IFストーリー【ジーン】①

第35話「恐怖の廊下」の直後くらい。

もしもジーンによってサルディア国に拉致られたとしたら、の話。

神殿の中での追いかけっこに飽きたジーン。


****************

「まだ追いかけっこするの~?俺はもう飽きちゃったんだけどな」

不満を零すジーンはこちらに歪んだ笑顔を向けた。

じりじりと壁に追い詰められる。

張り付けたような笑みを浮かべた彼に、背中が寒くなった。

「やっぱり連れて行こう!ね、俺と一緒に生活しようよ~、きっと楽しいと思うんだよね、俺が」

にんまりと笑う白い歯を見たのを最後に私の視界は真っ黒に塗りつぶされた。



 何かが頬を優しく撫でる。

カタカタと何かの音が継続的に鳴っており、それにより徐々に目が覚めていく。

目を開けたというのに何も情報が入ってこず目の前は真っ黒だ。どうやら目隠しをされているようだ。

後ろ手に縛られ柔らかい所に転がされているらしい。

体が鉛のように重く、緩慢な動作で起き上がる。

衣擦れの音と共に近くに人がいる気配がしてびくりと体を震わせた。

さわさわと頬が撫でられ少し低めの体温が伝わってくる。

「起きたみたいだね、おはよう囚われのお姫様~」

目元に巻かれた布が取り去られ、目の前で青い瞳が笑っていた。

自分はベッドの上にいたようだ。周りを見回すと、木造の建物の中にいることが分かった。

暖炉の火が轟々と燃え、部屋を暖かく保っている。

窓の外には銀世界が広がっており、風が窓を叩いている。アグダン国では決して見る事のない猛吹雪である。窓の隙間から冷たい空気が少し流れ込んでいる。

「ここは、何処ですか?」

「サルディア国の最北端だよ。俺の家へようこそ~」

にんまりと笑うジーンはとても楽しげだ。しかし笑みを浮かべているのに、その瞳に光は無く作り物めいた表情に恐怖を感じる。深い海の様な青を見ていると、自分が沈み溺れてしまうような錯覚を覚える。

背中がザワザワとし、落ち着かない。

「アグダンに帰して下さい…」

震える声を抑え訴えるが、ジーンは困ったように眉を下げる。

しかしその瞳は弧を描き、困っていない事は明白であった。

ちらりと玄関らしき扉へ視線を向ける。あそこから飛び出れば逃げる事は出来るのだろうか。

「逃げようなんて思わないでね~、ここから出たら君はすぐ死んじゃうと思うよ」

ジーンは愉快そうに笑い私の頬を優しく撫でる。

「外は吹雪だからね~。土地勘も無く、魔法も使えない君が逃げようなんて…それにここは町から遠く離れているから、まぁ死にたくなければ大人しくしていてよ」

何の力も持たない私に逃げる術は無いのだろう。しかし、ずっとこんな場所に居る訳にはいかないのだ。

そもそも目の前の男が一体何者なのかも分からない。ただのカフワの同僚だと思っていたのだ。拉致される前に、着いて来るならば教えると言われた事を思い出す。

「あなたは、誰?」

男は大げさな身振り手振りを交え、目の前に跪くと私の目をじっと見上げた。

「俺の名はアーダルベルト・フックス。サルディア国の文官であり、主な仕事は諜報で~す。特技は変装魔法だよ」

ジーンの名前も気に入っていたんだけどね、と彼は私の手を優しく取り、その甲に口づけを落とした。

手の甲が熱を持ったように熱く感じる。慌てて手を引っ込め、恥ずかしさを誤魔化すように質問を重ねた。

「アグダンに来たのは何の情報を得る為ですか?」

「女王を暗殺する為の機会や、護衛達の情報とか色々だよ。カフワに来る貴族の女の子たちって結構情報持ってるんだよね~。高官の愛人とかね、本当便利。情報管理ガバガバで笑っちゃうね!」

ジーン改めアーダルベルトは私の隣に腰かけた。軋んだ音を立てベッドが沈み込む。すぐ隣に座られた為体が密着しどうにも落ち着かない。横目でそっと彼の様子を窺った。彼が神殿に居たのはもしかしたら…。

「女王の暗殺は今日行う事になっていたのですね?」

彼の瞳がきゅっと細くなる。

「大正解~。囮を使った陽動作戦だったんだよ。成功したのかは見届けていないから分からないけど。片っ端から武官たちに催眠術をかける俺、囮の武官を操るのが後輩、そして女王の暗殺係。気に食わない後輩と組まされて最悪だった~」

カラカラと笑うアーダルベルトは私の腰に腕を回す。彼に対する恐怖で体が硬くなる。サージェはどうしているだろうか、女王は殺されてしまったのだろうか。パルマやアラムが巻き込まれていないだろうか、不安な気持ちが膨れ上がる。

「でも、今までのご褒美としてリツが貰えたからいいや。壊れないように大事にするからね。ずっと、ずっと…俺だけを見て…」

アーダルベルトの腕に力が籠り、後頭部をくしゃりと撫でられる。彼の喉がくつくつと鳴り背中が小刻みに震えている。笑っている彼の顔は私からは見えない筈なのに、何故だか彼の瞳は暗く淀んでいるだろう事が分かってしまった。もう私はアグダンへ帰してもらえないのだろうと悟った。



 あれから一年程が経った。拉致された為酷い扱いを受けるかと思っていたが、私は存外大切に扱われている。一つ問題があるとすれば、ベッドが一つしか無く一緒に寝ている事だろうか。とはいえ男女の関係は今の所無い。アーダルベルトはこの家に一人で住んでいたらしい。銀世界の中ただ寂しくぽつんとこの家が建っている。家族は居ないのかと聞いた事があったが、彼は暗い笑みを浮かべ全員俺が殺したと言った。それが本当なのか嘘なのか私には分からなかったが、ただその時の彼の横顔が頭から離れる事は無かった。寂しそうなその瞳には一体何が映っているのだろう。それが知りたくてたまらなくなった。

 時々指示書が届き、彼が数日家を空ける事はあるが私は逃げ出す事はしなかった。

何せ周りは常に猛吹雪で何も見えないのだ、更に言えば時々聞こえてくる獣の唸り声が恐怖心を煽る。

アーダルベルト曰く大きな肉食獣が闊歩している地域らしい。とんでもない所に住んでいるものである。

彼は外出する際に魔法を使い、瞬時に別の地点へ移動する事が出来る為心配は無いそうだ。

ただ私の場合は無事では済まないだろうね、と釘を刺されている。

食糧も衣類も生活に必要な物は全てアーダルベルトが用意している。もしも彼が外からずっと戻らなければ、きっと私はあっけなく死ぬのであろう。そんな未来が簡単に想像できる。


 何もする事が無いのは気が狂いそうだと言って、私は料理をするようになっていた。食糧の多くを輸入に頼っているサルディア国の食卓には、アグダンの食材が多く並ぶ為私でも料理する事が可能であった。木製のテーブルには私の手料理が並んでいる。

「美味しい~、さすがリツ!」

彼はいつも美味しそうにそれらを食べて笑みを浮かべる。幸せそうなその表情に胸のあたりが温かく感じ、自分が彼に絆されかけている事に気づき愕然とする。サージェへの愛は確かにある筈なのだ。だがその隣に何時の間にかアーダルベルトへの何とも言い難い、形のはっきりしない気持ちが存在するのである。胸のあたりがざわざわとかき混ぜられたような心地になる。フォークで黄色い野菜を刺したまま硬直していると、不思議そうにアーダルベルトが首を傾げた。

彼の瞳は以前よりも明るく見え、時々子供の様な表情をする。

「どうしたの?」

「なんでもない…」

自分の気持ちに動揺し、それを表に出さないよう曖昧な笑みを浮かべた。

この気持ちを育ててはいけない。私は念じる様にそっと心に蓋をした。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、アーダルベルトがおもむろに口を開いた。

「リツはここに来てから逃げ出そうとしていないね~。ご褒美に街へ連れて行ってあげるよ」

言われた事を理解するまでに数秒かかった。この家を初めて出られる…。

「本当に?」

思わず笑みが浮かび、彼を見つめる。アーダルベルトも頷いているので聞き間違いではないようだ。明日ちょうど俺も休みだから楽しみにしてて、と彼は嬉しそうに目を細めた。



 朝から私はそわそわと落ち着かない。はじめてアーダルベルトの家から外へ出るのである。彼に貰った青いワンピースを纏い、髪をゆるく結い上げた。その上から分厚いコートを羽織る。

サルディア国といえば、あの森で彷徨った時以来である。あの悲惨な日々を思い出すと苦い気持ちが蘇るようだった。

アーダルベルトが玄関の扉に手を掛ける。鈍い音を立て扉が開くと肌を刺すような冷たい空気が流れ込み身を竦ませた。私がぶるりと体を震わせたのを見て彼は少し笑った。

「リツは寒がりだね~。町まで移動魔法を使うからすぐだよ」

玄関のカギをしっかりと閉めたアーダルベルトは手のひらを天へ向ける。

足元に円が幾重にも重なった、幾何学的文様が白く光りはじめる。それは形を何度も変えながら彼を中心に動いている。アーダルベルトの腕が私の腰を引き寄せぴたりと密着する。

自分の足元に揺れる文様をじっと眺めているとひと際強く輝き、あまりの眩しさに目を瞑った。

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