第104話:凛太の笑顔がルカを素直にさせる

「あの……凛太先輩……」


 ルカは躊躇ためらいながら口を開いた。


「ん? なに?」


 凛太は優しい目つきでルカを見つめた。

 ルカはドキリと鼓動が跳ねるのを感じる。


 危うく凛太にチケットのことを言いそうになったけど、慌てて思い直して口をつぐむ。


「あ、いえ……なんでもありません」


 ルカにはまだ迷いがあった。

 やっぱり凛太と二人で出かけるなんて良くないことだと。

 だけど凛太にはサッカー観戦に行かせてあげたい。どうしたらいいのか。


 しかしそこでふと気づいた。

 そうだ。別に二人で一緒に行かなくても、凛太先輩一人で行ってもらったらいいじゃないかと。


 代表戦を自分一人だけで観に行くのか、それとも凛太と二人で行くか。この二択だけがルカの頭を占めていた。

 だけど凛太に一枚しかないと言ってチケットをプレゼントして、自分は行かなければ、すべて上手くいくじゃないか。

 そこに気づいたのだ。


 来週末の試合は、今回を逃したら一生観れないかもしれないほどめちゃくちゃ貴重な試合だ。

 だからルカも、ぜひ生で観たいという思いは強い。

 だけどそれよりも凛太を喜ばせたい。

 その思いの方がより一層強かった。


「あの……実はですね、凛太先輩。その試合のチケットが手に入ったのです。母が知り合いから譲り受けました」

「えっ……? マジ?」


 あまりの衝撃に凛太は目をぱちくりさせてフリーズしている。

 それほど、普通なら考えられないほど入手困難な超レアアイテムなのだ。


「はい。これを先輩に差し上げますので、生で試合を観れますよ」

「る……ルカ……君はなんていいやつなんだ……」

「ひゃん!」


 凛太が突然両手でルカの手をがっしと握ったものだから、ルカは変な声を上げてしまった。

 凛太は潤んだ瞳でルカを見つめている。


「ホントにいいのか?」

「はい。凛太先輩なら喜ぶと思って、ぜひ凛太先輩にこのチケットを貰っていただきたいのです」

「うわ、ありがとう! 楽しみだね! 何時にどこで待ち合わせる?」

「え?」


 ──あ、いえ。チケットは一枚しかないから、凛太先輩お一人で……


 用意していたセリフを口にしようとした時、凛太が満面の笑みを浮かべて尋ねた。


「ルカの分のチケットもあるんだろ?」


 凛太の口元から覗く白い歯がキラリと眩しい。

 それを目にしたルカは、心臓がドキリと跳ね、キュンと小さな疼きが胸に広がった。

 そのせいで、さっきまで思い描いていたセリフはすっ飛んでしまった。


「あ、はい! チケットは2枚あります!」

「ルカも一緒に観戦に行くんだよね?」


 あ、しまった。つい口を滑らせたせいで、一緒に観戦に行く話になりそうだとルカは焦る。


 ルカと凛太は同じ会社の同僚とは言え、男と女だ。

 麗華もほのかも──特にほのかは凛太に異性としての好意を持っているようにルカには思える。

 ルカが凛太と二人きりで出かけたなんてことを所長やほのかが知ると、変な疑いをかけられて、職場の輪に悪い影響を与えかねない。


「あ、それはですね……所長やほのか先輩に悪いから……」


 ホントはもっと上手い言い訳を作るべきだったのかもしれない。

 だけど焦ったルカは、心の内にある思いをつい素直に口にしてしまった。


「あっ、そっか。ルカはホントに優しいな。やっぱいいヤツだ」

「え?」


 ──私が……優しい? なぜ?


 凛太に褒められて、また胸がキュンキュンする。

 それは嬉しいのだけれども、凛太がなぜそんな風に言うのかがわからなくて、ルカの頭にはてなマークが飛び交う。


「他の二人に遠慮してるんだろ? でも大丈夫だよ。所長もほのかもサッカーにはまったく興味ないから、俺とルカだけが生で試合を観たからって、あの二人は全然悔しがったりしないからさ!」


 いえ、私が心配してるのはそういうことじゃなくて……とルカの頭に浮かんだけれど。


「だから安心しろ。俺とルカだけがワールドカップアジア最終予選を生で観たって、なんの問題もないんだよ! あの二人にとっちゃ猫に小判だ。そうだろ? だから二人で観に行こう!!」


 大好きなサッカーのことだからだろう。

 いつになく熱意を込めて力強く語る凛太である。

 ただでさえ凛太と一緒に行きたい気持ちを我慢して押さえ込んでいたルカは、そんな凛太の勢いに押されて、ついコクリとうなずいてしまった。


「はい」


 ルカがしまった、と思った時にはもう遅かった。

 凛太は嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、珍しく早口でまくし立てる。


「よし、決まりっ! サッカーの試合がある日は志水駅前から日本台スタジアムまでシャトルバスが出るから、駅前のロータリーで待ち合わせしよう。キックオフの二時間前にはスタジアムに着きたいから、夕方四時半に集合でいいかな?」

「は、はいっ」

「そうだ。ルカは日本代表のレプリカユニフォームは持ってる?」

「も、持ってます」

「よしっ、俺も持ってるから、当日は二人ともレプリカユニフォームで行こうな!」

「はいっ、わかりました」

「うん! ああっ、楽しみだぁ!! 楽しみ過ぎて、俺とろけてしまうかもっ!?」


 いつもは冷静で、相手の話をよく聞く凛太なのだが。

 日本代表戦を見れるのがよっぽど嬉しいのか、興奮状態で強引に話をまとめてしまった。

 しかもなんだか変なことを言ってるのがおかしくて、ルカはつい「ふふふ」と笑いを漏らす。


 凛太に一人で行ってもらう話をする間もなかった。

 子供みたいにはしゃぐ凛太の意外な一面を見て、ルカは思う。


 ──いつもの冷静で優しい凛太先輩も大好きだけど、こんな先輩もすっごく可愛くていいなぁ


 凛太と二人きりで出かけることに対する懸念は払しょくされたわけじゃない。

 だけど……好きな凛太と共に、しかもお揃いのユニフォームを着て大好きなサッカーを観ることができるなんて!


 溢れ出す喜びを身体の中に押し込めて冷静を装い、幸せでキュンキュンする感覚に身を包まれながら、ルカは凛太の笑顔を見つめていた。


 もうルカの心からは、一緒に出かけることを断るなんて気持ちは失せてしまっていた。

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