極楽浮遊ワンルーム
きゅうた
序
宅配便のドライバーになってもうすぐ半年になる。仕事には慣れてきたものの、最近は度々虚無感に襲われるようになった。
平日の昼間に、明かに一人暮らしの人間しか住んでいないアパートへ日付時間指定のされていない荷物を今日も届ける。阿呆らしくて投げ出したくなる気持ちをぐっと堪える。十中八九不在。もう経験で分かっている。俺の担当地域は単身者が多く、とにかく再配達が多かった。不在票を入れるためにはまずは重い荷物をインターフォンの場所まで運ばなければならない。そして予想通り応答がなければその荷物をそのまま車まで持ち帰る。筋トレだ。自分は仕事ではなく筋トレに励んでいるのだ。そんな風に考えないとやっていられない。ため息をつきながら荷物を持ち上げ、送り状をちらりと見る。
『米、野菜、菓子』
米か、通りで重いはずだ。届け先と依頼主の苗字が同じだからおそらく実家からの贈り物なんだろう。なんで時間指定してくれないのかなぁ、電話一本入れて予定聞けば済む話だろうに。タダで米が貰えるとかいい身分だなこいつは。心の中で毒づきながら階段を踏み締める。
まったく、不在が予想されるってのにエレベーターがついてない、腹がたつ。怒りはエネルギーを生み、二段飛ばしで一気に二階まで上がると、もう目的の部屋の前だ。二階だったから、まぁ許す。膝の上に荷物を載せて片手を自由にすると、インターフォンをやや乱暴に押す。ピンぽーーんと間延びしたベルの音が中で響いているのが聞こえる。応答はない。もう一度押して、今度は声をかけてみる。
「イナバ運輸ですーお荷物お届けにあがりましたぁー」
やはり反応はない。まぁ分かっていたことだと胸のポケットから不在票を取り出そうとしたところで、中から物音が響いてきた。
おっと意外だ、まさか在宅していたとは。散々毒を吐いていた手前、ややばつが悪い思いで背筋を伸ばして待機する。しかし待てど暮らせど出てくる気配がない。まさか居留守か?抱える荷物が段々重さを増してきたように感じる。イライラしてくる。女性の部屋だとおそらく化粧をしてないやら表に出られる格好じゃないやらの理由でかなり待たされたり居留守を使われたりすることはあるのだが、届け先の名前は明らかに男。パンツ一丁でもこちらは全く気にしないからとにかく出てきてくれよ。
痺れを切らして再びインターフォンに手が伸びた瞬間、ドアのすぐ向こうでドタン!と一際大きな音がした。やがてゆっくり鍵の回る音がして、スローモーションのようにじわじわと扉が開く。
「お荷物ひとつ来てまーす、ここにサインを…」
言いかけてギョッとした。扉の隙間から覗く男の顔が急速に歪んだかと思うと、突然泣き出したのだ。はらはらと静かに涙を零していたのが嗚咽の混じった号泣に変わり、ついにその場に泣き崩れてしまった。
おいおいおいなんだなんだ怖い怖い怖い。異様な事態に遭遇して、どうしていいか分からず硬直する。こちらの困惑が伝わったのか男はやおら立ち上がり、行き場を失っていた俺の右手からボールペンを受け取ると、しゃくり上げながらも震える手でサインした。
「あの、重いですよ」
恐る恐る声をかけて段ボールを差し出すと、男は何度も何度も頷いてそれを受け取った。そして涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔いっぱいに喜びの色を滲ませて、
「あ、りがとう、ございまし、た」
と絞り出すように言って深々と頭を下げた。今まで荷物を届けてそんな風に頭を下げられたことがなかったためどう反応したら良いのか分からず、「いえ」と小さく答えて逃げるようにその場を後にした。駐車していた車まで戻ってから振り返ってみると、なんと男はまだ扉の前で荷物を抱えたまま蹲って泣いていた。そんなに大事な荷物だったのか?米と野菜が?それにしたって情緒不安定すぎる。
後にも先にも、ドライバー人生においてここまで強烈な印象を残した人間は、いなかった。
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