Jump! Jump!! Jump!!!

衞藤萬里

第1話 「Don’t begin at the beginning」

「お帰りなさいませぇ、ご主人さま~」

 ――と、同期の北森明日夢が、ボクのボロアパートの部屋に問答無用で乱入してきた。

 時計は、長い針短い針、両者ほぼ真上を指している。ちなみに外は真っ暗。

 ボクと云えば、バイトから帰ってきたばかりで、居間兼書斎兼寝室兼食堂で、カップラーメンのお湯をそそぐ一歩前まで、湯気をたててるヤカンをかたむけていたところだった。とっくに帰ってるよ、お帰りなさいませ、などとお前から云われる筋合いはない。

 今度から部屋にいる時も、きちんと鍵をかけておこうと、ぼんやり思った。 そして、この状況は一体いかなるものであろうか……と普段使わない言葉づかいが頭の中に浮かんだ。

 現実の光景とは思えない。

 この異常な事態は何なんだよ。

 部屋に侵入するのはまだいい、いやよくはないが、まぁ仕方ない、ここはいいということにしておこう。論点はそこではないからだ。

 格好が問題だ。

 どういうわけか、明日夢、メイド服着ている。

 黒いクラシックなカンジのドレスは、先端にフリルのついた、ちょっと珍しい膝丈で、下のペチコートがスカートを立体的にふくらませている。玄関幅いっぱいだ。ついたての代わりにはなるな。肩はふんわりふくらみ、半そでの袖口は、二の腕のとこできゅっとしまっている。やたらフリルの多いエプロンは、眼に鮮やかな純白。襟のリボンは赤だ。スカートからのびるとてつもなく長い足には、やはり黒い、オーバーニーソックスにつつまれている。ものすごく短く切りそろえられている自慢の黒髪には、ご丁寧にカチューシャまで乗っかってる。

 このあたりの服飾に関しての情報は、後で調べた。

 メイド――というか、メイドさんだ。こいつがスカートはいてる姿、初めて見た。

 正気とは思えない、一体、何を考えてやがんだ。

 しかもここで、さらに問題となってくるのは、この北森明日夢という女の規格だ。

 女のくせに、身長が百八十二cmもあるなんて、大いに問題だ。ボクだって、百六十九cm(つまり切り上げれば百七十cm、もう少し大胆に切り上げれば、約百八十cm)しかないってのに……いや、別に悔しいってわけじゃないぞ。

 それより、こんなでかい女に入るメイド服なんてよくあったなぁって、思っただけだよ。いや、本当、今は何でもあるんだな。男ものじゃないのか、それ?

 ふふふんと、上からボクを見下ろす。これはボクが座ってるのもあるけど、だいたいこいつ、何でこんなにでかいんだ。

「何しにきた、何だその格好は?」

「燃える?燃えるでしょ!?」

「……字、違ってない?」

「その微妙な機微、わかってくれるとこが素敵」

「……何しにきたんだ?」

「いや~ゆいちゃんやふみちゃんやもっちんと賭けして、負けちゃってさぁ。罰ゲームだよ、罰ゲーム。メイドさんのかっこして、秀虎君ち行くって、いやぁ困ったもんだ!」

「……罰ゲーム?」

「そ!」

 上気して、にこにこ笑う明日夢の上体が、ゆぅらりゆらりと揺れる。

「こないだ、呑んで麻雀したら、もうへろへろでさ。東1局でいきなりヤマ崩して、マンガン払いしちゃって、あははは。もっちん、リーのみが、裏乗ってハネちゃうんだよ、信じられない!だれだよカンしたバカは。くそー、オーラスのドラドラのチートイさえあがってりゃなー」

「呑んでんだろ、お前」

「そ!」

「……で、オレんちくるのが罰ゲーム?」

「そ!」

 呑んで、栓のぬけてしまったこいつに、何云っても無理だ。こいつがこんなになるなんて、缶ビールの二本や三本じゃない。あいつら今度あったら、今度あったら……えっと、絶対、恨みがましい眼で見てやる。

「その格好で来たのか?」

「そ!」

 ……よく通報されなかったね。

「何で、メイドの格好なんだよ」

「メイドさん、好きでしょう?」

「そんなこと誰に聞いた?」

「達川君」

「……口から出まかせって、考えなかったのか?」

 悪意以外、感じないぞあいつから。

「いーじゃん。誰も困らないし」

「オレが困るって考えないわけ?」

「こんなかわいい娘がメイド服着て押しかけてんのに、困るわけないじゃん」

「何でそこまで自信満々なんだよ。だいたいその衣装どうした? コス研で借りてきたんか?」

「……まあ、遠慮しないでくれたまえ。仕方ないでしょ、罰ゲームは罰ゲームだ」

 そう云いながら、明日夢は足元のビニール袋を持ちあげると、がさがさ振ってみた。答えろよ、おい。

「こんなこと云うのは、大変心苦しいのだが、とっととお帰り願えませんか」

「メイドさんってったら、ご奉仕でしょう! お帰りなさいませ、ご主人さまぁ――すごい、今のセリフ、はぁとがきらめいてなかった?」

「オレは帰ってました。それが、今回唯一のメイドテイストって感じだな」

「お兄さん、運がいいね。超絶美少女メイドが、あなただけのために! ごほおおおすぅぃぃぃ!!」

「超絶美少女メイドって誰だ!」

 明日夢は自分の顔を指さして、その場でくるりと回ってみせた。黒のスカートが、ふわりと弧を描き、膝上まである黒のソックスのさらに上の白い腿が、一瞬だけ眼に焼きついた。

 どこにつっこもうかと考えてるうちに、明日夢は靴をぬぎ、ビニール袋を手に、勝手に台所へと入りこんだ。どたんばたん、がさごそと、あちこちを引っかきまわす音。

「後でお掃除するから、隠すものがあったら、今のうちよご主人様」

 余計なお世話だ。心配になって台所に入ると、明日夢は大量の食材を、袋から出していた。

「何やってんだ?」

「貧しい食生活に苦しむ君に、ご奉仕メイドが、おいしいごはんを作ってやろう」

 そう云うと、三分クッキングのテーマを口ずさみながら、ニンジンをがしがし洗いだした。

「今日は、さっとかんたんに作れて、夏にふさわしく、女っ気のないさびしい、さびしい秀虎君が泣いて喜ぶ家庭料理に挑戦でーす」

「いちいち引っかかるやつだな」

 明日夢は鼻歌まじりに、ニンジンをイチョウに、ゴボウをささがきに、しはじめた。

 とにかく、なんてアホみたいな状況だ。台所にメイド姿の女――ただし百八十二cmの――がいるだけで、何でこんなわけがわからない雰囲気を醸し出すんだ。

 このシチュエーションだと、彼女に頼みこんでメイドさんの格好してもらって、ごはん作ってもらってる、かなりアレな男か(破局近し!)、メイドコスプレ専門のデリヘルか、レンタル彼女でオプションつけたみたいじゃないか、いや、こいつをそんな眼で見てるってわけじゃなくって……

 明日夢のほうは、疲れ切ったボクのことなど気にもとめず、手際よく料理を進めていく。

「まず最初は炊きこみごはん。ゴボウとニンジン。ヒラダケを手でちぎって入れて、鶏肉はこま切れ。味つけは味醂と醤油。量は適当。今日はちょっと簡単に、ソーメンつゆで味を整えて、炊飯器に。水加減は変わらず」

「玉ねぎと豚肉を炒めるんで、豚肉は醤油とゴマ油とすりおろしたショウガにつけこんどきます……」

「オクラを買ってきましたから、口に触らないように、塩でもんで産毛をとって、叩いて、納豆と梅干も叩いて……よく練ります。最後に削り節をまぜて、三ねりのできあがりー」

「グルメジャンルみたいになってきたな……」

「味噌汁はイリコでダシをとって……オクラは、刻んで直接お椀の中にいれますので、食べる直前に。以上、終了ー! あたし天才ー!」

「メシのひとつぐらいで調子にのるな」

「次は、お楽しみターイム! お洗濯アンドお掃除ー! おおー意外ときれいじゃないの」

「いらん、結構!」

「何、遠慮してんだい。あ、見つかったらヤバイもん隠してんだろ? ビニ本とかビニ本とかブルーフィルムとか?」

「いつの時代のネタだ!」

「ネタだなんていやらしい。それともDVDとかAVとかエロゲーとか同人誌とか南極18号とか? おっと、今の若者なら無料配信か? 健全な男の子なら、興味ないわけないでしょ、おぉ、興奮していた、たまらん! 潔くここにお出し、坊や」

「あ、こら、触るな! 息荒げるな! あっちこっち引っかきまわすな。やめろバカ! このでか女!」

「うるさい。大っきいってだけで、無理矢理バレーさせられたあたしの気持ちが、お前にわかるか!」

「いや、わからん、それでインターハイ、行ったんだろ!? よかったじゃねえか」

「その代わり、腰痛めて、結局一浪したんだよ。とにかく罰ゲームなんだから、しかたないだろ!」

 そう云うと、シャツやらパンツやらを、わしわしとかき集めはじめた。

「おー!がびがびパンツだあ」

「うそつけ! 返せバカ!」

「あせるなー、心当たりがあるんだなー」

「のしかかるな! 触るな!くすぐるな!」

 ……これのどこがメイドさんだ? つーか、何でボクがこんな眼にあわなけりゃならないんだ?

 抵抗むなしく、というかあんまりアホらしくって…… ま、向こうのほうが、少しだけ背が高いってのもあるけど、あんな格好して暴れまわる明日夢と取っ組み合うのは、その……何というか……あまり無茶なことはしかねるというか…… とにかく、ボクが笑ってすませればいいのであって……

 洗濯機に汚れ物をつっこんだのはいいが、近所迷惑になるのでそれだけはやめさせた。 こんな古いアパートで真夜中に洗濯機を回したら、道路工事並みに騒音だ。

 掃除――と云いながら、あっちの本をこっちにやって、こっちの本をあっちに積んでと、スカートひるがえしてばたばたしてるうちに、今度は「ごはんが炊けたー」と叫んで、再び台所へ飛んでいった。どうやら、片付けは料理ほど手際はよくないらしい。

 幸い、天袋までは開けて見なかった。開けようとしたら、何としても死守せねばならないのだよ、諸君。

 読みかけの本を読むふりをしていると(ラーメンは、とっくにどっかに行っちまった)、台所からまた包丁の音が聞こえてきた。時たま「ここで味噌ー!」とか「炎を制すー!」とかの声が聞こえてくる。 しっかし気合を入れんと、料理できんのかね?危ないやつ。

 時計はもうとっくに一時を回ってる。気がつくと、何やらいい匂いがしはじめた。よく行く定食屋以外では、ひさしぶりに嗅ぐ、味噌汁の匂いだ。ばたばたと明日夢がもどってきた。両手にごはん茶碗と味噌汁椀を持っている。「お盆ぐらいないの?」と叫びながら、またもどる。元気だねぇ。

 結局三往復して、テーブル(冬はコタツになる優れ家具)の上に、炊き込みごはんとオクラを刻んだ味噌汁、豚と玉ねぎのショウガ焼きもどきと、オクラと納豆と梅干の三ねりの小皿、冷えた烏龍茶のボトルとコップを並べた。力技で作る料理が多いように見えるのは、気のせいかな。

「どーだ、見たか! 超絶銀河系美少女メイドの実力!」

 肩書き増えてる、増えてる。

「メイドと関係ないんじゃ……」

「そんなことはない! これがご奉仕の心!」

「のどが渇いてるから、烏龍茶がうまそうだ……」

 ごいんと、明日夢のローキックが側頭部を襲う。そんな格好してんだからやめろ。酔ってても、やたら正確だ。

「よく味わって食べるべし、熱いうちに」

 暴力メイドはせまる。空腹はとっくにとおりすぎて、もう何が何だかわからない。ボクの方が罰ゲーム受けてるような気になるのは、何でだろう。

 何か釈然としないものもあったが、明日夢を見ないように、横を向いて急いで食べる……

 おいしいって云ったら、なんか負けた気になりそうだから、云わない。

 そんな見てると、喰いにくいじゃないか……


「よーし、秀虎君も食べたことだし、帰りまーす!」明日夢がぐわっと立ちあがった。「罰ゲーム、ちゃんとクリアしたでしょ? 皆に会ったら、証言しといてね」

「だから、何でオレんちにくるのが罰ゲームなんだよ」

「君って、そんなキャラだよね」

「聞けよ、人の云うこと」

「ごはんと味噌汁は、明日の朝の分まで作っといたから、ちゃんと冷蔵庫に入れるんよ」玄関で靴をはきながら「お米はあるみたいだけど、味噌汁ぐらい自分で作って食べなさい。イリコと味噌、置いとくから。それから納豆と梅干も」

「お前のどこがメイドだっ!」

 つーか、口うるさい母親だ。

「あ、そーだ」明日夢はスカートの前の端を、両手でちょっとつまんで「この服、あたしが買ってたんだよ。いいだろー」

 にいっと笑うと、豪快な投げキッスをしながら「おっさっらっばー」と、出ていった。無茶苦茶テンションの高いやつ……

 ……あいつ、あの格好のまま帰るんかね?

 ボクは冷蔵庫から缶ビールを取りだした。隅っこに、のこりの納豆がちょこんとおさまってる。タブを開けながら、元の居間兼書斎兼寝室兼食堂にもどると、いつもの場所に座りこみ、冷えたビールを喉に流しこんだ。

 部屋の中が急に静かになったが、明日夢が大騒ぎしたままの、しっちゃかめっちゃかな空気が、まだのこっているような気がした。その空気までいっしょに流しこむ。

 見えない台風が過ぎ去ったような部屋の中で、ボクは閉じたドアをにらみながら、あ、あいつ、洗濯物そのままにして帰りやがったなと、ふと考えた。

 一食分ういたのはありがたいが、後が怖いなぁ……今度、ジュースでもおごっておこうか。

 でも……何でわざわざ、罰ゲームのためにメイド服買ったんだ?

 そうだ、明日夢と麻雀したやつらに、本当にそんな罰ゲームがあったのかどうか、訊いてみなくっちゃ……


(了)

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