2月下旬 変化と変化


 バレンタインイベントが終わってから数日が経った。

 俺の仕事スタイルもクリスマス以前に戻ろうとしている。


 今にして思えばブロンズ社とザニー社の合同チームのリーダーなんて、普通に仕事をしていればなかなか経験できる事じゃない。

 大変なことが多かったが、ようやく全てが落ち着くことができる。


 だけど……。


 こじんまりとした旅行カバンをタクシーの荷台に入れた俺は、そばにいる楓坂に訊ねた。


「空港まで一緒に行こうか?」

「いやよ。四月には戻ってくるのよ。そんな辛気臭いことされたくないわ」

「そ……そうか」


 楓坂は大学の春休みを利用して、四月までアメリカにいる両親の元へ帰ることとなった。

 お正月休みに帰ってもよかったのだが、楓坂はバレンタインイベントが終了するまで待っていたそうだ。


「もしかして心配なのかしら?」

「そりゃあそうだろ」

「うふふ、大丈夫よ。お父様もお母様も優しいから。それにお爺様も今は穏やかな性格になったって聞いているし」


 祖父との和解、問題の元凶である黒ヶ崎の逮捕。

 そしてバレンタインイベントを無事に成功させたことで、彼女が抱えていた不安は全て解消された。


 そのためか楓坂の表情はスッキリしている。

 初めて会った時、全方位に敵意をむき出しにしていた楓坂はもういない。


「私ね、事故で絵が描けなくなってからずっと『自分は何をやっても失敗する』って言う考えに囚われてたわ。だから結衣花さんや笹宮さんに依存するようになってた。でもそれじゃあダメってやっと考えられるようになったの」


 体が触れるほど近づいた楓坂は静かに言う。 

 

「結衣花さんが前に進むのを見て、私も一緒に進みたいと思った。そんな気持ちに気づかせてくれたのはあなたよ。笹宮さん、ありがとう」

「俺の方こそ……。まぁ……その……、なんだ。……楽しかった」


 正真正銘、俺の素直な気持ちだ。

 本当にいろいろなことを楓坂に助けてもらった。


「合鍵は持っていてくれ。四月で引っ越していることはまずないからな」

「ありがとう。そういえば私の部屋だけど、一ヶ月以上も放置するわけにいかないから別の人に貸すことにしたわ。仲良くしてね」

「ああ、ちゃんと挨拶しとくよ」


 そして楓坂は行ってしまった。

 いろいろな事が以前に戻っていくような気がする。


   ◆


 楓坂が海外に行って数日後の日曜日。

 

「あ~、昼食かぁ……。めんどくせぇな……」


 食事を作るのも食べるのもめんどくさい。

 あれ? 俺ってこんなにだらしないやつだっけ?


 以前は食事が楽しいと思っていたのに、いつのまにかインスタントラーメン率が多くなっている。


 いや、うまいよ。マジでうまい。

 新発売の激辛ラーメンとか驚いたもんね。

 まさか、七夕キャンペーンの時に行った出張先のご当地ラーメンがカップ麺になるとは思わなかった。


「そういえばあの出張の時も、楓坂がいたんだよな……」


 改めて今の自分が一人だという実感が湧いて来る。

 つい最近まであった和気あいあいとした時間が今はない。

 毎日じゃなかったけど、一緒に食事をする時間が心地よかったんだ。


 普通の日常がこんなに虚しいなんて、今まで考えたこともなかった。


 いや、考え込むな。うっとおしい。

 大の大人なさびしさくらいで落ち込んでどうする。

 四月になったら、また帰ってくるんだ。

 ちょうどその頃なら花見のシーズンだし、結衣花と愛菜も誘って花見に行こう。


 ……って、無愛想の権化だった俺が花見を計画するなんて笑える話だ。


 そう考えていた時、『ぴんぽ~ん♪』とインターホンが鳴った。


 日曜日の午前中に訪問販売かよ。センスねぇな。

 そもそもここは訪問販売禁止のマンションなんだぞ。

 直接会って文句を言ってやる。


 俺はインターホンには出ず、そのまま玄関に向かってドアを開けた。


 だが、そこにいたのは訪問販売員ではなく……私服姿の女子高生だった。


「おはよ。お兄さん」

「……よぉ、……結衣花」


 間違いない。いつも通勤電車で会う女子高生だ。

 だがどうして?

 楓坂が隣にいないのなら、彼女がここに来る理由はないはずだ。


「どうしたんだ?」


 そう訊ねる俺に、結衣花はいつものフラットテンションで答える。


「隣に引っ越してきたから挨拶だけど?」

「となりって楓坂の部屋にか?」

「うん。聞いてないの?」

「全然……」


 そういえば留守の間、知り合いに部屋を貸すって言っていたっけ。

 つまりそれが結衣花ってことか?


 いや、でも女子高生が一人暮らしってアリなのか?

 んんん~、結衣花のお袋さんならあり得るか……。

 あの人、ダイナミックだからな……。


「まぁいいや、とにかく今日から私がお隣さんだからよろしくね」


 困惑する俺をよそに、結衣花はトートバッグを持ったまま部屋に入ってきた。


「引っ越しそばで鴨南蛮を作るつもりだけど、それでいい?」

「めし……作ってくれるのか?」

「うん。今からなら昼食代わりになるでしょ」


 なにを当たり前のことをと言わんばかりの表情で言う結衣花。

 結衣花は楓坂がいなくても、俺のところへ来てくれるのか。


 そう思った時、さっきまで薄暗く感じていた部屋があかるくなったような気がした。


 確かに俺達はカレカノという関係ではない。

 友達というわけでもないし、兄弟でもない。

 でも、そう言うのとは違うなにかの縁で繋がっている。


 気づく気づかないの問題じゃない。

 ずっとそうだったじゃないか。


 ふっ……と俺は笑う。


「そうか、じゃあ頼むよ。鴨は好きなんだ」

「よかった。それまでエッチな本は整理しておいてね」

「ねえよ」


 こうして会社員と女子高生のお隣生活が始まることになる。

 さて、どうなることやら……。



■――あとがき――■

いつも読んで頂き、ありがとうございます。

読者様には感謝の言葉しかありません。本当に嬉しいです。


書籍化の方の準備も進めています。

WEB版とは違う新しいストーリー構成なので、きっと楽しんで頂けると思います。


明日からですが、アフターストーリーとして結衣花とのお隣生活を書いて行きたいと思っています。


もしよろしければ、読み続けて頂けると嬉しいです。


投稿は朝7時15分。

よろしくお願いします。(*’ワ’*)

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