て同時に叩き込むものじゃ。あと意識を失うと効果がないので《強制覚醒ウェイクアップ》で睡眠や失神を防止し、更に《時間加速アクセラレート》で体感時間を加速させ、1秒が1日くらいじゃったか?……まぁそれくらい加速されるのじゃ。要は時短じゃよ時短。時間は大切じゃからのぅ! カッカッカッカ!」イカれている。狂気の沙汰とはまさにこの事だ。その話が本当なら究極の拷問が休みなく終わりなく続く事になる。そのスキルとやらが発現する頃にはどう考えたって……「そりゃまぁ廃人になるわな。当たり前の話じゃが。実質時間は些細なものじゃから老衰で死ぬこともない。生命維持関係はそのベッドが賄ってくれる」恐怖のあまり血の気が引いていく。動悸が酷く息苦しい。

「なに、あっという間じゃよ! おっとそれはワシだけじゃったな! こりゃ失敬。カッカッカ!」嫌だ嫌だやめてくれやめてくださいお願いします。そう願っても意味はないのに願わずにはいられなかった。だが現実はいつも無慈悲だ。

「では開発を始めるぞ?」


 長い長い地獄の始まりだった。

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