6月24日(水曜日)出張の準備
六月も残すは一週間となった水曜日。
無事にプレゼンを成功させた俺達はイベントに向けて、キャンペーンスタッフの人材派遣会社と打ち合わせをしていた。
イベントキャンペーンでもっとも問題になりやすいのが人員の確保だ。
特に喋れるスタッフを確保できるかどうかは、結果に大きく影響する。
一通りの打ち合わせを終えた後、俺と音水は自動車に乗って移動していた。
「信頼できるスタッフも確保できたし、あとは各地の協力業者との打ち合わせだな」
今回のキャンペーンは東京・大阪・名古屋・福岡と範囲が広い。
ブイチューバーとのコラボを活かしやすいのはいいが、管理が困難という問題を抱えている。
さすがに一度も会ったことがないと、連絡の不備が生まれやすい。
いくらテレワークが広がったとはいえ、対面での打ち合わせは必要不可欠だった。
「金曜日から出張だが、音水は大丈夫か?」
「はい! 初めての出張なので楽しみです!」
爛々と光る表情はまさに意気揚々。
今日も音水は絶好調のようである。
女子社員と出張なんて本来はありえないことだが、今回は年配の女性社員や俺の先輩も一緒だ。
どう転んでも間違いを犯すことはない。
俺の心配をよそに、音水は乙女のように手を合わせて空想に浸っていた。
「はぁ……。初めての土地で高層から眺める夜景。オシャレな夕食。大きなお風呂にエステ。これこそ社会人ですよね」
「そんなところに泊まるわけないだろ」
一体どこから持ち出した情報だ。
普通の会社員が出張で、なぜ高級ホテルに泊まると言う発想が浮かぶのだ。
仕方がない。現地に行ってテンションが下がるより、先に現実を見せておこう。
赤信号で停車した時、俺はスマホを取り出して宿泊予定の旅館の画像を表示した。
「安い旅館だ。ちなみに食事は出ないから、朝食は事前にコンビニ弁当を買っておかないといけない」
「……朝食もなしですか。で、でも旅館ということは、温泉付き?」
……おいおい。んなわけないだろ。
「それもない。風呂は近くの銭湯まで行く必要がある。もちろん歩きだ」
「ええ……。令和の時代にそんなところが……」
「経費を削ることで、世界の広さを知るという我が社の教育方針さ。感激で泣くんじゃないぞ」
「んっんんぅ~。せっかく笹宮さんとの出張だったのに~」
期待が粉々になって落ち込む音水は唇を突き出して、不満そうな表情をしてみせる。
俺はこの旅館を気に入っているのだが、女性からすればがっかりする部分はあるだろう。
「まあ、落ち込むな。ここは去年も行ったが、ご主人が気配りの出来る人でな。居心地は保証する。それと近くに焼き鳥がうまい居酒屋があって、夜はそこで打ち上げをする予定だ」
その話を聞いた音水は、想像を膨らませるように唇に人差し指を添える。
「美味しい焼き鳥ですか。ん~。それは楽しみかも……」
「もちろん、おごりだぜ」
「笹宮さんの隣の席は私ですよ」
「わかった、わかった」
「んっふふ~♪ それなら大満足です」
ようやく機嫌を直した音水は、カップホルダーに置いてあったペットボトルに口をつける。
ミネラルウォーターをゴクゴクと飲む音水を見て、俺の心がわずかに揺れた。
あごから喉にかけてのラインに、普段見せない角度の横顔。
なんつーか、……色っぽい。
「あっ、そうだ。笹宮さん」
「お……おう」
なにかを思い出した音水は、急にこちらを向いて話しかけてきた。
俺はというと下心がバレないように、必死に平常心を演じる。
「私、新人MVP賞を貰うことになったんですけど、よかったんでしょうか? 今回のプレゼンは、ほとんど笹宮さんの力なのに……」
新人MVP賞というのは、毎年一番活躍した新入社員を選び、特別ボーナスを与えるという我が社独自の報酬だ。
貰える金額はそれほど多くはないが、この賞を得た新人はエースチームに配属されるというのが通例だった。
だが、もうひとつ……。
MVP受賞者には試練がある。
「貰えるもんは貰っとけ。もっとも、その後が大変だけどな」
「なにかあるんですか?」
「MVPになった新人は、必ず一発芸を披露しないといけないんだ」
「ええぇ~! なんですかそれぇ~!!」
一発芸に関しては同情するが、それでも自分が育てた新人がMVP賞を貰えるというのは嬉しいものだ。
すると音水はこちらを指さした。
「あ~。にやけてる~。そんなに私の一発芸を見たいんですか? ひどぉ~い」
「おっと。悪い悪い。つい……」
俺としたことが、うっかり表情に出ていたようだ。
この一カ月足らずで、ずいぶん表情豊かになったらしい。
無愛想主義者を掲げていた頃が懐かしいぜ。
突然、カシャカシャカシャ……と、高速連射の撮影音が響いた。
ゆっくりと撮影音のした方を見ると、スマホを両手で持った音水がすっとぼけようと目を泳がせている。
「えーっと……ですね。笹宮さんの貴重な表情なので、写真を撮るべきかと……」
「消してくれ」
「すみません。このスマホ、画像を消去できないんです」
「そんなウソが通用するわけないだろ」
真面目な音水でも、こんな女子高生みたいなふざけ方をする時があるのか……。
うーん。まあ、今回は少し気が緩んでいたということで許してやろう。
写真は消してもらうけどな。
あっ。音水のやつ、スマホを隠しやがった。
■――あとがき――■
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
☆評価・応援を頂けて、元気全開です!
次回、出張と聞いた結衣花が意外な反応を!?
よろしくお願いします。(*’▽’*)
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