第24話:麗華所長は美しい顔を曇らせて悩む
加賀谷製作所・総務課長の鈴木さんと応接室で打ち合わせていたら、いきなり専務が現れた。そしてその専務はニヤニヤしながら、所長のモデルのような身体を、頭の上から足先まで舐めるように眺めた。
「あれあれぇーっ? 神宮寺所長。
「あ、いえ、専務……そういうわけでは……」
神宮寺所長は困ったように眉を寄せて、申し訳なさそうに答える。
それにしてもこの専務は、甲高くてちょっと他人をイライラさせるような声だ。
「鈴木くんっ!」
「はっ、はいっ!」
専務がいきなり鈴木さんに向いて、鋭い目つきで一喝したもんだから、鈴木さんは椅子からぴょんと飛び上がるように立ち上がった。そして専務の前で直立不動になっている。
「僕の意向を無視して、こんなことをしてもらっちゃあ困るなぁ!」
「は、はい! 申し訳ございません! わ、わたしは会社のためを思って……」
「じゃあなにかい、鈴木くん。僕は会社のためを思ってないと言いたいのかな、君は?」
「あっ、いえ……決してそんなことは……」
下を向いて恐縮しきっている鈴木さんに向かって、専務は「フンっ」と鼻で笑って、所長の方を向いた。
「まあ神宮寺さん。この前の話を、
この前の話ってなんなんだ?
専務は少し猫なで声になってるし、ちょっとキモい。なにかあるな、これは。
「あ、あの……その件は、もう一度考えさせてください」
「ん……? まあいいでしょう。それを承諾してくれたら、御社にも正式に人材紹介を依頼しますからね。良いお返事をお待ちしてますよ」
「は、はい……」
いつも凛としている所長が、苦笑いしながら、なぜかとても歯切れの悪い返事をしている。
とにかくこれ以上話は進みそうになかったので、俺と所長は先方の事務所から帰ることになった。
ちょっと嫌らしい感じの笑顔で見送る専務の後ろでは、鈴木さんが小さくなって申し訳なさそうな顔で俺たちを見送っていた。
帰りの車の中では、所長は運転しながらじっと前を見つめ、何かを深く考え込んでいるふうだ。
最初からダメな場合よりも、変に期待を持たされてから突き落とされた方がダメージが大きい。
気落ちしているであろう所長に話しかけるのは気が引けたけれども、さっきの専務の話も気になる。それに、何よりもなんとか所長の力になりたいと考えて、思い切って訊いてみた。
「あの……所長。なぜウチは今回の話から外されてるんですか? この前の話ってなんですか?」
「うーん……そうねぇ……」
所長はなんだか奥歯に物が挟まった感じ。どうしたんだろ?
「実はね。専務から、二人で食事に行かないかって誘われて、断ってたの」
「ええーっ!? 例の話ってそれですか? それが理由で、今回ウチが外されたんですか?」
あの専務の嫌らしい表情や言葉から、もしやとは思っていたけど。
まさか企業を預かる経営者が、そんな個人的な欲望で取り引き先を選別するなんて……
「まあ、そうね。以前から何度か誘われてたんだけど、ずっと断ってたのよ。それでとうとう専務も、誘いに乗らないなら依頼先から外すってなったの。あの人、社長の一人息子で権力があるのよ」
「じゃあ、その社長に直接話をしたらいいんじゃないですか?」
「私も今まで、何度も直接社長にアプローチしようとしたんだけどね。専務はもちろんのこと、鈴木課長にもつないでもらえないし、直接連絡を入れても手紙を書いても、秘書の壁が厚くて……なかなか直接は話せないのよ。まあ地元企業とは言え、1,000人規模の会社だからね。普通は社長と直接話すのは難しいわ」
「そうなんですか……」
じゃあ、やっぱり専務のオーケーを貰わないといけないってことか。
だからと言って、食事に行くのを承諾するというのは違うよな。
「まあ所長が断るのは正解ですよね。そんなことを受ける必要なんかない」
「そうなんだけど……」
所長はチラと横目で俺を見てから、黙り込んだ。どうしたんだろう。まさか誘いに乗るか迷ってるとか?
「でも……平林君がさ。ああやって業績アップのために一生懸命動こうとしてるのを見たら…… 所長の私が、たかが食事をするのを断って、仕事を逃してるのってどうかなと思ってね」
「いやいや、所長。ちょっと待ってくださいよ。たかが、なんておっしゃいますけど、二人で食事なんて誘いは、完全に仕事の範疇を超えてますよ!」
「それはそうなんだけどね…… キミ達に営業成績を上げろって発破かけながら、自分が受注のチャンスをあえて逃すなんて、所長としてはどうかと思うの」
神宮寺所長は美しい顔を曇らせて、苦しそうに言っている。苦渋の選択ってヤツか……
所長の責任感は尊敬に値する。素晴らしい人だ。
だけどその判断は、何かが違う。
「俺たちは人材情報というサービスを売ってるんであって、所長のプライベートを売ってるわけじゃない。そんな話を受ける必要はありませんよ、所長」
「それはそうだけど……今のままじゃ、目標売り上げを達成できないのよ。そうなるとみんなの評価やボーナスが下がるの」
たまたま信号待ちのタイミングで、所長は真剣な眼差しを俺に向けた。少し切れ長の目が綺麗だ。
「私には自分のことよりも、営業所のみんなを守る責任があるのよ。今回の案件で3件紹介が成立したら、なんとか目標達成が視野に入るの。食事くらいなら接待ってことで、どこでもやってることだし」
「神宮寺所長はホントにそう思ってますか? あの専務の言い方だと、単なる接待とは思えない。所長を女性としてアプローチしたいってことがありありだ」
「そ……それは……」
「だから一回の食事だけで済むとは思えません。一度食事に付き合ったら、次も、次もって要求をしてくるかもしれません」
俺の言葉に、所長はうつむいて黙り込んでしまった。やはり今までの専務からのアプローチは、単なる接待なんていう生易しいものではなかったみたいだ。
「それに一回の食事であっても、所長に酒を飲ませて、何か変なことをしてくるかもしれない」
うん、そうだ。
所長が酒に酔うと危ないのは、この前の俺の歓迎会でわかった。
そんなところに所長を行かせたら、専務という飢えた狼の前に、丸裸の羊を放り込むようなものじゃないか。
「いや、でも、平林君。私にはやっぱりみんなを守る責任が……」
営業所のみんなを守る責任がある……か。
なんというありがたいことを言ってくれる所長なのか。
──いや正直言って、胸にグッと来た。
「所長、ありがとうございます。でも所長がそう言ってくださるなら……」
所長は俺の言葉を聞き逃すまいとしているように、俺の目をまっすぐに見ている。
「俺たち所員には、所長を守る……って言うか、所長に迷惑をかけない責任があります。俺とほのかで、なんとしても3件の成約を目標数字に上乗せしますから、あんな専務の誘いになんて乗らないでください!」
「ひ……平林……君。キミって子は……」
神宮寺所長は綺麗な二重の目を細めて、少し潤んだ瞳で俺の目をじっと見つめた。
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