第15話 平穏と戸惑い

 保護されて6日が経った頃である。アラムが勢いよく立ち上がった。

「リツ、朝の市場に行こう」

「市場?」

書き取りの練習をしていた私は顔を上げると、アラムはイキイキとした表情で外を指さす。

「実際に街の人と少しだけ喋ってみよう!」

思わず動揺した、まだ全然会話らしい会話もできていないのだ。

「まだちょっと、だいぶ不安なんだけど…」

アラムは大丈夫、と微笑む。

「僕との会話練習だけじゃ、決まった単語しか出てこないからさ外の会話を体験しよう」

ぐいぐいと引っ張るアラムに負けて、私は苦笑した。

 逃げて以来の街の中、人々が多く行き交い様々な匂いが溢れている。

果物の匂い、焼き立ての肉の匂い、香辛料のスパイシーな匂い、動物の匂い。

心穏やかに眺めつつ、目的の店へと向かう。

「今日は、肉と野菜、卵を買うよ!」

道すがらお金の説明を受ける。大きな金貨がメル、小さい金貨はダル。ダルが10枚で1メル。

次に銀貨を見せられる。大きな銀貨はペイ、小さい銀貨はベイ。ベイが5枚で1ペイ。ペイが10枚で1ダル。続いて銅貨について、銅貨はサル。銅貨10枚で1ベイ。

「では問題です、これはいくらでしょう」

アラムの手のひらに置いてある硬貨を見つめる。

小さい銀貨が10枚、銅貨が2枚である。

「2ペイと2サル」

「正解!」

黒い被服を来た男性が横を足早に通り過ぎていく。思わずあの2人の男性を探した。

「黒い色の服は文官と武官しか着ることを許されていないんだよ」

国に仕えている証拠なのだという。黒はおめでたい色なのだそうだ。

「黒にめでたいイメージは無いけれど」

「「ルフ」の色覚えてる?」

そう聞かれ極楽鳥の色を思い出す。赤や青、緑や黄色、紫もあったかもしれない。

とにかくカラフルだったような。

「全部の色を混ぜると黒になるでしょ。だから神様の色なんだ」

「なるほどね」

カラスをこの国の人たちが見たら、崇めるかもしれない。くすりと笑う。

「ちなみに黒髪もめでたいし、リツの場合は目も黒いから凄いと思う」

「もしかして、さっきから道行く人にチラ見されているのは…」

「間違いなく、おめでたい色だからだよ。黒い瞳って僕は見た事ないし」

いや、日本人なら普通なのだが。ここにアジア人はいないのだったと思い出す。

そもそもアラビアの人も黒っぽい瞳をしているはずなのだ。

違う世界の為か、そこは異なるようだ。

「私の目、黒じゃなくてこげ茶なんだけど」

「そこまで暗い色合いだったらもう黒だよ」

残念ながらこげ茶と認められなかったようだ。

奴隷として売られた理由は、この色にも原因があるのではないだろうか。

はは、と乾いた笑いが零れた。

目的の店に着いたようで、アラムが商品を物色している。

肉の塊がどん、と目の前に積んであった。

若干鳥の姿を思い出させるような形状のものまであり、そっと目を逸らせた。

「リツ、これは何て書いてあるか分かる?」

値札であろう物を指さす。教えてもらった数字と単位を思い出しながら考える。

「えっと、1ペイかな」

「そう合ってる。じゃあこれを買ってみて」

そう言って店員さんを呼ばれてしまった。

「カスデウュニウコゴヲレド」

あわあわしていると、アラムが助け舟を出してくれた。

「どれをご購入ですかって」

私は肉を示し

「ツトヒヲレコ」

と一言喋った。指をささないと自信がなく、アラムをそっと見た。

アラムは満足げである。店員さんい代金を払う。

店員が喋りながら2ベイを私に差し出す。

「ヨクトケマニイベ3、ラナンサウョジオナキテスノロク」

「え、1ペイじゃないの?」

「タミヲノモイイ」

慌てるがアラムが店員さんにお礼を言う。

「ンサジオ、ウトガリア」

そのまま2人で店を出てきてしまった。

「良かったの?値段間違えてた?」

「大丈夫だよ、リツのおかげで安くなったんだ。あの人も良いものを見たって喜んでたし」

まさかこれも黒い色が関係しているのだろうか。

良いものを見ただなんて…これだけは言わせてもらいたい。

「私はラッキーアイテムじゃないのだけど」

 その後も順調に買い物を済ませた。野菜屋ではおまけの野菜を無理やり持たされ、卵屋では、手を握られるというハプニングもあったが、これは順調の内に入るだろう。気にしたら負けだ。

「おまけもたくさん貰ったね」

ほくほくとアラムの足取りは軽い。反対に私の足取りは重い。

ブージは痛みにくいからと、5束も持たされ、怪しげな黄色とピンクの野菜も持たされた。

「なんだかパンダになった気分よ」

「そのおかげでちょっと食費が浮いたわけだし、幸運って思わなきゃ」

確かに食費は少し浮いた。これでパルマの助けに少しはなるだろうか。

そう思いなおし、私は重い荷物を抱えなおした。麻袋からはみ出ているブージを半眼で見つめる。

貰いすぎのような気がしてならない。

「そういえば冷蔵庫ってあるの?」

この暑さで食材が腐るのではないかと心配になった。

「あるよ、日本のと違って小さいけど」

台所にあったのだろうか、よく見ていなかった。

家につき、重い荷物を床に降ろす。

腕がじんわり疲れている。

「これだよ」

アラムが台所の床をカポリと開けた。床下収納になっていたのか、目に入らないわけである。

「この青い石が入っているから冷たいんだよ」

床下の中に箱があり、その収納箱に青い石がはめ込まれていた。

ここでも石が活躍しているのだ。

食材を冷蔵庫に収納する。野菜は常温でも問題ないらしいが念のため入れておいた。

これで安心である。

アラムが床下収納の扉を閉じようとしたので、手をどかそうとしたが少し遅れてしまった。

「イタイっ」

扉に指を挟まれたようで、痛みを感じる。

「イナテデチンメゴ!」

アラムが慌てて指先を確認する。動揺したようで、日本語ではなく共通語が飛び出したようだ。

少し赤くなってはいるが他に異常はない。

血も出ていないようで問題ない。

「大丈夫、ちょっとだけだったから」

ひらひらと手を振り、平気だとアピールする。

まだ申し訳なさそうな顔をしていたので、少しおどけた調子でお願いする。

「先生、今日のお勉強もよろしくお願いします」

「了解だよ、生徒くん」

アラムも少し笑って返してくれた。


 外から強い日差しが注ぐ中、私たちは繰り返し発音の練習をしていた。

「私はリツと申します、『スマシウモト"リツ"ハシタワ』」 

「スマシウモト"リツ"ハシタワ」

だいぶマシになってきたように感じる。アラムも満足げに頷いている。

立ち上がり、お茶を入れに行ったアラムの背中をぼんやり眺める。

部屋に柔らかな紅茶の香りが漂った。

こちらに戻ってきたアラムがふと首を傾げた。

「そういえば、リツに『痛い』って言葉教えたっけ?」

「教えてもらってないと思うけど」

「痛いは『イタイ』なんだよね」

しばし無言になり、腕を組み首を傾げた彼は唸る。

私もしばし、首を傾げ考える。

奴隷として売られる前に、頭からつま先まで強い力で洗われ"痛い"と声をあげた。

その時に、洗う力が弱まったのは意味がきちんと通じたからか。

同じ音、同じ意味。

上から読んでも、下から読んでも。

右から読んでも、左から読んでも。

この国の言葉は右から読む。

同じ音を使用する事が多いとも感じていたが、まさかそんな。

そんな都合の良い事があっていいのだろうか。

考え込むアラムに私が声をかけたのと、彼が口を開いたのは同時だった。

「ねぇ、もしかして…」

アラムと私の意見は一致した。

結論から言えば、日本語を逆から読み上げると、共通語になったのだ。

あまりにも日本人には都合がよすぎる。かえって気持ちが悪いほどに。

文字に関してはさすがに日本語と異なるようだが。

それにしても原理さえ分かってしまえば、これほど簡単な事はない。

アラムが頭を抱え、恨めしげに天を仰ぐ。

「僕の日本での努力は何だったんだー!」

その声は悲しく部屋へ響き渡った。

 一人でも勉強できるようになった私だが、アラムにはとても感謝している。

彼がいなければ、逆から喋れば良いという事実すら知り得なかったのだ。

落ち込むアラムは迎えに来た友人たちと遊びに出かけた。

少しでも気分転換ができれば良い。

アラムに書いてもらった文字一覧表を見ながら、シャヌへの手紙を書こうと手をつけた。



 帰って来たアラムはケロリとした表情をしていた。

彼に手紙の添削をしてもらう。

文字を追っていた目が細められ、口元が綻ぶ。

「リツ、完璧だよ」

「ありがとう。一覧表のおかげよ」

封筒の表にはシャヌの字で"緑色の扉のラムール家"と書かれていた。シャヌは良いところの娘だったのか、家名が存在した。この世界に住所は存在しないらしく"オレンジ色の扉のパルマ=スライマーンとアラムの家"と封筒の裏に書き込み、外に出る。スライマーンはパルマの旧姓だそうだ。

上に投げて、と言われるがまま宙に放る。手紙はふわりと光り空へ向け飛んで行った。

非常に便利である。

しかし会話となるとなかなか難しく、一度頭の中で文字を組み替えないといけない為少々時間がかかるのだ。こればかりは原理が分かっても解決できない為慣れるしかあるまい。

早く慣れるべく、たくさん会話しようと意気込んだ。

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