第11話:ほのかがちゃんと名前を呼んだ!?

◆◇◆◇◆

〈女子side〉


「今日は初日だから、平林君も気疲れしたでしょ。今日はもう帰りなさい」


 夕方に帰社した所長の麗華が、定時になった途端凛太にそう言った。


「あ、いや、大丈夫ですよ。俺だけ先に帰るなんて気が引けるし」

「平林君はまだ初日だから、大した仕事はないでしょ?」

「ええ、まあ」

「ここには、仕事もないのに他の人に遠慮してサービス残業するなんて文化はないから。やることないなら、さっさと帰りなさい」


 麗華は口調は厳しいが、眼差しは優しい。

 少し猫目で普段はちょっとキツくも見えるが、優しく微笑むとこんなに優しい目になるんだ。


 これはきっと、自分のことを思って言ってくれてるのだと、凛太は感じた。だから素直に甘えることにした。


「ありがとうございます。じゃあ今日はお先に失礼します。また明日から頑張りますので」

「ええ。そうしてちょうだい」

「じゃあお先に、小酒井さん、愛堂さん」

「はい、お疲れ様でした平林さん」

「あ、うん。お疲れ、平林君」


 凛太が帰った後、ルカは小声でほのかに話しかける。


「ほのか先輩……どうしたんですか?」

「なにが?」

「だって平林さんにちゃんと名前を呼んで挨拶しましたよね」

「そ、そんなの……社会人として当たり前でしょ?」


 その当たり前のことを時にはやらないのがほのか先輩でしょ……と言いたげなのを抑えてルカはほのかに返す。


「私の居ない間に二人でプリン食べてるし。あれから後のほのか先輩の平林さんに対する態度は、なんかそれまでとちょっと違うし」

「ち、違くないって」

「いいえ、違いますよ」


 ルカは誤魔化されるもんですかと言わんばかりに、ほのかを真顔で睨む。


「どどど、どう違うのかな、ルカ君よ」

「なんか、平林さんとフツーに接してます」

「ふ、フツー?」

「はい、フツー」

「フツーならいいでしょ、別に」


 ほのかはちょっと、気の抜けたような顔になった。

 もっと鋭く突っ込まれるかと思ったけど、どうやらそうでもないらしいと安心したようだ。

 クリっと可愛い目の目尻がほわんと下がる。


「なに、ホッとした顔をしてるんですか、ほのか先輩?」

「ほ、ホッとなんかしてないし!」

「まあいいです。ほのか先輩も平林さんを、いい人だって認めたということで」

「違うし」

「意地を張らなくてもいいですよ」

「張ってないし……」


 ほのかはあくまで言い切るつもりだが、少しずつ言葉の力が弱くなっている。


「ほら、ほのか先輩、今朝言ってたじゃないですか?」

「なにを?」

「私が平林さんをいい人だって言ったら、ほのか先輩は絶対私が『私が間違ってました~』って言うよって」

「言った……かな? 覚えてない」

「言いました」

「覚えてない」

「まあ、いいです。代わりにほのか先輩が言ってください。『私が間違ってました~』って」

「ヤダ。言わない」

「素直に吐いてしまえば、楽になりますよぉ」

「い……言わない」


 それまで割と無表情で淡々と話していたルカが、そこでニヤッと笑った。


「ホントは心の中では、そう思ってるくせに」

「うっわ、ルカたん。悪い子の顔してる~」

「そんなことないですよ。私はいつだって良い子です」


 ほのかとルカのヒソヒソ雑談が、いつまで経っても終わりそうにない。それを見て麗華が業を煮やして口を挟んだ。


「こら、あんた達。いい加減、仕事しなさい」

「あ、はい。すみません」

「ふぁーい」


 ほのかは気のない返事をしたものの、これで助かったと言わんばかりにルカに向けてペロっと舌を出した。


 ルカは「強情ですね」と呟いた後、ふと何かに気づいた表情を浮かべた。


「あっ、そうだ麗華所長。平林さんの歓迎会、どうします?」

「歓迎会かぁ……やらなきゃね」

「そうですね。明日平林さんの予定を聞いて、私が段取りしましょうか?」

「そうね、お願いするわ。ところでほのちゃん?」

「はい?」

「あなたもちゃんと出席するのよ」

「あ、も、もちろん出席するよぉ。異動して来た社員の歓迎会に出席なんて、当たり前じゃないですかぁ」


 ほのかはきょとんとして、小首を傾げた。

 

「あなた、今朝平林君が出勤して来た時、めちゃくちゃ無愛想だったじゃない。あれでほのちゃんの好みじゃないってすぐわかったわよ」

「大丈夫ですって、ちゃんと出席するから」

「そんなこと言って、当日寸前に、急に体調が悪くなって欠席とか言わないでよ」


 麗華の美しくも鋭い瞳がほのかを睨む。


「い……言いませんってば……ブルブル。おお、こわ」


 ほのかはプルプルと顔を左右に振った。


「所長、大丈夫ですって。ほのか先輩はそんなことしませんよ」

「ルカちゃん、なんで言い切れるのよ?」

「ほのか先輩はホントは真面目な人だからです」

「そうだ、そうだっ!」


 ほのかは今度は『うん、うん、うん』と大げさなくらい、大きく顔を縦に振ってうなずいた。それに合わせて、栗色のゆるふわヘアがふわりふわりと揺れる。


「まあ、ルカちゃんの言葉を信じるわ」

「え~、所長ひどぉーい。あたしの言葉は信じないのに、ルカたんの言葉を信じるのぉ?」

「そりゃそうでしょ。あなた、男性の好き嫌いが激し過ぎるからね。しかも尺度が変だし」

「そ、そんなことないんだから……」


 ほのかはいじけたような顔を浮かべた。

 そんなほのかの肩にルカが手を置いて、優しく笑顔を浮かべる。


「ホントに大丈夫ですよね。だって……ねっ、ほのか先輩」


 麗華は二人のやり取りの意味がわからずに、きょとんとする。


「『だって……』ってなに?」

「あ、いえ。私とほのか先輩で、平林さんはいい人ですねって言ってたんです」

「え……? ホント? ほのちゃんも?」

「いや、あたしは……」


 否定的なことをほのかが言いそうなので、ルカはほのかの耳元で囁いた。


「ほのか先輩。ややこしくなるから、そういうことにしといてください」

「わかったよ。あくまで『そういうこと』にしとくだけだからね」

「はい」


 どう見てもほのかは『そういうことにしとく』と予防線を張っているだけだと、ルカには見透かされている。しかしルカにそう言っておくことで安心したのか、麗華に向かってようやく素直な言葉を出した。


「あ、あの……麗華所長。あ、あたしも思ってるよ…… ひ、平林君はいい人だなぁ」

「ん……?」


 麗華はちょっと怪訝そうな目つきでほのかを睨んだが、ふっと目の力を緩めて、仕方ないなぁというような表情を浮かべた。


「まあ、ほのちゃんがそう言うならいいけど。じゃあ平林君の歓迎会は、彼がそれで良かったら明日の晩にしましょうか。明日は金曜日だし」

「はい、わかりました。ほのか先輩はいいですか?」

「あ、うん」

「じゃあ明日、平林さんにも都合を聞いてから、お店を予約しますね」

「うん、お願いね、ルカちゃん」



 こうして凛太の歓迎会が催されることが決まったのだが。

 麗華は、凛太のことでほのかの態度が今朝とちょっと違うことを敏感に感じていた。


 麗華としてはこの営業所の責任者として、メンバー同士が上手くいくようにする責任がある。

 今朝のほのかのあからさまな態度を見て、凛太が上手くこの営業所に馴染めない原因になるのではないかと心配していたのである。


 しかし今のほのかとルカとのやり取りを見て、麗華は少し意外に思った。ほのかは凛太を極端に嫌っているわけではなさそうだ。


 いや、それどころか──


 今の様子を見ると、今朝の態度はどこへやら。ほのかは本当に凛太をいい人だと思っているようにも見える。


 とにかく麗華は、しばらく様子を見ることにした。

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