白の人狼/血を吸う瞳

布留 洋一朗

第1話 玲子

 ひと組の男女が、暗い路地を横切って行った。

 どちらも三十歳そこそこと思われる二人は、そろって派手な顔だちをし、センスの良い衣装に身を包んでいる。漂う華やかな雰囲気は、寂れた裏通りに似つかわしくないほどだった。

 奥まった所にポツンと隠れ家のような小さな店があった。うきうきとそこへ連れを引っ張っていたのは女である。一方の男は、ゆったりした笑顔こそ浮かべていても、身ごなしはどことなく弱々しい。それは店に近づくにつれ顕著になった。時折、あたりの様子をちらちらとうかがっては笑顔に戻る。

「ほらっ、ね。ちゃんと開いてるう」やや舌足らずな声と一緒に、女は扉を開いた。

 男は、店の内部が目に入ると、やっと余裕ある表情に変わった。長身をかかめてドアをくぐり「やあ、こんばんは」とにこやかに言って店内へと入った。

 

 間を置かず、同じ路地に男が五人現れた。

 男たちにも明らかな共通点があった。みな目つきが悪く放埒な雰囲気を漂わせている。

 髪を短く刈り上げた中背の男がうなずくと、残りの男たちは店の周囲に展開した。一行で最も大きく、凶悪な顔つきの男が裏へと回った。それを見届けると、短髪の男は立ち止まって背筋を伸ばした。仕立ての良いジャケットをかるく直して目を細めると、自らドアを開けようとした。酷薄そうな頬に大きな傷あとがあった。

 寸前に暗闇から声がかかった。

「あのー、すみません」

 黒っぽいスーツを着た三十後半ぐらいの男の姿が外灯に浮かびあがった。手足がすらりと長く、上品な顔をしている。「こんばんは」

 彼は自分がこの店の店長だと名乗ると、丁寧に頭を下げた。

「大変恐縮なのですが、今夜は入店をご遠慮いただけませんか」

 

 すると短髪の男は、「おれか」と自分を指差した。「お前、それはおれに言うとんのか」と、関西イントネーションで確かめた。

「はい。すみません。いまからイベントがありまして、できれば後日」

「イベント」短髪の男は吐き捨てるように言って苦笑した。

「ええ度胸や」連れの男たちが声を揃えて笑った。


 短髪の男が聞いた。「店のモンやいうたな。雇われか」

「いいえ。オーナーでもあります」

「そうか。せやったらなおのことや」と短髪の男はひとり、うなずいた。

「もうしばらく大人しゅうしとけや。用はすぐ終わる。なんならここで済むまで待っといたら、どや」

 そう言って店長に微笑んだが、鮫ほどの人間味もなかった。

「いや、そうはいきません。中で暴れるのは勘弁してください。この店、近く居抜きで人に譲る約束になっているんです。インテリアを気に入ってもらえて」

「そうかい。わかった」短髪の男は感情を込めずに言い、首を軽く傾けた。するとそばにいた若い二人の子分が左右から店長の腕を取った。

「困ったな、壊されるのは困る。それに、大切なお客さんなんですよ」身動きができなくなっても店長はまだ喋り続けている。

「自分かて、わかっとるやろ」短髪は薄い眉を曇らせた。「これは立場の相違についての問題や。あんたも仕事、こっちも仕事。お互い、ほんのちょっとずつ引いたらすむ話や。いや、こっちはわざわざ遠方から来とるから、あんたには少し多めに引いてもらわんとな」

「そんなご無体な」

「ごじゃごじゃいいな。さっきの男にほんの短い間、道理を言い聞かせるだけや。大事なインテリアには手を出さんようにするから、そこらで待っといたらええ」

「どうせ最後は始末するつもりでしょう」店長は、まだ続けた。

「だってあなたたちの殺気、すご」そこまで言うと、店長は派手に咳き込んだ。

 子分の一人が腹を殴ったからだ。殴り方が様になっているのは、ボクシングかなにかの経験者なのだろう。短髪の男が首をふりふり言った。

「使い古された言葉やけどな、ニイちゃん。命は大事にせなあかん」


 そのとき、裏口の方向から男が二人、姿を見せた。眼鏡をかけた浅黒い肌の若い男が、抱き抱えるようにもうひとりの男を運んできた。

 エプロンをつけたままの男によって、路上に座らされたのは裏に回った大男だった。両目は閉じられ、口は半開きのままぐったりしている。

 子分たちに動揺が走った。

「おい、しっかりせえ」「お前、なにしやがった」と、一斉に吠える。

「へえ」短髪の男がポツリと言った。「やってくれるやないか」

「ごめんなさい。ゴミ出しに出たらこの人がからんできて」エプロンは、店長に似た優しげな口調で言った。

 「悪気はないんです。それから、うちの店長も返して下さいね。ご存知ではないでしょうが、我々の世界では地位があって尊敬もされている方なんですよ」

 パンチの上手い子分を先頭に男たちが前に飛び出した。エプロン男に向かい合うなり、腹と顔を拳で殴った。蹴りを入れたのもいた。

「シ、シロウトじゃないのは、わかってますって」エプロン男が呻いた。 

「うーん」見ていた短髪の男が顎に手をやって首をひねった。

「おかしい。お前ら、腹が座りすぎてる。いったい、何者や」

 

 彼は、流れるような動作で懐から黒い拳銃を取り出し、店長に突きつけた。路地の隅に店長を連れて行き、這いつくばらせた。

「そんなもの使ったら、いくら寂しいここでも警察が来ますよ」店長は言った

「安心せえ。すぐ消える。それに、これは手に入れたばかりの新型や。サプレッサーをねじ込むためのスレデッドバレルが付いてる。ええやろ」

 短髪の男は店長を見たまま手下に声をかけた。「おい」しかし返事がない。

「はよ渡さんか。ぐずぐずするな」短髪の男が振り返ると、

「お探しの品は、これですか」小柄な青年が爽やかに笑いかけながら、手にしていた黒い筒を見せてから投げ捨てた。

 地面には二人の部下が蹲るように倒れていた。

「おまえっ」

「おっと」獣みたいな早さで銃をもぎ取った青年は、両掌で短髪の男の頭を挟むと、服を畳むように何気なく横に捻った。頸骨の折れる音が露地に響いた。

「しっ。お静かに」

「敬二くん」店長が言った。「ありがとう。相変わらず手際がいいね」

「差し出がましいことをしまして、おにいさま」青年は笑顔を向けた。眉が濃くりりしい顔立ちをしている。

 店長は、子分の首筋に噛みついたままのエプロン男を指し招いた。エプロン男の口元には巨大な犬歯が生えていて、血塗れだ。パンチの上手な子分は、すでに絶命していた。

「今日のこの衣装、背広もワイシャツもおろしたてなんだ。だからあとは頼むよ。他も君が好きにしていいから」

 エプロンの男は子分を下ろすと、「はい。敬二さんはそれで構いませんか」

「もちろん」敬二はうなずき、絶命した短髪の男をそっと地面に横たえた。

「知っての通り、僕はすえた汗とかタバコのにおいは大の苦手なんだ。この人たちは臭すぎる。きっと、車か小さな部屋にずっと閉じこもっていたんだろうな」

 やりとりを見ていた店長は、にこやかにエプロン男に言った。「あ、しつこいけど君も着替えを忘れないでね。他の方が来られる前に、さあ急いで」

「はい」

 店長は、落ちていた銃を短髪の男のポケットに戻しながら言った。「しかしこのヤクザのおあにいさん、斯界では有能ではあったのだろうねえ。ぼくたちの怪しさに気がついたし。優秀な人材を殺してしまったのかなあ。むしろ『勧誘』すべきだったのかなあ」

「いくらなんでも顔が不味すぎます」敬二は言った。「ヤニくさいし」

「そういえば、そうだ。いかにも筋ものというのは、玲子ちゃんがいやがるな」


 店長は、そっと扉を開けて店の中に戻った。「お待たせしました」

 彼は不安げな顔でドアの方を見ていた色男に近寄ると、小声で言った。

「杉本様。ご心配なく。トラブルは解決しました。もう二度と悩まされることはありません」

「ほんとうかい」杉本と呼ばれた男は驚きの表情を浮かべたが、店長がにこやかに頷いたのを見て、つられるように彫りの深い立派な顔を綻ばせた。

「もちろんです」「でも、男たちが追ってきたりは……」

「ええ、きましたよ」店長はこともなげに言った。「それでわかったのですが、彼らの雇主はボクの古い知り合いだったんです。昔、ずいぶんと恩を売った相手でしてね」

「えっ、そうなんだ」

「リーダーの人も最後はわかってくれて、ワイが悪かったと折れるほど頭を下げて帰りましたよ」

「もう、だからこの店ってだいすき」連れの派手な顔の女、成美が言った。「私たちのめんどくさーい頼みを、軽くかなえてくれちゃう」

「ははは、光栄です」店長は奥に移動し、ピアノに腰掛けた。


「でもなくなるのは、ほんとに寂しい。またバーをやったりしないの」

「そうですねえ。当面は田舎に戻るつもりですが、いつかまた」そう言いつつ、店長は邪魔にならない軽快な曲を奏ではじめた。

「でも」成美がカクテルグラスを持ち上げた。「こんなに美味しくて、おまけに副作用の一切ない優れモノと切れるなんて、つらいわ」

「シッ」機嫌を取り戻した杉本がにこやかに口止めした。「それ以上は、ダメ」

 彼らより奥に座を占めていた、四十歳前後とおぼしき男女も苦笑した。

「安心して。前に言ったように、それについてはなんとかなる」

 カウンターの向こうにいた女が微笑んだ。店長の言っていた玲子である。

 

 黒いカーディガンを羽織った彼女は、濃い目の顔立ちばかりの店内にあって、ひとりだけ和風のすっきりした顔立ちをしている。

「そうなの?通販とかじゃなくって?」

「ええ。もちろん。詳しくは敬二に聞いてね」

「よかったあ。新幹線に乗って新しいお店に行かなくっちゃって心配してたのよお。けど、興味がないわけでもないの、あなたの新しいお店に」

「そうねえ。成美さんを、あのひなびた風景に置いても面白いかな。ただ、お酒は扱わないし、閉店時間も早いの」

「へえ、そうなんだ」

「カフェだったっけ、新しいお店は」杉本が言った。「例の、玲子さんのコレクションの人形とかを置いてるんでしょ」

「そう。今は週五で店を開けているんだけど、おばあさんとか中学生まで来てくれて、毎日が新鮮よ。それに時々、ハッとする美しさを持った人がいたりするの。なぜそうなのかは、現在調査中」

「わたしも行ってみたーい」そう言った成美の顔を、玲子は切れ長の目でじっと見つめた。

「そうね、成美さんだって本当にきれい。ただ、夜も明るい都会にこそ似合う美しさだと思う」

「なにそれ。私に田舎は向かないってこと?まあ、そうよね」成美は笑った。

「杉本さんもそう。まつげも、歯並びもきれい。都会でこそ映えるわ」

「歯並びを褒めてくれるバアって、なかなかないな」杉本が言った。不安が解消したのか、実に楽しそうだ。玲子はわずかな間、目を閉じてから笑顔になった。

「今日は、せっかくのお別れだから存分に飲んで。おごりよ」

 杉本が嬉しそうな声を上げ、「太っ腹だなあ」と、奥のカップルも笑っている。

「もちろん、あなたたちから素晴らしいものをいただくからですよ」ピアノの前から店長が言った。「え、なにそれ」

「友情、とも言い換えられます。今日はね、いわばボクたちの感謝祭。友人を招くのは大いなる喜びでもあるんです」

「友情に乾杯、ね」


 はしゃぐ人々とは裏腹に、カウンターをそっと離れようとした玲子の顔には、隠せない愁いがあった。

「れ、い、こ、さん」横に敬二が立っていた。「だめですよ、そんな顔しちゃ」

「そうね」玲子はうなずいた。

「つまりは、おたあさまのためですよ」

「わかってる」

 敬二の横にはさっきのエプロン男もいて、ニコニコ客たちを見ている。新しいシャツに着替えをすませてあり、服にも顔にも血のあとは全くなかった。

「みなさん、ワインはお好き?」敬二はにやっと笑い、手に持った酒瓶をかざした。

「好きですよね。ボクの好みで選ばせてもらいましたが、香りが幾重にも楽しめます。今夜はあと2組がきて下さる予定です。とても健康で魅力的だし、鼻もたしかなひとたちです。一緒にすばらしい香りを味わいながら、ひとときの夢を楽しもうじゃありませんか」

 杉本たちが楽しげに拍手した。店長は行進曲をアレンジした演奏をはじめ、敬二とエプロン男は奥から運んだ酒とつまみをカウンターに並べ出した。客たちは順に瓶のラベルを読んでは歓声をあげた。

 

すると玲子はひとり、無表情のままそっと移動し、黙って裏口から店を出た。

店の裏は丁寧に片付けられ、ゴミひとつないほど掃き清められていた。しかし静かな夜の路地には、彼女にだけわかる微かな血のにおいが残っていた。

裏口のドアには、古びたステンドグラスがはめ込まれてある。

彼女は、そこに映った自分の瞳をじっと見つめた。



「目がきれいねって褒められたんだって、渚沙ちゃん。その玲子って人に。それだけでなんだか、グワわっと感情が盛り上がっちゃったんだって」

 そう言いつつ、松浦梓は遠慮なく秋山タケルの瞳を見つめた。

 こどもの頃から見慣れたパーツではあるが、あらためて観察するとなかなかに興味深い。基本的には琥珀色なのだが角度によって雰囲気が大きく変わり、別の色が混じって見えたりもする。一方のタケルは梓の前にあるカップを見ていた。

「フローズンなんちゃらなんて、よく飲むなあ」

「なによ。美味しいじゃない」

「そんな壮絶に冷たいのをガブガブ飲んだら、お腹が緩くならないか」

「デリカシーのなさは、入院しても治らなかったな」

「ありがとう」


 梓とタケルは、駅ビルにあるコーヒー店のボックス席に向かいあって座っていた。呼び出したのは梓である。当初、タケルは100円でジュースの飲める公立図書館のロビーを待ち合わせ場所に提案したが、即座に梓によって却下された。

 もの珍しげに周囲をうかがうタケルの瞳を、梓はもう一度よく観察した。たしかに不思議な眼だ。怪我による入院以来、神秘性が増した気さえする。

(なんか、ムカつく)

「こころは汚れてるのにね」

「え、なに?」

「べつに。それ以来、渚沙ちゃん、そのきれいなお姉さんに心がすっかり奪われちゃったんだって」

 渚沙とは、梓の妹である由実の友人だ。同じ女子中学に通っている。彼女は最近、街で知り合った「アイリス」という喫茶店の女性店長と仲良くなり、ひんぱんに彼女の話をし、次第に由実まで感化されつつあるという。

「ふーん。年上のきれいな女の人に憧れる時期なのかな」

 タケルは慎重に返事した。相手が姉の奈緒なら、百合がどうたらという話で盛り上がるところだが、梓は妙に潔癖なところがあり、その手の冗談は笑ってくれる場合と怒り出す場合があって、うかつに軽口はたたけない。 

「渚沙ちゃんって、たしか背の高い……」

「そうそう。この前駅であったんでしょ。もう百七十はあって、こんがり日焼けしてる。本格的にテニスやってるから」

「じゃあ、それで白目が目立ったんだ」

「きみねえ」梓は言葉に軽蔑を込めた。「ここまで言葉による表現の粗雑な奴って、かえって貴重かな」

 タケルは口を尖らせて、なにか言い返そうとしたがやめ、本題に戻った。


「中坊が喫茶店ってのは生意気な気はするけど、入り浸るほどでもないんだろ。頻度はどれぐらいなの」

「知り合って3ヶ月ほどで、4回だって。うち一回は由実も行った」

「うーん」タケルは両腕を組んだ。「それじゃ常連どころか、よく行くとも言えない気もする。まさか、店で賭博をやってるわけじゃないよな」

「あたりまえよ」

「インテリアがよっぽど気に入ったとか。でも、どうせ猫カフェとか、せいぜい爬虫類カフェかなって思っていたら、人像カフェとはね」

「意表はつかれたでしょ」

「ああ、つかれた。けどさ、だいたい中学生なんてつまんないものに盛り上がったりするもんだし、すぐ忘れるんじゃないの」

「わたしもそう言ったんだけど」梓は下唇を軽く突き出し、コミカルな表情を作ってみせた。「なんせ、ツインばっちゃんがね」

 渚沙の話を聞いても、両親はそれほど興味を示さなかった。しかし、祖母である河本波津が不自然なまでに動揺し、友人でもある梓の祖母を通し、くだんの喫茶店店主からやんわり引き離すよう、由実に依頼してきたという。だが、由実は渚沙をかばう意識が強く、思うようには動いてくれない。思い余った波津は姉の梓へと話を持ち込んできたのだ。

「けど、どうしてそんなに気になるのかな。そっちが不思議」

「それよ。いろいろごちゃごちゃ言ってたのを整理すると、波津さんが東京の女子大にいた頃に知り合った女性に、玲子さんが似てる気がするんだって。こりゃやばい人だと間一髪で気づいて、無事逃げのびたんだそうよ」

「なんじゃそら。5、60年は前の話だろ」

「だから渚沙ちゃんのお母さんは、笑って本気にしてないの」

「それはともかく、どうしてぼくと関連づけられるの?」

「だから今度の土曜日、わたしがあいつらを尾行して、店にも潜入して調査せよと命ぜられたの。そんな時は相棒が必要なの。わかるでしょ、それぐらい」

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