こちら、灰田探偵事務所

HK15

値打ちもの

値打ちもの①

 その客は時間きっかりにやってきた。わたしは若干好印象をもった。とりあえず、ファースト・インプレッションは悪くない。これまでの経験から考えて、約束を守る客は相対的にいい客(のはず)だ。ついでに相手の身なりをそれとなくチェックする。ふむふむ、地味だがそれなりに金のかかった装いだ。生地や仕立てから見て、吊しではなく、テーラーで作らせたやつだろう。手入れも行き届いているようだ。ということは、金回りも悪くないということだ。土壇場になって、金は払えないだの、こんなのはボッタクリだのと騒ぎだす気遣いはしなくてもよいだろう。

 そんな腹の中は一切おもてに出さずに、わたしは愛想よく客を出迎え、冷たい茶をすすめた。──あなたが探偵稼業でやっていこうと思っているのなら、覚えておくといい。この業界で長くやっていこうと思ったら、愛想よく振る舞うのは大事なことだ。のべつまくなしに減らず口を叩いたり、無駄にタフガイを気取ったりしていたら、待っているのは破滅と死だ。冗談抜きで。

「外は暑かったでしょう、遠藤エンドウさん……」わたしは来客用の茶菓子(ティン・ティン・ジャへの生姜ショウガボンボン)を出しながら言った。「こうも暑いとかないませんな。電気代がかさんで閉口してますよ」

「ええ、まあね……」客──遠藤はぼそぼそと答えた。小柄な男だった。やせていて、頬がいくらかこけていた。年の頃は50代の中頃というところか。ポケットから取り出したハンカチで、しきりに額の汗をぬぐっている。

「もう少し温度下げましょうか?」わたしはたずねた。

「あ、いや、結構です」遠藤は答えた。それから茶を一気に飲んでしまった。どうやらかなり緊張していると見える。さっさと本題に入ったほうがよさそうだ。

「ええと──遠藤さん。ご依頼内容は盗品の捜索ということでしたが、具体的な内容について教えていただけますか?」

「ええ、はい」遠藤はうなずいた。「わたしは貿易商をやっていまして……東南アジア方面を中心に、宝石ですとかアクセサリー、雑貨などを扱っております。まあ、小さい会社ですが……探していただきたいのは、その、会社の売り物でして」

「なるほど。具体的に、何を盗まれたのですか?」

「宝石です」遠藤は重苦しい口調で言った。「真珠、翡翠、瑪瑙、その他いろいろ……三日前の夜、会社の倉庫に泥棒が入りまして、そのときごっそりやられたんです。保険がかけてあるとはいっても、このままでは大損害は免れません。信用にも傷がついてしまう……」

「なるほど。ところで、詳しい状況を教えていただけますか?」

 遠藤の説明によると、つまりこういうことだった。三日前の夜、詳しい時間は不明だが、彼の借りている倉庫に泥棒が押し入った。警報器はつけてあったが、泥棒はそれを無力化していたため、警備会社への通報が遅れたという。泥棒の動きは迅速で、宝石類をあらかたかっさらうと、脇目もふらずに一目散に逃走した。監視カメラは犯人を捉えていたが、こういう場合のご多分にもれず、きっちりと覆面をつけ、個人を特定できるような特徴は何も見せていなかった。恐らく20~50代までの男性で、身長は170センチ台ということしかわからない、という。話を聞いただけでも、この種の仕事に慣れた人間の犯行であることはすぐにわかった。

「それで、わたしがいちばん困っているのは──」遠藤はそこで言葉を切った。汗をぬぐう。どうやら、汗をかいているのは、暑いからではないようだ。よく見ると顔色がよくない。どうやらかなりナーバスになっているようだった。「盗まれた宝石の中に、その、たいへんな値打ちものがあるからでして」

「ふむふむ。具体的にはどのような?」

「真珠です……」遠藤は言った。「ミクロネシアで採取された天然ものでしてね……直径が20ミリもあり、しかも極めて完璧な球体なのです。天然ものでこれほどのサイズ、なおかつ均整のとれた球体のものは非常に珍しい。それを、是非にとおっしゃるお客様がいましてね。苦労して入手したのですが……まったくたいへんな損害です。いくら保険がおりるといっても、とても補償などしきれませんよ」

 話を聞き終えたわたしは、同情をこめてうなずきながら言った。

「ふむふむ、それはたいへんな災難でしたね。ところで、警察に届けは出されましたか?」

「もちろんです……」遠藤はそこでため息をついた。「しかし、探偵さん、ご存知でしょう。昔はいざ知らず、今の警察に迅速な捜査を求めるのは無理だ。担当の刑事さんにもいわれましたよ、探偵に頼んだほうが早い、と……だから、こうやってあなたに依頼しにきたというわけです」

 いやはや。こういうとき、いつも思うが、ビバ治安悪化! ビバ警察弱体化! である。善良な一般市民にとってはたまったものではないだろうが、こういう社会情勢だからこそ、わたしのような零細の私立探偵でも、日干しにならずに済んでいるのだ。とりあえず食うに困らないに越したことはない。まあ、もっと状況が悪化すれば、こんなことも言っていられなくなるのだが……。

「なるほど。いや、申し訳ありません。こういう案件のときには必ず聞くようにしているので」内心はおくびにも出さず、わたしは言った。「こちらも警察とは持ちつ持たれつのところがありますのでね。あちらの領分には踏み込まないように気をつけているんですよ……さて、こういう案件ですと、もたもたしていれば、それだけ見つかる可能性は指数関数的に減少していくものですが、いかがなさいます?」

「もちろん契約しますとも。時間をかけていられないのはわかっていますからね」

「なるほど、承知いたしました。では、さっそく見積もりのほうを……」わたしは爽やかな営業用スマイルを顔に張りつけると、手元のタブレットを取り上げて、見積書を表示させようとした。

 目の前に茶封筒が置かれた。

「ええと──これは」わたしは言った。

「手付金です」遠藤は言った。硬い声だった。「50万入っています──首尾よく盗品を取り戻すことができたら、500万まで支払う用意があります。現金支払いで、です」

 わたしは封筒を取り上げて中身をチェックした。福沢諭吉の顔が印刷された、正真正銘の日本銀行券が50枚、帯紙でまとめられて確かに入っていた。

「はあ」わたしは封筒を置きながら言った。「いや、それはありがたい申し出ですが、ええと」

「これで信用を守れるなら安いものです」遠藤はきっぱり言いきった。「お願いします、灰田ハイダさん。どうか宝石を見つけだしてください……」

 わたしはうなずいた。うなずきながら、どうにも奇妙だと思った。気前がよすぎると思ったのだ。今どき現金払いというのも気になった。しかし、これほどの好条件を逃すわけにはいかない。現金払いだから、うまくすれば税務署をごまかすこともできる。首尾よくことが進めば、当面は楽をすることができるだろう。わたしは物事のよい面を見ようとした。なに、心配いらない。ファースト・インプレッションは悪くなかったろ?


 経験上、何となくいやな予感がしたら、本当は回れ右して逃げ出すべきだった。しかし、その予感に目をつむったために、わたしは報いを受ける羽目になった。例のごとく、ひどい目に遭うことになったのである。

 

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