拝啓、僕へ。
いた
◆ 一
六月にして、もう気温は三十度を超えた。空の色は淀んでいるが、外は蒸し暑い。柴田中学校の校庭で部活に励む生徒たちのかけ声には、どこか気だるさが混じっていた。
埃っぽい、木造の小さな小屋。陸上部の部室の中で、紫色のダサいジャージを着た僕は立ち尽くしていた。
「今日、澤江休みだってよー。各自自主練でー」
部長のその一言で、陸上部は無法地帯と化した。「澤江」とは陸上部の顧問である。四十代、ボサボサの頭髪、猫背のおっさん。理科教師だ。顧問なのに、部活を休みがちだ。
こうなると、友人が一人もいない僕は、立ち尽くすしかない。部室でぼーっとしながら時間が過ぎるのを待つ。さっさと帰ればいいのだが、そういうわけにもいかない。僕がいなくなった途端に、僕の陰口大会になってしまうのが怖かったからだ。
かといって、一人で運動場へ出てひたすら走るのも気が引ける。そんなところを野球部やサッカー部の連中に見られたら、どんな風に噂されるのか考えただけで気が滅入る。「あいつ、一人で必死で走って、どうしたんだろ」とか。
だから、部室で、限りなく存在を消し、ただ時が過ぎるのを待つ。
「てか、森屋が昨日LINEしてきた動画マジうけるんだけどー」
「あれはマジで笑った!」
くだらない。練習をサボって談笑する部員たちの声が耳に入ってくる度に虫唾が走る。その「雑音」が右耳から左耳へ通り抜けていくように、頭を空っぽにして、立ち尽くす。壁に寄りかかりながら、時が過ぎるのを待つ。孤独感から逃げるように、何も考えないようにする。
陸上部の部室は、校庭から屋外のプールへ行く途中にある。室内練習場が備え付けられた野球部の立派な部室の横に建っている、ただの「小屋」である。しかし一年が七人、二年が六人しかいない小規模な陸上部にはちょうどよかった。
せまい室内には机が二つあり、片方は一年生グループが囲んで座り、もう片方は二年生の先輩グループが占拠している。三年生は五月の地区予選で全員敗退したから、もう誰もいない。
柴田中に入学してから二ヶ月が経ったその時でも、僕には居場所がなかった。
こういうの、「ぼっち」っていうのかな。
それは陸上部の中だけではない。一年二組の教室にいても同じだ。
中学生は何かと群れたがる。学校生活の海の中で漂流し、おぼれてしまわないように、仲間と手を取り合おうとする。僕はその波の中で一人、取り残されていた。
一番安心できる時間は、授業中だ。特に、前を向いて教師の話を聞くだけの、講義形式の授業。自然と、誰とも関わらなくてもいいし、自分だけの檻の中に閉じこもることができる。
そんな時に僕が考えるのは、もし、僕がクラスの人気者の考えていることや、言おうとしていることを事前に知ることができたらどうなるか、という妄想だ。
例えば、このクラスには、室井というサッカー部の男子が、いつもこれ見よがしなボケを言ったり、はやりの芸人のまねをしたりして、みんなを笑わせている。(まあ、僕はそれを全く面白いと思えないし、笑えもしないのだが。)
そこに斉藤というバスケ部の男子が、ツッコミらしきことを言って、さらにクラスのみんなが笑うというのが、このクラスのいつもの流れだ。
彼らが話すことを、その直前に僕が知ることができ、それを彼らではなく僕が言ったとしたら。彼らではなく、僕がボケたり、ツッコんだりしたら。
僕は人気者になれるだろうか。人気者でなくとも、今のように存在が限りなく透明になることなく、クラスで市民権を得た存在となることができただろうか。
そんなことを、思う。思う、だけである。僕には何もできない。僕は、目立たないように、愛想笑いをするだけだ。教室の風景となり、一日を過ごしていくだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます