第2話 霊園にて

 人々の流れから弾かれるようにして飛び出した先にあったのは、何処かへと続く小道だった。

 振り返った先には人々が作りだす巨大なうねりがあった。再びあの人混みの中に飛び込むには勇気と英気が必要だ。

 ここは休息も兼ねて小道の先へと進んでみることにしよう。


 小道に一歩入り込むと、先ほどまでの人の多さが嘘のように静謐な空気で満ちていた。

 まるで街の中に突如現れた異世界へと続く通路のようだ。

 そして歩みを進める先に見えた景色に、その考えがあながち間違っていなかったことを知るのだった。


 小道の先にあったのは墓地だった。

 看板に書かれた名前こそ小洒落たものであったが、敷地内にある墓石の多くは角が取れて丸みを帯びていた。

 中には苔生した物もあり、かなりの年月を有する由緒正しき――口汚く言えば古臭い――墓地であることが窺えた。


「あれ?」


 ふと何かに呼ばれたような気がした。

 職業柄、常人には耳にすることのできない声を聞くことも多い。

 今回もそうした声の一つなのであろうか?

 ともすれば物音とも間違われてしまいそうなほどの微かな声に導かれるようにして墓地の中へと入っていく。


 辿り着いたのは墓地の中でも奥まった一角だった。

 墓石や外周に沿って植えられた木々によって視界は狭くなっている。墓地の外からであれば完全に死角になっているだろう。


 しかしここ自体、乱立するビル群に囲まれた特殊な空間だ。

 好き好んで薄暗い墓地の周囲を練り歩くような奇特な趣味でも持っていなければ近寄ることもない場所といえる。

 人の目が届かないことを気にするというのは全くもって今更なことであった。


 そんな奥まった場所にある一つの墓石に目を引かれる。

 古さは周りにある物とさほど変わらないのだが、きちんと手入れされているということが遠目にも良く分かった。


 そしてその手入れをしているのであろうと思われる一人の年老いた男性が、墓石と向き合っていた。

 しっかりと目を閉じて手を合わせているその様は、対話をしているようにも見受けられる。

 対話の妨げにならないように静かに近づいていく。


「こんな時間に私以外の人がやって来るとは珍しいな」


 あと数歩という距離まで近づいた所で、男性が口を開いた。


「お邪魔をしてしまったのであれば申し訳ありません。私は旅の死霊術師です」


 そう名乗ると、男性は驚いたように目を見開いた後、苦笑するように口角を上げた。


「長年生きてきたが、そんな名乗りを聞いたのは初めてだよ」

「そうでしょうね。私も始めて名乗りましたから」


 どちらからともなく笑いがこぼれる。それからしばらくの間、墓地には珍しい笑い声が響いていた。


「それで、その死霊術師さんが何の御用かな?生憎とここにいるのは火葬済みの者ばかりだから、使役するに都合の良い物とはいえないと思うがね」

「よく御存じで。もしかしてイケるくちですか?」

「ああ。一時は子どもたち以上に熱中したものさ。お陰でここに眠っている家内には毎日のように叱られたよ」


 そう言って男性が挙げたのはコンピュータゲームの黎明期から続く国民的RPGや、MMO型のRPGの数々だった。


「な、なかなかにやり込んでおられるようで……」


 予想を大幅に超える答えに、今度はこちらが苦笑いをする番だった。

 しかしそれだけ多くのゲームに手を出しているのであれば、『死霊術師』と名乗っても驚かない、更にはある程度どんな能力を持っているのかを知っているということに、一応の納得ができるような気がしないでもない。


 とりあえずおかしな誤解をされても困るので、ここにやって来た経緯、つまり何かに呼ばれたような気がしたことを伝えることにする。


「何かに呼ばれた、ねえ……」


 若干胡散臭く思われているようであるが、怪しい風体なのは自覚しているので気にしない。

 更に『呼ばれている』というのも感覚的なものなので、言葉を重ねて説明したとしても相手がその感覚を共有できる、もしくは共有しようとする意思がない場合、胡散臭さを倍増させる結果となってしまうのである。


 目の前の彼がどちらに当たるのか不確定である以上、これ以上細かく説明しない方が無難であろう。


「……まあ、墓に悪さをしようという訳でもないようだから、その話を信じるとしようか」

「ありがとうございます」


 男性が折れてくれたことに内心ホッとする。


「それで、一体誰に呼ばれたんだ?」

「それが、この辺りに来た所で急に聞こえなくなってしまいまして……」


 遠ざかったのならばともかく、近寄ったのに声が聞こえなくなるというのは初めての経験だった。

 それまでの様子から見当違いの方向に進んだとも考えられない。


「普通は声が大きくなって喧しくなるものなのですけれど、ね」

「喧しいのか?」

「はい。喧しいです」

「…………。なんというか、人ならざる者の声が聞こえるというのも大変なんだな」


 同情されてしまった。実際大変な面は多々あるので、ありがたく気持ちを頂いておくことにする。

 それはそれとして問題なのは本題の方だ。一体何が呼んだのであろうか?ふと視線を男性の正面にある墓石へと移す。


「ああ。そういうことか」


 長い間誰にも相手をされず、故に声が届く相手を見つけてはしゃいでいたのだろうと勝手に検討を付けていたのがそもそもの間違いであったらしい。

 そういうものはもっと大きな声でしつこく誘うものだ。

 今回は囁くようなものであり、質が違っている。


 それでは結局何だったのか?確かに声はしていた。

 しかしその声の行く先にいたのは自分ではなかったのだ。


「つかぬことを伺いますが、亡くなった奥様に対して何か心残りがありはしませんか?」

「唐突に切り込んでくるな」

「不躾な質問をして申し訳ありません。しかしどうやら私が聞いた声というのは、こちらから聞こえてくるものであったようでして……」


 答えて再び男性の前にある墓石を見る。

 そう、あの声は男性に呼びかけていたものであり、部外者が近づいて来たので警戒して語るのを止めてしまったのであった。


 『自分だけが声を聞くことができる』と、知らず知らずの内に図に乗ってしまっていたようだ。

 聞くことができるからといって、常に時自分に語りかけてくる訳ではない、少し考えてみれば分かる当然のことだ。


「ありがとうございました」


 致命的な失敗をする前に悟らせてくれた目前の夫婦に深く頭を下げる。

 しかし一方で、突然感謝の言葉を述べられて頭を下げられた男性は、何が何だか分からずに混乱してしまっていた。


 そこで一連の行動について説明する。

 この人であれば信用してもらえるだろうと感じたということもあるが、大切なことに気を付かせてくれた相手――一方的な認識ではあるが――に対して誠実に対応したいと思ったからでもあった。


「つまり家内は君にではなく、私に何かを伝えようとしている、というのか?」

「端的に言えばそうなります」


 そのため彼に心残りがあるのならば、それに関わることである可能性が高いと考えたのである。

 そして考え込む男性の表情は、心当たりがあると無言の内に物語っていた。


「言い難い事でしたらそのままで結構です。別に無理矢理聞き出そうという訳ではありませんので」


 偶然居合わせただけの人間には話せないことも多くあるはずだ。

 逆にそうした人間だからこそ話せるという類の事柄もあるが、それを決めるのは男性の方であり、自分ではない。


「一つ確認しておきたいのだが、君は死者と対話することもできるのかな?」

「可能です。向こうが応じてくれれば、ですが」


 答えると男性は「そうか」と言ってまた考え込んでしまった。

 そうこうしている間に雲が太陽を隠してしまったのか、ただでさえ薄暗かった墓地に一層濃い闇が広がる。


 夜中ほどではないまでも、それなりの雰囲気になっている。想像力豊かな子どもであれば物陰に怪しい存在を見出してしまいそうだ。

 そんな中にあっても男性は動じる様子を見せなかった。天候の悪化による薄気味悪さ程度は何とも思わないほど、この場所に慣れてしまっているようだ。


「……これも何かの縁、ということか。少し長くなるかもしれないが、昔話に付きあってもらってもいいかね?」

「私でよければ」


 男性は墓石に向かって「少し向こうで話してくるよ」と言うと、墓地の入り口に向かって歩き出したのだった。

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