第59話 サーヴェンデルト王国騎士団の落日 後編

 騎士団長会議という名でありながら、騎士派の重鎮達、大貴族の決定に形ばかりの参加のみで半ば強制的に承服させられるという、何度味わっても慣れることのない屈辱を体験した後、私の姿は王国騎士団総本部のとある一室に一人の老人に呼び出されていた。


 その部屋の名は「白鷲騎士団最高顧問室」。

 建前上は騎士団長の要請に従って適切な助言と支援を行う相談役、ということになってはいるが、実際は騎士団の意思決定に重大な影響力を持つ白鷲騎士団の事実上のトップと、公然の秘密として認知されている。


 ――その噂を当の騎士団長である私が否定できないのだから、秘密も何もないのだが。


「さてブルトリウス騎士団長、納得のいく説明を聞かせてもらおうか」


 最高顧問室の部屋は、騎士団の中にありながらその雰囲気は貴族風の瀟洒な家具で統一されており、本来飾られるべき武具の類は一切見当たらない。

 中央に据えられたビロードのソファに座る老人もまた、騎士の雰囲気など微塵も感じさせない王国の重鎮としての貫禄を醸し出していた。


 直立不動の私の前にいるこの人物こそ、騎士派の首魁の一人であり白鷲騎士団の影の支配者、ラーゼン侯爵だ。






「説明、とは?会議の場では特にラーゼン候の意向に背いたつもりはありませんでしたが」


 あくまで真面目な回答として告げたつもりだったのだが、私の言葉を聞いたラーゼン翁の眼光は私の目に鋭く突き刺さった。


 ブルリ


 齢七十を数える老人とは思えない威圧に、魔族との戦いで様々な危機を経験したはずの私の体が震えとなって反応した。

 単純な武力ならば明らかに私の方が上だが、それは戦いの場が異なるだけであって、ラーゼン翁が歴戦の猛者であると私の体が直感した何よりの証だった。


 ラーゼン翁に私が唯々諾々と従っているのも、単に強大な騎士派の権力に恐れをなしているだけではない、ということだ。


「とぼけるのはよせ。先の議題に上がった『永眠の森』とやらの扱いに関してに決まっておるであろう。王国騎士団の派遣はすでに既定路線となった。ならば、むざむざ部下を見殺しにしたと評判の白鷲騎士団長が、なぜ自ら手を挙げぬ?」


 あの森に住まう魔族どもの言うところの、『永眠の森』という呼称をあえて使って来たか。

 やはりラーゼン翁も、独自の情報網でそれなりに一部始終を把握しているとみていいだろう。

 そしてわざわざこの場で話を持ち出してきたということは、白鷲騎士団をあの森に派遣させることをラーゼン翁自身が望んでいるという一つの証でもある。


 だが、この件に関してはそうもいかない。

 会議の最中のラーゼン翁の物言う視線を無視する形となったのは、ひとえに大勢の部下の、そして王国を思っての決断だったのだから。


「ラーゼン侯爵。あの森に関してはまだまだ分からぬことが多すぎるのです。今はまだ冒険者ギルドなどを利用した調査が妥当、騎士団の投入など騎士団長として考えられぬことです。その証拠に、他の三人の騎士団長もあの場で手を挙げませんでした。いずれも検討段階にあるという何よりの証拠でしょう」


「……確かに、一部の先走った者達の思惑が間違っていたという事実は動かぬ。それは名うての冒険者どもがことごとくあの森で果てたことからも窺える。だがなブルトリウス卿、我らには我らの譲れぬ理由があるではないか」


 ……やはりあの件を持ち出されるか。


 はっきり言って、あの件に触れることは誰にとっても得など一つも無いはずだ。

 私はもちろんのこと、ラーゼン翁とて話題にしたくはないはずだが……


 しかし、ラーゼン翁の表情を見る限り、ここでこの話題を終わらせる気はないと無言裡に言っている。

 ならば、私の方もそれなりの覚悟を持って先に進めるしかないだろう。


「『元』第十五小隊の面々に関しては無念と言うしかありませぬ。まさかラズムッド卿が部下を唆して騎士団を無断で抜けた上、魔族の領域で行方知れずとなるとは夢にも思いませんでした」


 その瞬間、ラーゼン翁の眼差しが再び鋭い光を放った。

 だが、それは先ほどとはわずかに違う、怒りの感情の籠ったもののように見えた。


 いや当然だ、誰でも己が係累の死に関して嘘を吐かれれば、心穏やかにはいられまい。


「……お主の立場としてはそう言うしかないのであろうな。ワシの元に集まった諸々の情報が、あの不肖の孫が家柄を盾にお主に黙認を迫ったことは把握しておる」


 そう言ったラーゼン翁の表情からは、すでに怒りの痕跡を見つけ出すことはできなくなっていた。

 それが、原因はラズムッド卿にあると悟ってのことか、それとも貴族ならではの処世術で己が感情を心の奥底に隠しおおせた故なのかは、私には分からないが。


「出入りの商人や冒険者ギルドの一部の職員まで巻き込んだ、かなり用意周到な計画だったことは分かっておる。そして、わざと詰め所と門番による改めを緩めるしか、お主に取れる手がなかったこともな。ここでラーゼン家当主として宣言しておく。白鷲騎士団長ブルトリウス、ワシはお主に我が孫の不始末に関してその咎を問うつもりはない」


「……ご厚情、感謝いたします」


 見る者によっては、王国の法を逸脱した非常識な一場面と捉えることもあるだろう。

 だが、私の目の前にいるのは、サーヴェンデルト王国の実権の半分を握る大派閥の首魁の一人であり、その気になればこの老人の独善だけで処刑や家名断絶の一つや二つ、言葉一つで成しえてしまう、王国の黒幕の一人なのだ。

 その力が理不尽に振るわれなかったことに対して、最低限の礼儀を尽くすのは当然のことだ。


 だが、今更終わった話をするためだけに、ラーゼン翁はわざわざ古傷を開くような御仁ではない。


 つまり、話の本筋はこれからだということだ。


「だがなブルトリウス卿、騎士派に連なるラーゼン侯爵家の当主としてはそれでよくとも、孫を魔族の領域で失った家門の総帥としては、このままでは収まりがつかぬ」


「……やはり、白鷲騎士団の派遣を思い留まっては下さりませんか」


「勘違いしてもらっては困るぞ、ブルトリウス卿。永眠の森への騎士団派遣はワシ個人の考えではない。我がラーゼン本家と、それに連なる一門の総意で、騎士派の主だった家々に図った結果なのだ。無論、ワシにも孫の敵を討ちたいという気はあるゆえ、あえて反対はせなんだがな」


 言外に自分は賛成しなかったと言いながらも、ラーゼン翁は改めて私に騎士団の派遣を迫ってきた。


 ……しかしまさか、ここまで騎士派内部の根回しが進んでいたとは。

 となると、他の騎士団長も今頃は私と同様の話を聞いている頃かもしれんな……


「まさか、そこまで貴族の方々の間で意思が統一されていたとは……」


「無論、ただの感情論だけではない。魔導派の連中が永眠の森周辺で大きな動きを見せている以上、騎士派としても本腰を入れざるを得なくなったというだけのことだ」


「魔導派が?これまでは冒険者による探りや、後々の利権確保のための根回し程度しか行動していなかったと記憶しておりますが?」


「お主が知らぬのも無理はない。これはまだ騎士派の貴族の中でも一部にしか回っておらぬ情報だが、どうやら魔導派は貴族の私軍を直接永眠の森に送り込み始めたようだ」


「っ!?貴族が陛下の許しもなしに勝手に兵を自領の外で動かしているのですか!?」


「どうやら王宮の妖怪を多額の賄賂で抱き込んで、陛下の御耳に入らぬようにしてのことらしい。すでに永眠の森で中規模の火事が起きたとの情報も入っておる。これが魔導派の仕業か、それとも奴らの行動に焦った騎士派の誰かの暴走かはまだわからぬが、事態が風雲急を告げてきたことだけは間違いない」


 ……王都の守護云々と言っていられるほど、状況はもはや予断を許さない、ということか。


 その私の沈黙を迷いの証と取ったのか、ラーゼン翁は更なる言葉で畳みかけてきた。


「ワシは王国貴族としての責務を理解しておるつもりだ。だが、ワシの後を継ぐ息子の考えはやや違う。何しろ弟の息子を失っておるのだからな。血縁の近い分、ワシよりも数段深い悲しみと怒りに今も打ち震えておる。老体のワシに万が一のことがあった時、今のお主の態度は白鷲騎士団にとっても王国にとっても決して最良の道を歩ませまいな。次代に全ての責を負わせるか、それともお主の代でできうる限り重荷を片付けるか、選ばせてやる。ただし、考える猶予はそれほど長くはないぞ」


 騎士に対する要求としては無茶にもほどがある。


 だが、貴族としては至極真っ当な要請をしただけに過ぎないラーゼン翁に対して、事情を理解する程度の頭を持ち合わせてしまった私は、深く礼を取ることでしか応える術を知らなかった。






 騎士派の傀儡と化しているとはいえ、王国騎士団長が多忙を極める役目であることには変わりがない。

 ラーゼン翁との話し合いという厄介極まる難題を終えた後も、ここから程近い場所にある白鷲騎士団本部の私の執務室には書類の山が待ち構えているので、早々に帰還するのが常だった。


「む」 「おお」 「あら」 「これはまた」


 なので、王国騎士団総本部の門前で四人の騎士団の長が鉢合わせするなど偶然を通り越した奇跡の場面だった。


 ……いや、奇跡などではなく、全員が同じ用事で中に留まっていたに過ぎないのだろう。

 そう思わせるほど、三人の表情から迷いと苦悩の跡が垣間見えていた。


「……全員、考えていることは同じようだな」


「うむ、はっきりと言葉にこそしなかったが、ウチの顧問の言葉は黒竜騎士団を派遣せよという風にしか聞こえなかったな。やれやれ、騎士団をおもちゃか何かと勘違いしておられるよ」


「あら、白騎士卿と黒騎士卿は代々騎士の家系ですから、それなりに抗弁する力をお持ちでしょう?私の家は騎士派の分家ですから、『永眠の森を奪取せよ』の一言で終わりですよ。いくら本家でも、分家に指図する権利はないはずですのに」


「……俺とて、魔族の領域を切り崩すことにやぶさかではない。だが、あいつらは机上でしか物事が見られぬ。長年かけて鍛え上げた部下の命を失うことがどういうことなのか、それが分からぬ連中の命になど従っていられるものか」


 ……どうやらラーゼン翁が言うほど、騎士派の中で意思が統一されているわけではなさそうだな。

 いや、むしろだからこそ、私に進んで手を挙げさせようとしているのか。


 ラーゼン翁の逆鱗に触れたくはないが、しかし言う通りに立候補したとしても、今度はその他の騎士派の重鎮に目を付けられる羽目になりかねんな……


 ふと、悩みすぎて視野が狭くなっていると気づき、あえて意識して視線を遠くへと投げる。

 見えるのは、白で統一された建材で建てられた壮麗な趣のある王宮、そしてその先には様々な観測用魔道具が最上部に収められているという魔導派の本拠地のシンボルである『魔導の塔』。


 独自の軍を持たない魔導派だが、魔導の塔に代表されるように、その資金力は騎士派のそれを大きく上回る。その気になれば冒険者や傭兵、あるいは魔導派の貴族を金に物を言わせて糾合し、瞬く間に大軍を編成することすら可能らしい。


 しかも、今は騎士用鎧の主な供給源の一つだったガーノラッハ王国が突如取引を停止し、騎士団の装備が更新できない事態に陥っている。

 これまであらゆる伝手を使って取引の再開と原因の把握に努めているが、事態解消には時間がかかりそうだと思われる。

 つまり、無理をしてでもここで魔導派に食らいついていかなければ、両派閥の差は決定的なものとなり騎士派の敗北が確定する可能性がある。


 いや、騎士派が敗北するだけならばまだいい。

 もし、その混乱に乗じて争乱、あるいは騎士派の貴族の反乱にでも発展しようものなら、サーヴェンデルト王国はかつてない混沌の時代を迎えるかもしれない。

 そうなれば、私が密かに考えていた魔導派との和解など夢のまた夢。


 事ここに至れば、非常に徹して多少の犠牲は覚悟しなければならないのか……


 そんな思いで魔導の塔を見つめていたせいだろうか、私は「それ」を一番初めに目撃することになった。


 なんだ?魔導の塔が……伸びている?


 馬鹿な、あり得ない。


 いくら魔導技術の粋を集めて作られた魔導の塔と言えども、その構成素材は普通の塔とそれほどの違いは無い。

 そんなに簡単に動いたり、ましてや伸び縮みできるような代物ではないことは素人でもわかる。


 だがだとしたら、私が見ているものは何なのか――


 この時点で思考できたのはそこまでだった。



 ――ォォォオオオドドドドドドドドオオオオオオオオオォォォンンン



 小さく大きく、そして最後にまた小さく聞こえたのは、紛れもない崩壊の音。


 そして私の両の目が捉えたのは、魔導派の復権と繁栄の象徴である魔導の塔が内側から崩れていく様子だった。


 だが、事態はそこで終わりではなかった。


「し、白騎士卿!あれを見ろ!」


 数えるほどしか聞いたことのない黒騎士卿の叫びに意識を取り戻した私は、改めて目の焦点を魔導の塔のあった空間へ向けた。


 視線は迷いはしなかった。なぜなら、何もない空間になっていなければならないはずの魔導の塔があった場所に、黒い巨大な何かが世界そのものに反逆するようにそびえ立っていたからだ。


 遠くから見たせいだろう。私はそれを見て、自分でも訳の分からないままにこう呟いていた。


「……トレント、だと?」






 争乱は起きてしまった。


 誰もが予期しなかったタイミングと形で。

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