風紀部

@naoki_nakin

第1話 モノローグ 独白

「仕事の八割は人間関係」とパートの母が言っていた。これを聞いて、どう感じるだろうか。人間関係が良ければ仕事の大半は良いものとなるというポジティブな見方をするか、それとも仕事という人生の大部分を占めるものが人間関係によって左右されうることに悲観するだろうか。以前だれかがいっていたが、人間は小さい社会から成長するにつれ大きい社会へと徐々に移行していくらしい。生まれた瞬間から家庭という社会に属し、次に幼稚園や保育園、そして小学校、中学校、高校、大学、社会人へと移り変わっていく。そう考えると、「仕事の八割は人間関係」に対して特になにか楽観、悲観する必要などないことに気づく。なぜならば、社会こそ人間関係そのものであり、生まれてから一度だって人間関係というしがらみから抜け出たことないのだから仕事においても人間関係が重要なことは自明だった。もし、仕事の八割は人間関係という言葉に悲観する人であれば、きっと人間関係をうまくこなせない自分に悲観しているだろう。

では、多くの人は人間関係でつまづくのはいつか。大半は中学から高校にかけてだろう。なぜなら、そこで「自分」を強く意識するからだ。ソースは倫理の授業、エリクソンさんがいうには青年期であるその期間は大人になるためのモラトリアム期間らしい。だからこそ、高校というものはすばらしいものとして描かれることが小学校や大学に比べて圧倒的に多い。物語の主人公はいつだって高校生だし、特殊能力をもった周りのキャラによって何度だって学校は破壊され、次の話では元通りになっている。立ち入り禁止の屋上への扉は、だいたい鍵が壊れて入れるし入っても怒られない。それらはすべて、モラトリアム期間内だからこそ許されるのだ。つまり、高校生こそ最も特権的地位なのだ。だからこそ、高校生活でのつまずきは目立たない。本来であればモラトリアム期間中失敗してもなんどだってやり直せるはずなのだが、実際そうはならない。むしろ、多くの人が失敗を隠しもしくはごまかしなかったことにする。その結果、みんながみんなを失敗してないと勘違いし必死になって高校生活を過ごすのだ。だからこそ、俺も当たり障りのない学園生活を送ろうとし、送っていた。一年生のあいだは...

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