第14話 言葉の壁

 アラム先生に言葉を習い始めた。共通語とアグダン語の2種類があるらしい。

高齢者はアグダン語を主に喋るが、今は皆共通語の方が多いという。

なので共通語を習う事になった。共通語ならば他の国の人間とも会話できる。

「おはようございます、は『スマイザゴウヨハオ』」

「スマイザゴウヨハオ」

繰り返し真似して練習する。合わせて紙に楔形文字のような文字が並ぶ。

曲線が少なく直線で表現されているものが多い。覚えるのに苦戦しそうだ。

ペンは、葦のような植物を削って作られていた。ボールペンとは違い都度インクに浸しながら書く為、書道のような気持ちで書いている。

「あいうえお表みたいな物はないのかしら?」

ふと疑問に思って尋ねると、なるほどとアラムはスラスラと紙に書きだした。

「音は日本語と同じようなものなんだ。形さえ覚えれば何とかなるかも」

アラムが一覧表にしてくれた。しかしひらがなと違い線が複雑で覚えられるか不安になる。

これは長期戦になると覚悟した。

「僕らの国では文字は右から左へ読むんだよ」

「何行も文字があったら、一行目は右から、二行目は左から、三行目は右からってジグザグに読んでね」

なるほど右から左に読むのはアラビア語と共通している。元の世界のアラビア語がジグザグに読むのかどうかは分からないが。

この国は衣装といい文字の読み方といい、アラビア寄りの要素が多いように感じた。

これで魔法のランプが出てくれば完璧である。

「こんにちは、『ハチニンコ』」

「今晩は、『ハンバンコ』」

挨拶から習得していく。

挨拶は非常に大事だ、コミュニケーションの一歩目といっても過言ではない。

パルマと会話するために、そしてシャヌと文通するために。

おやつの時間まで勉強は続いた。

「ごめんねアラム君、勉強につきっきりで」

「気にしないで、僕も先生やるの何だか楽しいし」

焼き菓子を食べながら2人でぼんやりと窓の外を眺める。

太陽は高く上り、建物の真っ黒な影と光のコントラストが眩しい。

ここに風鈴でもあれば涼やかなのだが。

「お茶も入れようか」

アラムは長細いティーポットとカップを片手に微笑む。

彼が手を振ると宙に水の塊が現れ、もう一度手を振ると炎がその周りに絡まるように現れた。

轟々と燃える炎の中で、水の塊がブクブクと沸騰したように泡を吹き出し始める。

「熱湯が跳ねるから気を付けてね」

炎だけが消え、アラムはそう言い、柄杓のような金物を突っ込み、熱湯をすくい上げる。

茶葉の入ったポットの中にそのまま注ぎ込む。

こぽこぽと音を立てながら中の茶葉が躍った。

「いいなぁ魔法って」

「リツの国も便利なもので溢れていたよ?」

確かにそうなのだが、便利さだけでなく憧れのようなものである。

「私も使えたらよかったのにな」

「適性が無かったからね、残念だけど」

私は少々むくれた。

神様、大変な思いをしたのだから…魔法を使えるようにしてくれても良いのでは。

「こちらでは学校ってあるの?」

ふと私の勉強を見ている彼がずっと家に籠っていて良いのか気になった。

「この国では15歳から男は武官学校に入るんだ。18歳で軍に所属するか、別の職に就くか決めるんだ」

僕はまだ13歳だからね、と笑う。13歳に勉強を教えてもらうアラサー、少し笑える。

武官は適正さえあればなれるが、文官は貴族しかなれないらしい。

貴族は別の学校があり、そちらで様々な事を習得するのだとか。

「ん?そうすると、サージェさんとイデアさんって…」

「二人とも貴族だよ、母さんが貴族だったから面識があるんだ」

「私知らずにさん付けで呼んでたけど…気軽すぎて、まずかったよね?」

「大丈夫だよ、言葉通じてないし」

サージェは貴族と言っても没落した家の最後の生き残りだという。けれど古くから続く血筋らしく無下にはできない立ち位置らしい。イデアの方は家格でいうとサージェよりも今は上らしく様付けした方が無難だ、とアラムは付け足した。文官としてはサージェの方が上司らしいが、身分制度があると中々ややこしい事例もあるようで。だが私には馴染みのないもので、ぼんやりとしか理解していない。

何にせよ私は元奴隷の平民の上に日本人、方や貴族のお偉いさん達、もう二度と会うことも無いだろう。あの時もっと、しっかりとお礼を述べればよかったと後悔した。


 私は一人、文字の書き取り練習を続けている。アラムは友達に誘われ遊びに出て行った。

ごめんねリツ、というアラムは申し訳なさそうに眉を下げていた。私は教えてもらっている立場であるし、アラムは遊び盛りの子供だ、止める理由はなかった。

「やっぱり難しいなこの文字」

楔形文字をじとりと睨む。こんな調子では手紙を書く事など夢のまた夢に違いない。

ため息を吐く、もっと覚えやすい方法はないのだろうか。

日がやや傾きかけた頃、アラムが帰って来た。

「少し夕食の下準備、やってみる?」

文字と睨めっこしていた私にアラムが声をかける。

私は思わず目を輝かせ立ち上がった。

「教えてくれるの?」

笑って頷くアラムの後に続き、台所へ向かう。

彼はよくパルマが帰って来るまでに下準備だけをやっているらしい。

出来た息子である。

「昨日出たブージの下処理を教えるね」

紫とオレンジ色のマーブル模様が目の前に差し出された。

続いて木の棒も渡される。

「軽く叩いて、黄色い汁が出てきたら水で洗い流してね」

言われたとおりに叩いていると黄色く粘り気のある液体がにじみ出てくる。

少し嗅いでみると、渋みのありそうな独特な臭いがした。

アラムが出現させた水に突っ込んで洗う。黄色い汁が葉野菜から抜けきったようだ。

次の指示を待った。

アラムは竈の上に鍋を置き、魔法で炎を出しながらお湯を沸騰させていた。

「リツ、それ鍋に入れていいよ」

ほうれん草の要領で、茎の方から徐々に入れていった。

くつくつとブージが鍋の中で揺れる。取り出して絞れば、下準備が完了した。

「これでブージはおしまい、次はこれを刻むよ」

黄色いかぶの様な植物を見せられた。細かく刻み、アラムの反応を伺う。

「ばっちりだよ!」

子供レベルの手伝いだが、褒められて悪い気はしない。

口元が綻ぶ。

夕焼けが窓から差し込む頃、パルマが帰宅した。

覚えたての挨拶を口にする。

「イサナリエカオ」

パルマは目を真ん丸にし、目元をくしゃくしゃにして微笑んだ。

「マイダタ」

これがパルマとの共通語でのはじめての会話である。

じんわりと温かいものが胸にこみあげる。

 パルマが料理する様子を、アラムと一緒に見ている。料理の仕方を覚えようと思ったのだ。

私が刻んだ植物と肉を一緒に焼いている。ジュワジュワと良い音を響かせながら肉は芳ばしい香りを広げている。この国は肉というと、鶏肉なのだそう。「ルフ」は食べることを禁じられているが、その眷属とされる他の鳥たちは食糧とされている。もっとも「ルフ」を食べようとしても、こちらが餌になってしまうだろう。赤い香辛料と黄色い香辛料が入って、スパイシーな香りが部屋に漂う。

すんすんと嗅いでいるとお腹がきゅるると鳴いた。

定番メニューらしい鶏の香辛料焼き、ブージの卵和えがあっという間に出来上がった。

アラム曰く、国民的人気食らしい。日本でいうカレーのような位置づけだ。

今日は細長い米のような穀物もあり、肉と一緒に食べるのが最高らしい。

3人で食事を囲む。

「リツ、ウトガリア」

パルマさんが私にお礼を言った。お返しになんと言えばよいのか一瞬詰まる。

「掃除と下準備のお礼だよ、さっき教えてあげた言葉いってみて」

アラムが横から教えてくれた。

「テシマシ…タイウド?」

つっかえながらも言えた事に満足する。パルマも微笑んでいるので概ね正解なのだろう。

明日も頑張って勉強しよう、そう思った。

 トイレに行こうと思い、アラムに一応一言声をかけ外に出る。

空を見上げれば星が美しく瞬いていた。都会の空では見られないような細かい星もいくつか見える。

この国は夜になると灯りがほぼ消される。街灯もないため星がよく見えるのだ。

例外として、女王が住むとされる宮殿と私が事情聴取を受けた建物だけは今も灯りがついていた。

遠くに見える建物を眺める。白く輝く宮殿は夜の黒にとても映えた。

「あ、トイレに行くんだった」

思い出し慌てて向かう、真っ暗な中で用を足すのは存外怖いのだ。

 家に戻ると2人は寝る準備をしていた。私もその中に加わり、また一日が終わった。

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