第217話 ウンコマン、諦めない(後編)

※今回も田沼目線の話です。


 やっぱり俺は運がいい。

 カニ缶とクジラ缶をリュックに詰め込んで探索を再開した俺は、珍味の売り場である物を発見した。


 それはキャビアの瓶詰だ。

 すぐさま菓子売り場に移動して、クラッカーを入手し、これでもかと載せて口一杯に頬張った。


「美味ぇぇぇ! くっそ美味ぇ! これがキャビアか!」


 口の中に広がる芳醇な旨味、海の恵みを凝縮したような味わいだ。

 家に持って帰ろうかと思ったが、その場でペロリと完食してしまった。


「しまった、後でおにぎりに載せても美味かったかもな……」


 だが、棚に残されていたキャビアは、これ一つしか無かった。


「そうだ、キャビアときたら、次はあれだろう!」


 キャビアを完食したら、次はフォアグラだと思い、再度珍味コーナーに戻ったが見当たらない。

 その代わりと言っては変だが、カラスミと塩漬けのウニを見つけてリュックに詰め込む。


「そうだ、確か国産のウイスキーとか値上がりしてんだよな」


 俺が飲む訳ではないが、転売すれば稼げるかもしれないし、駄目でも親父にやれば小遣いを増やしてくれるだろう。

 酒の売り場に移動すると、ここも殆ど手付かずの状態だった。


「高っ、二万超え? こっちは三万近いじゃん」


 すかさず、一番高いウイスキーを選んでリュックに詰め込む。

 缶詰、瓶詰、珍味にウイスキーでは、アルコール依存症のオッサンみたいだ。


「てか、物じゃなくて現金を探した方が早くねぇ?」


 リュックが一杯になったところで気付いたのだが、どこの店にもレジが設置されているはずだ。

 手始めに、スーパーのレジを確認しに行ったが、全部扉が開け放たれていて、僅かな小銭が転がっているだけだった。


 入り口近くに置かれていたATMも、扉が解放されて中身が取り出されている。

 商業施設の食品売り場に戻ってみたが、こちらもレジの金は回収されているようだ。


「だよなぁ、普通に考えて金は一番先に持ち出すもんな」


 いくつかの店のレジを確かめた所で現金は諦めて、金になりそうな物を探す。

 ダンジョンの入り口から奧へ奧へと歩を進めていると、急に腹が鳴りだした。


「嘘だろう……もしかして、さっきのキャビアか?」


 キャビアの瓶詰は冷蔵ケースの中に収められていた。

 勿論、ダンジョン化したことで冷蔵の電源は切られている。


 味は……大丈夫だったと思うのだが、何しろ初めて食ったから傷んでいたかどうかの判断が付かない。


「地下にトイレあったか?」


 フロアの案内板を見に、エスカレーターの近くまで戻ろうかと思っていたら、ガターンと何かが倒れる音がした。


「ギィィィ!」

「ギャーッ、ギャギャッ!」


 突然響いた音に驚いたのか、何か人とは思えない声が聞こえてきた。

 急いで棚の陰に身を潜めて、声の聞こえてきた方向へ目を凝らす。


 ふっと通路を子供サイズの影が横切っていった。

 続けて、二匹、更に一匹、その後から三匹。


 パッと数えただけでも、七匹以上の影が見えた。

 たぶん、ゴブリンだろう。


 一気に緊張感が高まって、こめかみを汗が伝って落ちる。

 前回と違って、今回は武器を用意してきたが、ステンレスパイプの先に包丁を嵌め込んだ手製の槍が一本あるだけだ。


 たぶん、一対一ならばゴブリンを仕留められるだろうが、一対七では分が悪い。


「見つからないように、やり過ごそう」


 棚の陰から様子を窺っていると、不意に一匹のゴブリンが戻ってきた。

 しかも、周りを見回しながら、俺の方向へと歩いてくる。


『馬鹿、来んじゃねぇ……』


 心の中でゴブリンを罵りながら、更に奥の棚の陰に逃げ込む。

 急に動いたせいか、またグルグルと腹が鳴る。


 腹の音は聞こえたりしないだろうが、内圧は臨界点に向かって確実に上昇を続けている。


『どっちだ……どっちだ……』


 急激の上昇する内圧を下げるため、ガスを放出したいのだが、ガスなのか、リキッドなのか、はたまたソリッドなのか判断が付かない。

 ゴブリンは、俺の窮状など知るはずもなく、鼻をヒクヒクさせながら近付いてくる。


 俺が居る場所までは、もう二十メートルを切っている。


「ギャッ! ギーギャギャッ!」


 遠くから別のゴブリンの声が聞こえ、近付いていたゴブリンが足を止めて振り返った。


『行け、戻れ……もう限界なんだって』


 ゴブリンは足を止めたままだが、俺の腹は限界に近付いていて、イチかバチかのガス放出を試みた。

 プッスゥー……っと、小さな音を残して放出されたのは、幸いなことにガスだけが、湿度の高い気体は猛烈な臭気を含んでいた。


『くっせぇ……』


 自分の放出したガスなのに、あまりの臭さに辟易としていると、足を止めていたゴブリンが急に振り返った。

 ヤバい、あいつは臭いを嗅いでいた。


「ゴフッ……」


 ゴブリンは、顔を顰めて咳込むと、仲間の方へと戻っていった。

 助かった……のだろうけど、物凄く複雑な心境だ。


 ゴブリンどもは、俺が物色していたスーパーへ入っていったようだ。

 今なら通路を回り込めば、奴らに見つからずにダンジョンから出られそうだ。


 足音を忍ばせて移動を始めたが、さっきよりも激しく腹が鳴った。

 まるで腹の中で、急激に積乱雲が発達しているかのようだ。


 高まる腹圧、流れ落ちる脂汗、だが足音を立てれば、ゴブリンどもに気付かれてしまう。

 尻穴を必死で締め付け、足音を忍ばせて前進する。


 ウインドウに映った自分の情けない姿を見て、涙が出そうになったが、今は泣いている暇など無い。

 出口まで、あと三十メートル程まで来た所で、スーパーの方からゴブリンが戻ってきた。


「ギャーッ! ギャギャギャーッ!」

「やべっ、見つかった……」


 こうなれば足音を気にしている場合ではないが、尻穴を引き締めながらでは全力疾走できない。


「くそっ、来るな!」

「グギャァァァ!」


 飛び掛かって来たゴブリンに向かって、手製の槍を振り回す。

 どこかに当たったようで、ゴブリンが怯んだ隙に出口を目指すが速度が上げられない。


「グルギャァァァ!」

「やめろぉ!」


 怯んだゴブリンを追い越して、別のゴブリンに飛び掛かられた所で、もう何がなんだか分からなくなった。

 必死に手足を振り回し、槍をメチャクチャに振るい、何とかドアに取り付いて外に出ようとしたのだが、リュックを引っ張られて引き戻されそうになる。


「くっそぉ! くれてやる!」


 リュックを放棄してドアの外に倒れ込み、これで助かったと思ったのだが甘かった。

 ゴブリンどもがドアの外まで追い掛けて来たのだ。


 後になって考えてみれば、地下はダンジョンの内部とみなされるので、階段を上がらなければ逃げ切ったことにはならないのだ。


「うわぁぁぁ、助けてぇ!」

「グルギャギャァァァ!」


 ゴブリンにあちこち引っ掻かれ、噛みつかれながらも階段の手摺に縋って地上を目指す。


「大変です、ゴブリンに冒険者が襲われています!」

「危ないから下がって! 君、早く上がれ!」


 何やら階段の上から声が聞こえて来るが、それを気にする余裕は無い。

 服が引き千切られ、腹の肉を嚙みちぎられている。


「うあぁぁぁ……助けてぇ……助けてぇ……」

「うらぁ、巣に帰りやがれ!」

「警察官が救助に入りました! 警棒を振るって、ゴブリンを追い払っています!」

「たずけでぇ……」

「しっかりしろ、もう大丈夫だ!」

「酷い怪我です、ゴブリンに噛みつかれたのでしょう……臭いっ、酷い臭いです!」


 命からがら地上まで戻った俺は、ゴブリンにズボンを引き下ろされ、色々丸出しの状態で垂れ流している様子を、全国ネットのテレビで生中継されてしまった。


「撮るなぁ……撮らないでぇ……」


 必死に顔を隠して尻隠さずの状態で頼んだが、既に生中継された後では全てが手遅れだった。

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