第19話 白鷲騎士団第十五小隊 後編

「モーゼス……くそっ!!」


 森の中を行き以上に警戒しながら足早に進む。

 横にはノーデンス、そして背後には傷を負ったヨハンにそれを支えるボルゲン。

 そのボルゲンが相棒であるモーゼスの死に様を思い出したのか、小さく悪態をついた。


「遺品を持ち帰る余裕も無かったのだ。今は諦めろボルゲン」


「だが隊長、この借りは絶対に返すぜ。ちくしょう、この森のやつら、皆殺しにしてやる!」


「ああ、私も同じ気持ちだ。……それでヨハン、傷はどうだ?」


 思った以上に冷静だったボルゲンに安堵しながら、右太ももに矢を受けたばかりのヨハンの様子を見る。


「すみません隊長。隊長の回復魔法のおかげで傷は塞がりました。これで魔族どもが襲ってきても戦えます。どうか私のことはお気になさらずに」


「バカなことを言うなヨハン。あの時は十分に傷を癒す時間がなかったのはお前も分かっているだろう。傷が治りきっていないのは、動きを見れば一目瞭然だ」


 このヨハン、一見品行方正で優秀な上に年下の隊長である私にも礼儀を尽くす、まさに騎士の鑑と言った男なのだが、このように時折出る融通が利かない一面がしばしば上官との軋轢を生んできたようで、下級貴族の出ということもあって同期の中でも冷遇されてきたらしい。

 そこで誰も要らぬというならと、私が小隊を任された時に真っ先に引っ張ってきたのがヨハンだったのだが、やはり私の目に狂いはなかったと今も自負している。


「いいかヨハン。お前をあの場に置き去りにしなかったのは、何もこれ以上仲間を失う苦しみを味わいたくないという感情だけが理由ではない。この森を無事に脱出するためには我が副官の的確な状況判断が必要だと、小隊を預かる隊長として私が決めたことだ。お前が今やるべきは、無駄に体力を消耗して途中で自滅することではなく、少しでも小隊の生存率を上げるためにその頭脳を最大限に働かせることだ。分かったな、ヨハン」


「……了解しました隊長。不肖このヨハン、小隊の帰還に全力を尽くします」


「……っ」


 カイィン


 その時、周囲を警戒していたノーデンスが足音も立てずにヨハンの背後に回ったかと思うと、木々の隙間を縫うように飛来してきた矢を手に持った槍で打ち払った。


「……厄介」


「ノーデンス、悪いがそのまま私とボルゲンの後ろについて守ってくれ。我ら騎士に気配を感じさせぬほどの弓の使い手、おそらく相手はエルフの一団だ。今の陣形でやり過ごせる相手ではない」


「……了解、副官殿。だが、前はどうする?」


「申し訳ないが、前衛は隊長御一人に担っていただく。無論、戦闘時も全て隊長にお任せして陣形は変えない。よろしいですね、隊長」


「もちろんだ。四人で帰還するためなら、存分に私の力を使い倒してくれ。さあ行くぞ。死んだモーゼスの為にもなんとしても生還して魔族どもにこの借りを返すのだ!」


 そう締めくくることで改めて気を引き締めなおした私達は、敵に背を向けながらの行軍を再開した。

 時折飛んでくる矢や魔法を私とノーデンスで弾き飛ばし、罠が仕掛けてありそうな箇所をヨハンの指示で回避しながら、行きよりも難易度の高い道のりは順調に思えた。






 おかしいと感じ始めたのは、左右から飛来してきた計三本の矢を打ち払った愛剣に、一滴の血のりも付いていないことに今更ながら気づいた時だった。


「……どうした隊長?」


 振り向いた先のノーデンスの槍にも、やはり新たな血は付いていない。


「……先ほどから敵の姿を見た者はいるか?」


「……いや」


「そういえば見てねえな」


「言われてみれば、モーゼスがやられた時以来、敵が直接襲ってきていませんね」


「俺達にやられるのを怖がって、遠距離攻撃しかできねえだけじゃねえのか?」


 ボルゲンは楽観的だが、やはり敵を見た者がいないという事実に、私の疑念はさらに増していく。


「ヨハン、今どれほどの距離を戻ってきた?」


「先ほど、目印の一つにしていた小さな池を通り過ぎましたから、およそ行きの行程の三割ほどは戻ってきたかと。このペースなら、夕暮れまでには狼煙で救援を求められる地点まで行けるはずです」


「そうか、それならばよいのだが……」


「大方、俺達が森から脱出しようとしていると踏んで、奴らも他のパーティの方に向かったんじゃねえか?」


「……同意。今の我らは言わば手負いの獣。敵が目の前に出てくれば、モーゼスの敵を討つのは道理」


「……そうだな。私とてその機会を見逃すことはない。敵がそのような事態を避けたとすれば納得がいく」


 珍しく長口上を述べたノーデンスの考えを聞いて、私の心も少しだけ軽くなった。


 そう、敵は有象無象の亜人魔族だ。

 この森がまだどの魔王の支配下にも入っていないのは、冒険者ギルドの入念な調査で判明している。

 ということは、我らに敵対しているのは、いわば魔王の息のかかっていないはぐれ亜人、魔族だということになる。

 これまでの道中で様々な亜人魔族を討ったが、奴らの連携はまさに素人のものだった。

 我らに対する追撃が甘くなるのも道理だ。


「隊長、認めたくない気持ちは私にもありますが、これは紛れもない敗走です。そんな時には人は得てして迷いが生じるものです。だからこそ、指揮官はその迷いを振り切って突き進まねばならない、そう私は愚考いたします」


「……そうか、私は弱気になっていたのだな。礼を言うヨハン。ここで迷いを見せれば、遠巻きに我らを監視している敵に弱みを見せることになるな。進むぞ第十五小隊の騎士たちよ!ここが正念場……なんだあれは?」


 会話の最中も全方位を警戒していた私の目に突如飛び込んできたのは、草むらの隙間から覗く鮮烈な銀の反射光。

 一瞬水溜まりかとも思ったが、やはり輝き方が違うと思い直して、全員に警戒を促すべくさっと左手を挙げる。


「まずは私が確認する。全員その場で待機」


 ドクン ドクン ドクン


 三人をその場に残し、一人でその光の下へと一歩一歩近づくたびに、私の胸から煩いくらいの心音が体中を駆け巡る。

 なぜなら、その太陽にも似た眩しさの反射光は、私にとって本物の太陽よりも見慣れた輝きに思えたからだ。


 違う、そんなはずはない、あり得ない、どうしてこんなところに……


 そんな私の淡い期待も、反射光の発生源に一歩一歩近づくたびに霞のように消えていく。

 そして、眼下に反射光の発生源、骸となって時間が経ち、腐敗臭が漂い始めていたモーゼスの遺体をその目で確かめた瞬間、私自身も驚くほどの大声を発していた。


「罠だっ、逃げろ!!」


 ――ッヒュウウウゥゥゥウウウ   ガッ


「へ?」


 振り向いた時には、ヨハンに左肩を貸していたボルゲンの体は宙に浮いていた。

 信頼する部下が空に消えるまでの一瞬の間に見えたのは、右肩と首をがっちりと掴んだ巨大な鳥の足。そしてボルゲンの上の位置で羽ばたくハーピー族の醜悪な姿だった。


「ボルゲーーーン!!」


「隊長!!ボルゲンはもう駄目です!!今は周囲の警戒を――」


 ヨハンの声に我に返り森の中を素早く見渡したその瞬間、私の体中からどっと冷や汗が噴き出した。

 さっきまで静かすぎるほどだった森の気配が一変し、そこら中から数えきれないほどの殺気が放たれていたからだ。


 なぜだ?

 いきなりボルゲンが攫われたこともそうだが、なぜモーゼスの遺体がここにある?

 ……いや違う、遺体のあった場所には確かに血だまりの跡があった。

 ならば疑うべきはモーゼスの遺体ではない。我らの道のりだ。


「そうか、妖精族の幻惑魔法……」


 一つの疑問が解消したが、同時に新たな疑問も生じる。

 当たり前のことだが、亜人魔族がはびこる森を攻略しようというのに、妖精族の脅威を計算に入れない馬鹿はいない。

 身体能力こそ最弱の部類にあるが、様々な独自の魔法が弱点を補って余りある妖精族は、視界不良な森の中では最も警戒すべき種族の一つだ。

 当然妖精対策は王国騎士団でも入念にとってあり、騎士の鎧には幻惑魔法への耐性が標準装備されている。

 しかし耐性はあくまで耐性、完璧に幻惑を防ぐものではなく、一定の閾値を超えれば騎士相手にも十分な幻覚を見せることが可能なのだ。


 そう、例えば――


「……妖精、多数……!?」


 現れたのは、感情の揺れを滅多に見せないノーデンスがはっきりと動揺するほどの数の妖精族。

 ざっと見た感じでは、おそらくは百体以上。

 騎士の鎧一つにつき、防げる幻惑魔法の魔力はおよそ妖精五体分。

 これでは耐性など何の意味もなさない。


「……た、隊長……」


「わかっている、無念だがボルゲンは見捨てる!私とノーデンスの二人で血路を開く!ヨハンは全力で私達の後をついて……ヨハン?」


 ノーデンスの声色がいつもと違ったことに気づかなかったのは、やはり私も動揺していたということなのだろう。

 ノーデンスの言葉の意味を察したのは、いつの間にかに地面に倒れ伏して動かなくなっていたヨハンの姿をこの目で見た時だった。


「その人、もう死んでますよ」


 そう言いながら姿を現したのは、風格漂うエルフの女。


「なんで?って思っているのでしょうね。答えは簡単ですよ。遅効性の毒、それも一定時間後に必ず死ぬエルフ族秘伝の強力なものです」


 そのエルフの言う通り、うつぶせに倒れたヨハンの目は開かれたままでピクリとも動かない。


「特効薬での解毒以外、例えば強力な回復魔法も通用しない特別製です。騎士の方なので果たして時間通りに効果を発揮するか心配でしたが、杞憂でした。ああ、申し遅れました、私の名はイーニャ。この永眠の森のエルフ族代表です」


 その自己紹介を待っていたかのように、森のあちらこちらから数十人のエルフが矢を番えた恰好で姿を見せる。


「アタシは妖精族のシャラ!」 「アタシは妖精族のファラ!」


「さきほどあなたのお仲間を攫って行ったのが、鳥人族代表のテリスさんです。そして」


 パキ バキバキバキ


 小枝が折れるような連続した乾いた音が辺り一面から鳴り続ける。

 いや、ような音ではない、まさにそこら中の枝が蠢いて音を立てているのだ。


 そして現れたのは、十体ほどの目と口を付けた樹木。

 その内の一際巨大な樹が喋り出した。


「ワシがトレント族代表のヨルグラフルじゃ」


「ちょっとお爺ちゃん!」 「いくらなんでも遅すぎ!」


「すまんすまん。足の遅いワシらのために幻惑魔法で時間稼ぎしてもらって悪かったのう。じゃが、おかげで何とか間に合ったわい」


「オ、オラたちもいるだよ!」


 そう言いながら現れたのは、真っ黒な熊の獣人。

 いままで名乗った亜人魔族の中ではもっとも弱いプレッシャーしか感じないが、それでも街中で出くわしたら騎士団が総出で出撃すると思われるほどの強さは感じる。


「馬鹿な、これほどの戦力を、この森にはあと三つ分も有しているというのか?」


「……不可解」


 おそらく今頃は他のパーティも同じような事態に陥っていると推測して、思わず言葉を漏らす。

 敵に情報を与えてしまうという騎士として最も恥ずべき行為だったが、なぜか首を傾げたエルフが信じられない発言をした。


「それは違いますよ。この場に集っている者たちが、永眠の森の亜人魔族の戦力の全てです。私達はここだけに戦力を集中させたのですよ」


「な、何を言っているのだ?そんなことをすれば、他のパーティにやすやすと侵入を許すことに……」


「理由は二つあります。一つは、あなた方が他のパーティと比べて桁違いに私達の仲間を殺してくれたから。その復讐をしたいと思うのは当然でしょう?もう一つは……言う必要はありませんよね。だって、あなた方は今ここで死ぬのですから」


 グワッシャアアアアアアン!!


 その爆音が響いた時、私はすぐには現実を受け入れられなかった。

 爆音の発生源は私の背後、振り向いた時にはその場にいたはずのノーデンスとヨハンの遺体は見つけられず、代わりに無数に分かれた巨大な樹の枝が覆いかぶさっていたからだ。


「ノ、ノーデンス!!ヨハン!!」


 その惨劇の犯人、トレントは振り下ろした巨大な枝を元に戻しながら言った。


「……さて若いの、これで残るはお主一人じゃのう。他の者達の役目は終わった。残るはワシがお主を始末するだけ。昔取った杵柄じゃ、この『沈黙のヨルグラフル』がお相手しよう」


「沈黙だと!?貴様があの!?」


 沈黙のヨルグラフル。

 かつて多くの冒険者や騎士を殺してきた、爵位持ちの中でも特に有名な大魔族。

 いつの頃からかその名を聞かなくなっていたので死んだかと思われていたのだが、まさかこんなところにいるとは……

 そして、その代名詞となった能力が……


「ほれ、最初はサービスじゃ。ちゃんと避けてくれ」


 ヨルグラフルの予告と同時に、私は全力で後ろに下がる。

 一瞬のちに元の位置を巨大な枝が唸りを挙げて通り過ぎる。


 これが沈黙のヨルグラフルの能力、トレントの常識をはるかに超えた攻撃速度だ。

 移動スピードこそ他のトレントと大差ないが、無数の枝を動かす速度は人族には視認できないほど。

 必ず相対した敵を倒すことから、ついたあだ名が『沈黙』。


「ほれほれ、せめて夕刻までは持ってくれ。最近ワシも運動不足で困っておったところなのじゃ」


 絶望という言葉が生温く感じるほどの時間だったが、それでも私は懸命に戦った。

 それが王命を振り切ってまで貫こうとした騎士道ゆえか、それとも無残に散っていった仲間たちの無念を背負った意地なのか、あるいはその両方か、そのどれでもないか。

 刹那の時間でも意識を逸らせばたちまち命を失うであろう絶望の中では、とても思いを定める余裕などなかったことだけは確かだ。


 それでも、ここが真っ当な戦場なら、勲章と報償と王直々の御言葉を頂けるくらいの戦果を挙げた自信はあるのだから、やはり私の折れそうな心を確固とした思いが支えていたことは間違いないだろう。


 亜人魔族どもの失策も大きかった。

 沈黙のヨルグラフルに任せておけばいいものを、戦いの最中も包囲を解こうとせずにその場に留まっていたのだから。

 結果として、ヨルグラフルに放った私の魔法の数々の巻き添えを食らった愚かな犠牲者は、私の目測だけでも二百は下るまい。

 犠牲を止めようとして、ヨルグラフルの制止も聞かずに直接私に襲い掛かってきた亜人魔族も少なくなかったが、すべて一刀のもとに返り討ちにした。

 当たり前だ、どれだけ疲弊していても、爵位持ちの魔族以外に私が後れを取ることなどあり得ない。

 あの程度の輩なら、ヨルグラフルに隙を見せるまでもなく屠れる。


 しかし、塵も積もれば山となるし、有象無象も数のうちであることは絶対的な真理だ。


 真っ赤な夕焼けが闇色に染まる頃、一人の獣人を片手殴りに真っ二つにした際にガクリと腰が落ちるのを感じた瞬間、ヨルグラフルの無数の枝、杭のように鋭い先端が私の鎧の隙間を縫って次々と突き刺さった。


「ガフッ」


「やれやれ、ようやく仕舞いか。年寄りは頑固と相場が決まっておるものじゃが、それでもワシは先ほどの発言の誤りを認めねばなるまいて。最初の一撃を手加減するのではなかった。お主は強かった」


 忌々しそうな声でそう言ったヨルグラフルは自身の腕を払って、枝の先端に貫かれている私の体を近くの木の根元に振り落とした。


「ぐはっ……」


「さて、ワシも元爵位持ちの端くれじゃ、お主に慈悲のとどめを刺してやりたいところじゃが、それでは他の者が納得せぬのじゃ。悪いとは思うが、苦しみぬいて死んでくれい」


 根元に寄り掛かる私の体は全身の骨が折れ、致命的な出血もあってもう動かない。

 そして私の霞んだ視界に入ってくるのは、仲間を殺されて怒りが頂点に達したと思われる種々雑多な亜人魔族ども。


 そんな最悪な光景が最期に見る景色になることに忌々しさを感じつつも、私にできたことは覚悟を決めることだけだった。



 少なくとも、泣き叫んで許しを請うことだけはしなかった。

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