9月1日(火曜日)楓坂のお世話


 仕事を終えて自宅のマンションに帰ると、隣の住人がドアを少しだけ開けた。


 メガネをかけた美人というにふさわしいその女性は、俺の姿を確認すると女神スマイルで歩いて来る。


「おかえりなさい、笹宮さん」


 うれしそうにほほえんでいるのは楓坂。

 結衣花の先輩で、ブイチューバーをしてる大学生だ。


「ただいま。で……、今日はどうした?」


 俺がそう訊ねると、楓坂は手を後ろに回してあざとい態度で訊ねてくる。


「男の人って肉じゃがが好きなんですよね?」

「そういう言い伝えはあるな」

「笹宮さんは食べたい?」

「作ってくれるのか?」

「作って欲しいの」


 たぶん男が喜ぶ肉じゃがっていうのは、女性に作ってもらう場合に限ると思うのだが……。


 要するに、彼女は腹が減っているのだ。


 無理もない。

 包丁こそ使えるようになったが、未だにちゃんとした料理はすることができないのだ。


 だがここで見捨てると、本当に行き倒れになりかねない。


 しかたがない。

 また楓坂の分の夕食も作ってやろう。


「じゃあ、部屋に入れよ。材料は買ってるんだろ?」

「ええ、もちろんです」


 すると彼女は上品に唇を隠して笑った。


「うふふ。こうして二人で夕食を食べるなんて、なんだか恋人みたいね」

「俺、どっちかっていうと、作ってくれる方が嬉しいんだけど」


 俺は自分の部屋に入ると、さっそくキッチンへ向かった。


 肉じゃがと言えば時間が掛かる料理と思われがちだが、最近では時短グッズがいくつも販売されている。

 そのため俺でもすぐに仕上げることができた。


 出来上がった肉じゃがをダイニングに運び、「いただきます」と手を合わして夕食にする。


「あら、おいしっ。笹宮さん、お料理が上手になったんじゃないですか?」

「褒めてくれてありがとう。何度も楓坂の夕食を作ってるからだろうな」

「じゃあ、私のおかげですね」

「よく言うぜ」


 毎日というわけではないが、俺と楓坂はこうして一緒に夕食をするときがある。

 楓坂が腹を空かせている時に、俺が飯を作ってやるというのがいつもの流れだ。


「おまえさ……、朝食とかどうしてんの」

「グラノーラにヨーグルトを混ぜて食べてます」

「いちおう食べることは諦めてなかったんだな」

「さすがに朝食まで笹宮さんに作ってもらうのは申し訳なくて。うふふ」

「そう思うなら自分で作れ」


 と、まあいつもこんな感じだ。


 食事を終えた後、食器を片付けている時に雑談ついでに結衣花の話をすることにした。


「今日結衣花と話をしていたんだが、ハロウィンのイラストコンテストに応募するって言ってたぜ」


 すると楓坂はめずらしく真面目な表情で「そう……」とつぶやく。


「……結衣花さん、本当に変わりましたね」

「どういうことだ?」

「少し前まで、結衣花さんは仕上げた作品を他の人に見せようとしなかったのよ。六月末に動画配信で使用するイラストを描いてくれたときは驚いたわ」


 予想外の話だ。

 俺の時は普通にイラストをみせてくれたが、元々はそうでなかったらしい。


 楓坂はというと、俺の方を見てどこかさびしげに微笑む。


「きっと笹宮さんのおかげですね」

「俺……なにもしてないんだが……」

「あなたはいろんな人に影響を与えています」


 そこまで言った楓坂は、じっと俺を見つめてきた。


「私もあなたの影響を受けています」


 とても意味深な目だ。

 楓坂は以前『今すぐでなくていいので、俺の気が向いたら付き合ってください』というフワッとした告白をしてきたことがあった。


 もし普通の告白ならその場で断っていたのだが、ここまで消極的だと返事に困る。


 ちなみにこの後の展開はいつも同じだ。


「あれ? もしかして、俺って口説かれてんの」

「は? なに言ってるんですか。笹宮さんが私への想いを抑えきれなくなるシチュエーションですよね」

「なんでこういう場面でマウント取ろうとするんだよ」

「そっちこそ、マヌケなことを平気で言うとか本当に残念系ですよね」


 雰囲気なんて一切ない。


 一時はお互いに照れるときもあったが、今はこうしてケンカとすら言わない小競り合いをしょっちゅう繰り返している。


 つーか、こいつ俺が六歳年上ってことを忘れてんじゃねえの。


「でも結衣花さんがコンテストに出るなら応援してあげたいですね。なにかサプライズを用意しないと」

「相変わらず、楓坂って結衣花大好きっ子だよな」

「彼女こそ地上に舞い降りた天使です」

「いいすぎだろ」


 結衣花が参加するイラストコンテストは九月末に応募を締め切り、十月下旬に結果が発表される。


 どんな結果になるかはわからないが、俺も結衣花のことを応援してあげたいな。



■――あとがき――■

いつも読んで頂き、ありがとうございます。

☆評価・♡応援、とても元気を頂いています。


次回、音水にコンテストの事を訊ねたとき、倉庫に閉じ込められる!?


よろしくお願いします。(*’ワ’*)

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