病棟に現われた異形
「音は廊下からしたわよ!」
のどかの声を合図にして、四人は一斉に病室を飛び出した。
非常灯だけが点いた薄暗い廊下。のどかたちが優希を運んできたのは、特別病棟の最上階に位置する隔離フロアだった。
「あの音、なんだったんだ?」
誰もいない廊下の左右に何度も注意深くコウが視線を振り向ける。
「分からないわ。このフロアには『吸血鬼事件』の被害者である二人と、まだ催眠術が解けていない鈴原美佐さん以外には、誰もいないはずだから」
のどかが病棟内の説明を素早くする。
「まさか、『真犯人』が現われたわけじゃ──」
「そんなはずはないわ。もしも『真犯人』がここに現われたのだとしたら、アリスたちの身に何かあったということだから」
「ちょっと、のどか。それってどういう意味よ?」
今だに事件の全体像を把握出来ていない様子の櫻子が困惑の声を上げた。
「簡単なことよ。今回の『吸血鬼事件の真犯人』は──」
のどかの声がそこで不意に途切れた。目の前の光景がそうさせたのである。
廊下の影から現われた二つの人影。犯人に襲われた夜以降、ずっと昏睡状態にあったはずの被害者二人が今、廊下をゆっくりと歩いてきたのだ。
「どうやら病室のドアのガラスを無理やり割って、廊下に出てきたみたいね」
何が起きたのか瞬時に察したらしいのどかが早口でつぶやいた。
「ねえ、『アレ』はいったい何なの……?」
櫻子が露骨に嫌そうな声を出した。
廊下に灯る非常灯に照らし出された被害者二人の姿には、ある変化が生じていた。蒼白い顔に、限界までこけてしまっている頬。まるで幽鬼のごとき変貌振りであったが、一ヶ所だけ妙に生命力を感じられる箇所があった。
真っ赤な鮮血色に染まった両目だけが、ギラギラと輝いていたのである。
「のどか、これって現実だよな?」
コウが不気味な姿に変わり果てた被害者に目を向けたまま、誰に言うでもなく言葉を漏らした。
「吸血鬼に関する伝説は当然知っているわよね? 吸血鬼に咬まれた人間は吸血鬼化して、その咬まれた吸血鬼の命令に従う下僕となるのよ」
「それぐらいはオレだって知ってるさ。でも、今までこの被害者たちは昏睡状態にあったはずだろう? それがどうして突然『こんな風』になっちまったんだよ?」
「さっき言った通りよ。アリスたちの方で何か問題が起きたのよ。おそらく、向こうでも『真犯人』がいるということに気が付いたんじゃないかしら。それで正体を悟られた『真犯人』が、今まで昏睡状態にあった被害者たちを下僕として使役し始めたのよ」
「要するに、これって『真犯人』が最終手段にでたってことよね?」
櫻子は不快そうな表情こそ見せるが、しかし恐怖を感じている様子は微塵もない。
「まあ、そういうことになるわね」
のどかもいたって冷静である。
「で、どうするんだ? このまま睨めっこを続けるのか? 相手さんは今にも飛び掛ってくる気満々な顔をしているぜ」
コウはすでに両拳を硬く握り締めて、格闘の臨戦体勢に入っている。
「ここは私と京也でカバーするわ。コウとのどかはアリスたちの元に急いで行って」
「えっ? この二人を相手にするなら、オレと京也の力でなんとか──」
「私と京也の足よりも、コウと櫻子の方が断然に速いはずでしょ。向こうにはきららさんもいるんだから、一秒でも早くアリスたちの無事を確認する必要があるの。それにここにいるのはあくまでも吸血鬼の下僕に過ぎないわ。おそらく、本体はアリスたちの方にいるはずだから」
「なるほど、そういうことか。分かった、了解したぜ。オレと櫻子はアリスたちの元に急いで向かうことにするよ。──よし、櫻子、行くぞ!」
コウはそう言ったかと思うと、すぐに振り返って優希が残る病室に戻って行った。
「のどか、京也、ここは頼んだわね!」
櫻子がコウの後を追いかけていく。
薄暗い廊下に残ったのは、のどかと京也、そして二人の被害者──。
「──さて、こっちはこっちでショータイムの始まりだな」
京也が視界に入ってくる吸血鬼の下僕と化した被害者たちを興味深そうに見つめる。
「なんだか随分と楽しそうな感じね」
のどかが横目でチラッと京也の様子を伺う。その口元には涼しげな微笑が浮かんでいる。
吸血鬼の下僕を前にしているにも関わらず、この二人もまた櫻子と同様に、恐れる様子を微塵も見せなかった。いや、むしろ眼前の状況を、どこか楽しんでいる風にさえ見えた。
果たして、のどかと京也はなぜそこまで冷静でいられるのか──。
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