僕は書評を書く事にした

高見もや

最後の家族を読み終わった

ようやく最後の家族を読み終わった。


2000年代の引きこもり事情を描いた作品なので、引きこもりの青年「秀樹」が自立していれば、ちょうど自分よりちょっと上くらい(自分は36歳。秀樹は今の年齢なら40代前半?)の年齢になってる。


一家はそれぞれが別の方向を向いて自立していくのだけど、父親と息子は弱さを抱えた状態のまま、話が終わっているので、2020年代の二人が無事に生きていけるのか不安を感じながら、読了してしまった。


家族が一個人として自立する事で、一家が離散?していく話なので、そこから先の人生は描かれていない。




自分は小説は人生の一部分を切り取ったものだと思っている。


特に現代小説は平々凡々な日常が続く中で、人生におけるほんの一時の出来事を経て、登場人物がどういう生き方に変わっていくのかが主題だと思っている。


だから、引きこもりからの自立。家族からの独立。会社との依存関係からの自立などを経て、一人の人間として自立した四人全員が同じ方向を向いて生きる「自立」の話としてとてもよくできていると思った。




2000年代。ゼロ年代ともいわれる時代は、高度経済成長期を経て、緩やかに衰退していく日本を描いていることが多かった。


その空気感は浅野いにおのソラニンとかがとてもよく描いていたけど、村上龍はサラリーマンの父親を描く事で、リストラという若者世代にはない、ミドルエイジの残酷な末路をしっかり描いている。


ゼロ年代を生きる息子と娘にはまだ危機感は薄く、同じ時代を生きる壮年に近い父には重く苦しい現実がのしかかっていく。


そしてそのリストラという現実ははからずしも、経済的な面でつながっていた家族四人を、経済面・精神面ともに自立させるきっかけにもなっていた。




そう考えると家族という共同体は経済面と精神面ともにつながったものであるという当たり前の事実に気づかされる。


そしてそのあたりを執拗に描いたのが、最後の家族なのだと思う。




結局、お金がないから、引きこもりは部屋の外に出て、母や娘はそれぞれの道を歩き始めた。父親は父親で離散した家庭からまた別の生き方を模索し生きていく。


お金なしに精神面での自立は難しいという話を当時の社会にいたそれぞれの世代を描いた佳作が、最後の家族なのだと思う。




でもそこから時を20年針を進めてみると、引きこもりはお金がなくても自立できず、5080問題と呼ばれる親子の共依存問題がささやかれるようになっている。


50歳の引きこもりを80歳の親が面倒を見続けているのが現実だ。


共依存関係から自立した引きこもりは生活保護を受けていたりする。


きっとこの最後の家族ほど、うまく自立できていない人がほとんどなのだと思う。




現代小説も時を置いて改めて読んでみると、結局、予測から大きく取りこぼすことも多いよな、なんて思ったりした。


2000年代における自立の理想形を描いた作品は、2020年の現実に大きく敗北してしまっている気はする。


もっと世の中は悲惨になり、つまらない話に成り下がってしまったのが残念だ。




でも2000年代にはまだ世の中には絶望的な状況ばかりではない希望的な未来を観測する余地があったことは間違いない。


村上龍が2020年代版の最後の家族を書いたら、どんな話を書くのだろう?


「自立」というテーマからこの本を読んでみたけど、他の人はどんな読み方をしたんだろうか

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