諸星警部補の事件簿
神里みかん
第1話 事件
電気も点けていない暗い部屋で、男はパソコンの画面を見ながら、眉間にしわをよせて俯いていた。その男吉田昇は有名な小説家であった。かつては国内で様々な賞を取り、ベストセラー作家として人々に知られていた。彼の部屋の棚にはその時の賞状やトロフィーが飾られている。
吉田は俯いたまま、腕時計で時間を確認した。約束の時間だ。彼は革製の黒い椅子から立ち上がり、応接用のソファに放っておかれたままのクリーム色のコートを腕で抱えると、部屋を出た。
・・・
吉田が約束のカフェテリアに到着すると、窓際の一番奥の席からひょろ長い腕を振りながら、20代前半くらいと見える少しやせ気味の男が笑顔で声をかけてきた。
「先生! こっちだ」
そう言われて、その席に向かう。コートを男の斜め向かいの席にかけると、正面の席に座る。男の名は五十畑、ネット小説を投稿している大学生らしい。五十畑の方を見ると、既に注文をしたのかコーヒーと、シュガースティックの空袋がいくつかテーブルに置いてあった。
「先生も何か注文するかい?」
「いや、本題に入ろう」
五十畑がメニューをこちらに渡そうとするのを遮って吉田は答えた。すると、五十畑は少し真剣な顔を作って話を始める。
「あんたの新作読んだよ。『殺意の闘争』ってやつ。なかなかいい出来だと最初は純粋に読んでいたんだ……だけどな中盤になって気づいたんだ。これは俺がネットに書いてた『人殺しの革命』と似てるってな! 細部が変更されてはいるが、大筋はほとんど同じだし、トリックの根幹なんてそっくりそのままだ。読み終えて、最初は偶然だと信じようとしたさ。でもね、これは明らかにおかしい!結局そこんとこはどうなんだい?」
途中から語気が強くなったからか、横のテーブルの客が何事かとこちらを何度か見ていた。五十畑はそのことに気づいて少し気まずそうにしていたが、コーヒーカップを取ると、コーヒーを飲み干して冷静さを取り戻した。そして、真剣な目でこちらを見つめる。そんな五十畑の目を見ながらこう言った。
「それは君の勘違いじゃないか? この世界に何人の小説家がいると思うのだね? 偶然被ったんじゃないか。そんな風に私を非難するのはやめてくれよ」
すこし嘲笑気味にそう答えると、男は冷静さを失わないままこういった。
「俺は小説家としてのあんたを尊敬してた。今回の『殺意の闘争』だって、俺の書いたものよりさらにブラッシュアップされていて素晴らしいものだった。だから、大きな要求はしねえ。俺を原作者にして、共著扱いにしてほしい。俺だって将来は書いて飯を食いたいんだ。出版社と醜く争いたくねえよ。そして、あんたの口利きで俺の小説を売り込んでほしい。それだけだ。もし、あんたがこのことまで断るなら友人の親父に頼んで裁判をしてもらう。残念だが……」
五十畑はそう言った。もっと大きく吹っ掛けられると思っていた。吉田は少し悩んだそぶりを見せてから、こう言った。
「少し考える時間が欲しい。頼む」
そして、頭を下げる。すると、五十畑は言った。
「わかった。明日の正午まで待つ。それまでに連絡をくれ。電話番号はメールに記載していたろ?」
「ああ、それじゃあな」
そう言うと吉田はカフェテリアを後にした。吉田の心の中では、もう何をすべきか決心がついていた。彼は外の出てから、窓から少し見える五十畑の姿を目に焼き付けた。
・・・
次の日の10時ごろ、吉田は五十畑に公衆電話から彼の携帯にかけた。
「昨日の話、受け入れることにするよ。今からそのことで話がしたいんだが、家に行っていいかな?」
そう言うと、五十畑は嬉しそうな声を上げてから、
「ああ、もちろん! 住所は6丁目の春日アパートの203号室だ。待ってるよ」
と言った。彼との通話が終わると用意していた調理用の大きなナイフを持って、彼の家に向かう。車に乗り込んで、カーナビを起動すると、車で30分ほどの距離だった。車を発進させるとその指示に従って進む。途中でコーヒーショップに寄って、コーヒーを2つ買った。あと少しで目標地点と言うところで、通行止めの看板が立っていた。どうやら、目標のアパートのある角で電気工事をしているらしい。一つ前の角で、右に曲がる回り道をして、目標のアパートに行くことにした。
五十畑の住むアパートの裏に車を停めると、購入して置いたナイフをズボンの間に挟み、コーヒーの入った袋を左手に持って、ドアを開けた。そしてアパートの前に回り込む。、先ほど看板のいっていた通り、すぐ近くで電線の工事が行われていて車は通れそうにもなかった。アパートはかなり年季が入っていて階段などはさびてボロボロだった。彼の部屋は番号からして、どうやら二階のようだった。きしむ階段を上り、彼の部屋のドアをノックすると返事があった。そして、ドアが開く。だが、チェーンはしているようで、隙間越しから顔をのぞかせていた。
「あんたか。よく来たな」
そう言うと、一度扉を閉めて、チェーンを外してから扉を開ける。建付けが悪いのか、扉が開くときにおおきな耳障りな音がした。その音に一瞬不愉快な顔をするが、すぐに口角を上げながら言う。
「今回は本当にすまなかった。道中でワインでも買おうと思ったのだが、あまり良いのが無くてね。今回はコーヒーで勘弁してくれ」
そして、コーヒーを五十畑に差し出す。
「そんなの気にしないよ。これからあんたには世話になるしな。さあさあ、中に入ってくれ」
中に入ると、そこはダイニングになっていた中央にはテーブルが置かれ、左の壁にはテレビとその奥に冷蔵庫が置いてある。そして、奥の部分はキッチンになっておりシンクや料理道具や調味料などを入れる戸棚が付いている。右側には2つ扉が付いていた。たぶん、風呂場と寝室につながっているのだろう。
五十畑は椅子を引いて座るとコーヒーの入った紙コップを袋から取り出した。そして、吉田も向かいの席に座る。コーヒーを取り出しながら、五十畑はあることに気づいてキッチンの方に向かった。
「砂糖がないなあ。俺はコーヒーは砂糖が無いと飲めないんだ!」
そう言って、キッチンの右側の戸棚から砂糖を探す。吉田はここが絶好の機会だと、両手に黒い革の手袋をはめ、ズボンに隠していたナイフを取り出した。
「あとで、他の作品も見てもらおうと思って、今印刷してるんだ! 良かったら見て言ってくれ」
彼は何にも気づかずに呑気に砂糖を探している。そして「あった!」と振り向こうとした瞬間だった。吉田は彼の右の脇腹に思いきりナイフを突き刺した。五十畑は、目を大きく開けて、手に持っていた砂糖の瓶を落として床に倒れる。砂糖の瓶が落下の衝撃で割れて、中から大量の砂糖の粒が床に散らばった。彼はしばらく陸に打ち上げられた魚のようにびくびくと震えていたが、やがて口から血を吐き出すと動かなくなった。
彼が死んだのを確認すると、吉田はキッチンの戸棚から包丁の入っている棚を探した。包丁の戸棚はシンクの下にあった。彼はそこを開けっ放しにすると。次は急いで寝室に向かった。彼のあらゆる本や原稿を一箇所に集めると、キッチンから調理用油などを持ってきて、それらを撒き、彼のデスクに置きっぱなしになっていたライターで火を点けた。そして、寝室から出て扉を閉めた。机の上のコーヒーは万が一の場合に証拠になると思い、急いで袋にしまうと、それを持って彼の部屋を出る。急いで裏に回り、車を発進させた。
早く現場から離れようとするがうまくいかなかった。近くの大通りで渋滞に捕まってしまったのだ。このままでは、ミーティングに遅刻してしまう。いくら、犯人が私でないとしても、当日におかしな行動があればそれが後々厄介なことにつながってくるかもしれない。そう考えて、大通りを通るのをやめて、正面の角で小路に入った。ここを抜けていけば何とかなるかもしれない。そう思っていた時だった。男が角から飛び出してきたのだ。急いでブレーキに足をかける。何とか男に車体はぶつからなかったようだった。一応、窓から顔を出して確認する。
「大丈夫かね?」
すると、男はこちらを向いて答えた。
「ええ、すいません。ちょっと車がガス欠してね。これから向かわないところがあるもんだから、ちゃんと左右の確認もせずに走っちゃってね」
「そうか。それは災難だなあ!」
そう言って、発進しようとした時だった。
「いやあ、このままだとまた上司にどやされてしまします。しまったなあ」
と、その男は困ったような顔をして俯くのだ。そんなとき、吉田はこれくらいはいいだろうと、彼にこう言った。
「乗っていくかい?」
「ああ!それは助かります。恩に着ますよ」
「場所は?」
「6丁目の春日アパートっていうアパートです。ほら、あそこにボヤが見えるでしょ?」
そう言ってそのアパートの方角を指さす。あまりの衝撃に吉田は驚きの表情を隠せなかった。そして、急いで笑顔を取り繕うと彼に向き直る。すると、男はポケットからとあるものを取り出すとこう答えた。
「すみません。私、警察の諸星って言います。」
彼の手に握られていたのは警察手帳だった。
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