マスカレード

マスカレード①

 挟み撃ちされた。

 敵はホンダ・フィット2台。見た目からしていい加減にやつれた中古だ。盗難車にちがいない。案の定、人気のないところで仕掛けてきた。目も覚めやらぬ明け方の街角。S……駅近くの繁華街。グレイゾーンの住民の多い地域──警察への即座の通報は期待できない。こちらも警察に通報されては困る事情がある。つまり、自力で切り抜けるしかないってことだ。

祭戸サイド!」わたしは怒鳴った。「出せ! 押し退けろ!」

「くそったれがあ!」彫りの深い、モデルのように整った顔に似合わないものすごい形相でわめきながら、目下我が相棒であるところの祭戸サイドカズオはアクセルをベタ踏みした。荒々しいバイオディーゼル・エンジンの咆哮を張り上げて、我らが戦車ウォーワゴン、トヨタ・ハイエース改(防弾加工済み、強化バンパー装備)は猛然と前方のフィットに突進した。

 衝撃。轟音。フィットの後部が歪む。ちょうどフィットから飛び出しかけていた、ピエロの覆面をつけた野郎が投げ出され、激しく路面にキッスして動かなくなった。ざまあみろ。

 祭戸は委細構わずギアをバックに叩き込む。後退。後ろのフィットも突き飛ばす。衝撃。くそ、ちょっと頭がくらくらする。敵の罵声が聞こえる。知ったことか。

「もう一発だ! もう一発ぶちかませ!」

「わかってるさクソ探偵!」祭戸は首をこちらにねじ曲げて怒鳴り声をあげた。それからもう一発ぶちかました。今度の衝撃はすごかった。大きな隙間があく。

 祭戸はそこでアクセルを目一杯に踏み込んだ。同時にハンドルを切る。

 全速フル・スロットル

 ハイエースは咆哮しながらその場を離脱した。

 バックミラーを見る。クルマから這い出た襲撃者たちが、必死になってこちらを追いかけてくるのが見える。その姿がどんどん小さくなる。しかし、安心はできない。この手の襲撃は、二段三段構えになっているのが常だからだ。

 今のうちに武器の用意をしなければならない。

「最寄りの退避場所は?」足元に置いてあるボストンバッグの中の武器をチェックしながらわたしは祭戸に大声で聞いた。

「いちいちうるせえな! わかってるよ。あと2ブロック先だ。そこにの倉庫がある。ちょっとした要塞だ。そこまで逃げりゃ……」

「わかってりゃいい」武器を身につけながらわたしは言った。視線は前に向けていた。暗がりの中に信号機のランプが浮かんでいる。「いいか、若いの。今のうちに言っとくぞ。さっきので終わりじゃないぜ。そうささやくのさ、おれの勘がな」

 祭戸はバックミラー越しに、露骨に疑り深い目でわたしを睨んだ。

「経験と過去のデータからの類推だ」わたしは言い直した。「とにかく、気を抜くなよ」

「わかってるさ」祭戸は舌打ちした。「……いいか、クソ探偵。おれを若造扱いするな。これでも修羅場は何度もくぐってる。大倉オオクラの兄貴にずいぶん鍛えられたんだ。お前なんかに指図されるまでもねえ」

「そうかい。悪かったな」わたしは言った。つまらない口喧嘩を続ける気はなかった。敵が襲ってくるのに、どうして味方と喧嘩しなきゃいけないんだ?「ところで、お前さん、武器は持ってないんだよな?」

 祭戸はまた舌打ちした。

「それが決まりだからな。で、それがどうした、クソ探偵さんよ?」

「倉庫についたら武器を渡す。応援がくるまではおれたちだけで切り抜けなきゃならん。だから──」

 最後まで言うことはできなかった。

 交差点にさしかかった途端、横合いから信号無視のSUVが突っ込んできたからだ。


 意識の途絶は短時間で済んだらしい。これまで散々気絶させられてきたせいで、どうもわたしは気絶に耐性ができたらしいのだ。冗談みたいな話だが、本当なんだからしかたない。

 祭戸はそうではなかった。膨らんだエアバッグに顔をうずめて、微動だにしない。わたしはガンガン痛む頭を振って意識をしゃんとさせ、それから祭戸をどついた。何発かどついてやると、祭戸は唸り声をあげて意識を取り戻した。こちらを向く。視線が宙をさまよい、焦点が合わないようだ。軽い脳震盪を起こしたのにちがいない。

 わたしは大声で言った。

「しっかりしろ! 祭戸! しっかりするんだ! 襲撃だぞ! プランBだ! クルマは捨てるしかない」

「え……なに?」祭戸はぼんやりした声で言った。「なんだって? プランB?」

「プランBだよ! 打ち合わせで決めただろ。クルマを捨てるんだ。修羅場には慣れてるんだろ、若いの! 根性ガッツを見せろ!」

 わたしはあえて挑発した。祭戸に正気を取り戻してもらう必要がある。果たして、祭戸の目がみるみる光を取り戻した。

「……くそっ、くそっ、プランBか、ああわかってる、畜生め、早く出なきゃ」

 祭戸はドアを開けかけた。

 わたしは彼の襟首をつかんで引き戻した。

 続けざまの破裂音。

 祭戸の方のドアのガラスに次々にひびが入り、白くなっていく。

 銃撃だ。くそったれめ。防弾ガラス様々だ。

「クッソ野郎!」祭戸は叫んだ。「銃かよ! なんだよクソッタレ!!」

 それはおれも同意見だよ、若いの。

 わたしは敵を確認した。いつの間にか取り囲まれていた。4、5人いる。服装は様々だが、全員がパーティグッズらしきふざけた覆面をかぶっていた。パンダにホッケーマスク、アメリカ初の黒人大統領閣下、任天堂お抱えの世界一有名なイタリア人配管工、それにヒョットコ。それだけだったらお笑いだが、どいつもこいつも武器を持っていた。青竜刀、拳銃、それに加えて散弾銃。典型的な武装強盗だ。マシンガンを持ってないだけマシだと思うしかない。

「くそっ、どうすりゃいいんだ」祭戸が呻いた。「のこのこ出てったらやられちまう」

 言うまでもないな、若いの。

 わたしはチラッと後部座席を見た。銀色のアタッシュケースが二つ。やつらの狙いがこれなのはわかっている。わたしは祭戸の方に向き直って言った。

「なあ、祭戸くん。あのケースを連中にくれてやれば、無事に切り抜けられるかもわからんぜ」

 祭戸の顔はみるみる悪鬼のそれに変じた。

「なにほざきやがる、この腐れ××野郎! てめえ、自分の仕事わかってんのか?! ぶちのめすぞ、ああ?!」

 わたしはニヤリと笑った。

「冗談だよ」アタッシュケースをひとつ、手元に引き寄せてわたしは言った。「やる気はあるんだな?」

 もうひとつのアタッシュケースをつかんだ祭戸は、わたしをにらみ、吐き出すように言った。

「当然だろ」

「ならよかった」

 わたしは自分の側のドアを開けるが否や、手に持っていたものを投げた。素早くドアを閉じる。

 直後、激しい爆発音が轟いた。小さいつぶてがびしびしハイエースに当たって音を立てる。

 その音がやんだ。

 わたしは叫んだ。

「GO、GO、GO!」

 ハイエースから飛び出す。ミスター配管工とホッケーマスクが顔や股間を押さえて唸り、転げ回っている。ヤミで仕入れたスティングボール・グレネード──ゴム散弾を装填した暴徒鎮圧用手榴弾──の威力は素晴らしい。高い金を払って買った甲斐があったというものだ。あとから飛び出してきた祭戸は、さすがに呆気にとられた顔をしていた。まさかいきなり手榴弾を使うとは思わなかったにちがいない。

 クルマの反対側にいた連中は、スティングボールの直撃は受けていない。それでも、爆発音に度肝を抜かれたか、すぐには追いかけてこない。今のうちに逃げられるだけ逃げるしかない。わたしは必死に走った。くそ、息が切れる。年はとりたくないな。祭戸がわたしを追い抜く。

 銃声。

 あっ、と声をあげて、祭戸が転倒した。アタッシュケースを放り出し、片足を抱えて転げ回る。血が派手に飛び散った。

「くそ」

 わたしは祭戸をひっつかみ、すぐ近くに路駐されていたクルマの影に引きずり込んだ。祭戸のケースはその場に置き去りにした。一度に二つは無理だ。強盗団がすぐに近づいてこないのを祈るしかない。

「見せろ」

 祭戸の足の傷をチェックする。祭戸は歯を食いしばって耐えていた。なかなか見上げた根性だ。

 銃弾はふくらはぎを貫通していた。骨は傷つけてないようだ。しかし、これでは歩けない。わたしは持っていた止血帯を使って応急処置を施した。これで当面はしのげるが、早く医者に診せなければえらいことになる。ええいくそ、ついてねえ。

「畜生」祭戸は歯の隙間から押し出すように言った。顔は真っ青だ。「やられちまった」

「まぐれ当たりだ。お前さんのせいじゃないさ」

「……あっ。ケースは。ケースはどこだ」祭戸の顔からさらに血の気が引いた。真っ青を通り越して土気色だ。「まさか……」

 わたしはそっとクルマの影から様子を伺った。ケースはさっき放り出されたところに無心に転がっていた。強盗たちがそれに恐る恐る近づこうとしている。

「まだ大丈夫だ」わたしは言った。「今から取ってくる。お前さんは、に連絡を取ってくれ」

 それからわたしは、懐から祭戸用の武器を取り出し、彼に手渡した。水平二連の、冗談みたいな大口径の銃身を備えた、うすらでかいピストルだ。

「なんだこれ、大砲か?」祭戸が言った。

「〈フラッシュボール〉だ」わたしは言った。「本当は暴徒鎮圧用の武器だ。ゴム散弾を装填してある。撃つときは両手でしっかり支えろ。あと、本当は、撃つときは顔面を狙うなと説明書に書いてあるが……」

 わたしはニヤリと笑った。

「遠慮なく顔を撃て。容赦はするな」

 祭戸はひきつった笑いを見せた。

 わたしはクルマの影から飛び出した。

 叫び声が上がる。

 銃声がはじける。

 時間の流れが遅くなる。

 わたしは持っていた武器を構えた。米ティップマン社製のレス・リーサル・カービン。公安委員会の許可を取って正規に購入したものだが、こっそり改造を繰り返した結果、中身は別物となっている。バレたらきついお灸を据えられるだろう。しかし、命には代えられない。

 ドットサイトを覗き込む。強盗のひとりがこちらに銃を向けようとしていた。パンダの覆面だ。

 そいつの顔にドットを重ねて、引き金を引く。

 バスッ、と高圧空気が吹き出る音。カプサイシン粉末を充填したペッパーボールが秒速150mで射出される。ペッパーボールはあやまたず、強盗の顔面に直撃した。内部の塗料が飛び散って、パンダのモノトーン・フェイスをオレンジ色に染めた。そいつはその場に崩れ落ち、顔を押さえてその場で転げ回った。カプサイシン粉末をまともに吸い込んで悲惨なことになっているはずだし、鼻はまちがいなくつぶれただろう。違法に初速を高めたペッパーボール・ガンで人間の顔を撃つと、そういうことになる。

 わたしはさらに何発かペッパーボールをばらまき、敵を牽制しつつケースを拾い上げた。さらに何発かペッパーボールを撃ち込み、駆け足で祭戸のところに戻る。

 祭戸はぐったりとクルマにもたれかかっていた。それでも、わたしの気配に気づくと、フラッシュボールをこちらに向けようとする。

「おれだ」わたしはケースを示しながら言った。「連絡は取れたか?」

「何とか……」祭戸はようよう言った。息が荒い。「頭が……ふらふら、する」

 くそ、出血のせいか。いざとなったら無理矢理にでも引きずって移動させるつもりだったが、この様子ではそれも厳しそうだ。負傷者に無理はさせられない。

「救援はいつくる?」

「すぐには……無理だ。早くても15分……」

 くそ。だったら、応援がつくまでのあいだに、やつらにまた取り囲まれてしまう。そしたら、どんな目に遭わされるか……。

「おい……おい。クソ探偵」祭戸が言った。「おれは……だめだ。歩けねえ。お前、ケース持って、行ってくれ。大事なのはケースだ。おれはどうでもいい。ケースをとられたら、兄貴や専務に申し訳が立たねえ……」

 わたしは素早く考えた。祭戸を見捨てたら、兄貴分であるところの大倉がどういう行動に出るか、容易に想像がついた。すでに顔は合わせているからな。たとえケースが無事でも、やつはわたしを許すまい。

 結論。やくざの怒りは買わないに限る。長生きの秘訣だ。

 わたしは祭戸の傍らにひざまずいた。ペッパーボールの残弾をチェックする。残り60発。スティングボールはあと3つ。これだけで、少なくとも15分、何とか保たせなきゃならん。

 オーケイ。クソみたいな勝負だが、やってやろう。

「なんだよ……逃げねえ、のか」祭戸が、意外そうな声で言った。

「これも仕事のうちさ」わたしは答え、ティップマン・カービンを構えた。


 結論から言う。わたしは負けた。衆寡敵せずだった。最初に襲撃してきた連中が追いついてきて、委細構わぬ突撃を仕掛けてきたのだ。こちらが本物の銃をもっていないと気づいて、勝負をかけてきたわけだ。たちまち弾は尽きた。わたしは特殊警棒を振るって応戦したが、たちまち取り囲まれて棒でしこたま殴られた。祭戸もフラッシュボールで応戦し、二人倒したが、あとは袋叩きにあってあっさり気絶した。

 血反吐をはいて悶絶しているわたしのそばに、強盗のひとりが近づいてきて、脇腹に蹴りをぶちこんできた。わたしはたまらず仰向けになった。目の前にヒョットコの面が近づいてきた。この状況なのに、わたしは笑いそうになった。その様子に気づいたか、やつはわたしの顔面を殴った。目の前に星が散り、鼻血が吹き出す。口の中に血の味が広がった。

「ふざけたまねをしやがって……」ヒョットコが言った。若いが、闇社会に生きるものに特有の暗さを帯びた、快活さの欠片もない声だった。「てめえ、やくざじゃねえな? 何モンだ?」

「ノー……コメント」

 舌打ち。

 ヒョットコは立ち上がり、銃を抜いた。比較的小ぶりのピストルだ。それをこちらに向ける。生きるか死ぬかの状況で、知覚が鋭敏になっているのか、やたらとディテールがはっきり見えた。マカロフPMだ。中国製の〈赤星〉かもしれない。いずれにしてもオーソドックスなチョイスだ。

 ヒョットコは言った。

「もう一度聞く。てめえ、何モンだ」

 わたしは全身の力を総動員し、中指をおっ立ててやった。

 ヒョットコはマカロフをぶっぱなした。

 胸のあたりに、続けざまの衝撃を感じた。防弾チョッキを着ていたから死にはしなかったが、これは効いた。ヘビー級のボクサーのラピッドパンチを浴びるようなものだからな。

 目の前にアンドロメダ銀河がいっぱいに広がった。 

 ぐるぐる渦巻く苦痛の星々のど真ん中、無意識の暗黒に落ち込む直前、わたしは、どうして強盗はおれたちを殺そうとしなかったんだろう、とぼんやり考えた。それから、今回の仕事の依頼主のインテリやくざ然とした風貌を思いだし、あらためてこう思った。

 やっぱりやくざに借りなんか作るもんじゃねえ。

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