第109話:今日のルカはいつにも増してかわいい

***


 売店の客の列に並び順番を待ちながら、凛太はさっきのできごとを反芻していた。

 ルカの姿を見て、かわいいと思った。そしてルカの女性としての魅力にぐっと惹き寄せられるような感覚が胸の奥に沸いた。


 だからその感覚を冷ますためにも、凛太はドリンクを買うことで、一旦あの場を離れたのだった。


 もちろんルカは、元々誰がどう見てもかわいい。

 それも『極上の』という修飾語がつくほどに。


 だから今まで凛太も、何度もルカのことをかわいいと思ったことはある。

 それはほのかや麗華に対してもそうだ。

 三人とも極上の美人なのだから、毎日そう思うと言っても過言ではない。


 だけど、さっき感じた『かわいい』という感覚は、普段のそれとは少し違う気がした。

 普段のそれは、もちろん感情の揺れも少しはあるものの、ほとんどが客観的な評価である。


 今までそれ以上の感覚を持ったのは、ルカと偶然出会って映画館とフルーツタルトの店に行った時。

 あの時はルカのかわいさにドキドキしたし、まるでデートをしてるみたいだと感じて、とても楽しかった。


 しかしさっき凛太の心に沸いた感覚は、それよりももっと感情を伴ったものだと思う。

 ルカの女性としての魅力に惹き寄せられる感覚が、今までよりも強かったという自覚がある。


 ──やっぱあれかな。肌に触れてルカの顏にペイントするなんて、エモーショナルなイベントのせいだろうな。


 でも、よくよく考えると。


 凛太は麗華と同じ部屋に泊った時のことと、ほのかと疑似デートをした時のことを思い返す。

 他の二人との体験も、そりゃもう日常では起こり得ないエモーショナルな出来事だった。

 だからその時にドキドキもしたし、二人の魅力をより一層深く感じた。


 だけど今のルカに対して感じた感情は、それよりももっと大きかった。

 わかりやすく言うと、キュンときた。


 ──なんでだろ?


 自分が抱いた感情に少し不思議な感じがした凛太は、視線を宙に向けて、さっきのルカの顏を思い浮かべていた。


 今日のルカは、なんとも言えない魅力的な顔をしている。

 眼鏡を外した休日モードのルカ。

 目は綺麗な二重が美しく、鼻筋は通っている。

 パーツのバランスも、神が作りたもうた芸術品かのごとくパーフェクト。

 そして普段見慣れないユニフォーム姿というギャップも魅力をより一層高めている気がする。


 しかしそういった造形美だけでなく。

 今日のルカの表情や仕草は──


 もしも『想い』というものに色が付いていて、それが見えるとしたら。

 鮮やかな紅色をしたルカの想いが、身体から発せられているような感じがする。


 いや、ルカの態度はいつも通り言動は控えめだ。

 だからなぜそんな感じがするのか、凛太にもよくわからない。

 だけど照れたような姿や、ワタワタと焦る姿と同時に見せる、ルカの眼差しの力強さと言うか熱っぽさというか。


 今までのルカとは違って、今日のルカからはそんな雰囲気を感じる。

 そしてそんな雰囲気を纏っているルカの頬の熱さやつややかな吐息、潤んだ熱い視線に凛太は触れた。


 だから、ルカの女性としての魅力に惹き寄せられたのかも。

 そんなことに凛太は考え及んだ。


 だけど、なぜ今日のルカがそんな雰囲気を纏っているのか凛太にはよくわからない。

 いや、それどころか──

 自分が感じていることが、本当に合っているのかどうかも自信がない。単なる勘違いなんじゃないのかという気もする。


 なんてったって女性と付き合った経験がなく、親しく交流したことも少ない自分には、女性の考えてることはよくわからないんだから。


 ──うーむ。変に考えすぎて勘違い男になるのも怖いしなぁ。


「次の方、ご注文をどうぞ~」


 ちょうど凛太が列の一番前まで来ていて、売店の店員に声をかけられたことで、はっと現実に引き戻される。


 これ以上変なことを考えるのはやめて、今日はサッカー観戦を楽しむことに没頭した方がいいな。

 そう思って、凛太は二人分のコーラを注文した。




 ドリンクを手にした凛太が席に戻ると、ルカは、ピッチ上でウォーミングアップする日本代表選手を熱心に見つめていた。


「あ、お帰りなさい凛太先輩。ありがとうございます」


 手を伸ばして自分の分のドリンクを受け取るルカの顏からは、先ほどの艶っぽさや視線の熱さは消えていた。


「やっぱり生で観る選手は興奮しますね」


 その代わり、大好きなサッカーを観る嬉しさに満ちた目をしている。


 ──うーん……やっぱり女の子のことはよくわからんな。


 そう思いながら、凛太は「おう。俺も大興奮だ」と笑顔をルカに返した。




***


 試合は前半にオーストラリアが得点を挙げ、日本代表は1点ビハインドのまま後半を迎えていた。

 サッカーは前後半45分ずつで試合を行う。

 その後半も40分を過ぎ、残りわずか5分。このままでは日本は負けてしまうという追い込まれた状況になっていた。


 ワールドカップアジア最終予選は同じグループに6か国がいる。

 そのグループで2位以内に入ると、来年のワールドカップに出場が決まるのだ。


 日本のいるグループでは、現在日本とオーストラリアが同勝ち点で首位に立っている。

 しかし勝ち点差1で3位のサウジアラビアが迫っているという状況。


 しかもサウジアラビアは既に昨日の最終戦で勝利を収め、勝ち点3を得ている。

 同点で並んでいた日本とオーストラリアを抜いて、1位に躍り出たのである。

 そして日本とオーストラリアは総得点ではオーストラリアの方が上。


 つまり今の状況を簡潔にまとめると。

 この試合に勝たないと、日本はワールドカップに出場できない。

 そういうことである。


 そして目の前では、現在日本が1点差で負けている。

 残り5分で最低2点を獲り、逆転しなければならない。

 それができないと日本のワールドカップ出場は泡と消え、サッカーファンにとってはあまりにも大きな失望に包まれる。


 それはなんとしても避けたい、というのがサッカーファン共通の願い。

 もちろん凛太とルカにとっても同様だった。


 手に汗握り、祈るような思いで試合を見つめる凛太とルカ。

 もう少しで試合終了を迎えるという時間帯の中、守備に徹した敵国に手を焼いて、なかなか日本に得点のチャンスが訪れない。


 今まさに目の前で、突破口を見いだせず強引に蹴った日本のシュートが、大きくゴールを外れてしまった。

 スタジアムには落胆の大きなどよめきが起こり、焦りと半分諦めの空気が色濃く漂う。


「むぅぅぅ……やっぱり、もう無理ですかね……」


 悲壮な顔をしたルカが呟く。

 横に座る凛太が、ルカを見て言った。


「いや。最後まであきらめるなルカ。選手たちはまだ諦めてないよ」


 ルカがグラウンドに目を落とすと、確かに日本の選手たちは誰もがお互いを鼓舞し、やる気に満ちた顔をしている。


「応援する俺たちが諦めてどうするんだよ。俺たちは声援を送ることしかできないけどさ。でも俺たちが諦めない気持ちを選手に送ることで、選手の心を支える力になれるはずだ」


 ルカが凛太に視線を戻すと、心からそう信じてるであろうことが疑いもない、凛太のキリリとした顔があった。


 実際にサッカーをしていた凛太の言葉だからこそ説得力がある。

 そして普段でも最後まであきらめない凛太の言葉だからこそ重みがある。


「あ、そうですね。すみません」

「いや、謝ることはないって。だから精一杯応援しようよ。一緒に」



 ──私って、すぐに諦めたり一歩引いてしまうもんなぁ。凛太先輩を見習わなきゃ。


 ルカはそう思い直して、「はい」と笑顔を凛太に向けた。

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