次期魔王の力に目覚めたけど、魔王になるつもりはありません!
ひばり
第1話 こんなこと……嫌だ!
「シルビア様、ここはわしらがやりますよって……」
「いいのよ、マレス爺! 年長者は敬わなきゃ。それに私だってこう見えて体力あるのよ?」
「そんなこと! シルビア様は領主様のご令嬢ですのにこんな力仕事を……」
「それこそいいのよ。この土地ではみんな家族みたいなものじゃない」
薄紫がかった銀髪を高く一つに結い上げ、普通の貴族令嬢は着ないような動きやすいパンツスタイルで、顔に汚れが付くことなど気にせずにシルビアは鍬をふるって土を耕す。
ここはアレングラード王国が統治する領地の北側の中でもはるか北側、隣国との境にある山々の麓のアルヴァイン領。
先祖代々アルヴァイン伯爵が治めるこの土地は、北の大地だからなのか常に土地が痩せていて、どれだけ耕しても植えたものの半分ほど収穫できれば良い方だった。
そんなアルヴァイン伯爵家は領民だけに苦労はさせまいと、治め始めてからずっと領民と手を取り合い、アルヴァインを良い土地にするべく、共に土地を耕してきた。
「ふぅ、こんなものかな?」
「シルビア様、ありがとうございます」
マレス爺がお礼に、と冷やしていた水をくれる。
「まあ! ありがとう、いただきます」
領地が北の方なので、夏でもそんなに暑くなることはないけれど、やはり農作業をしていると汗だくになる。
そんな身体に冷たい水はよく染みる。
「お、シルビア、いいもの飲んでるじゃないか」
「お父様」
首元にタオルを巻いて土まみれの父親は、側から見ればまるで農家の働き頭だ。
「領主様にもありますぞ」
「おお、ありがとうマレス爺」
貴族なのに泥まみれになりながら一緒になって農業に勤しむアルヴァイン家を領民はとても慕い誇りに思い、アルヴァイン家もそんな領民を家族のように思っていた。
シルビア・アルヴァインもそんな一人だ。
「もうお昼だわ。私お母様を手伝ってきますけど、もしまた何かあったら呼んで下さいね」
顔についた土を手の甲で拭いながら、屋敷で領民の分まで食事を作っている母の元へと駆け出す。
領民を大切にする両親を尊敬しているシルビアは、物心ついた頃から畑に出て領民と共に畑を耕し、人手が足りない時は自分も馬に乗って森に猟へ出かけた。
普通の貴族令嬢がするようなお茶会や、夜会での社交やダンス、豪勢な食事や綺麗なドレスも本を読んで学んだ知識はあれど、十五年の人生の中で一度も経験したことがなかった。
貴族としての生活をしてこなかったシルビアには貴族社会の方が非現実的で、まるで本の中の物語のように思っていた。
両親は子供達を学校に通わせられないことを申し訳なさそうにしていたが、シルビアも弟のグレンも、その代わりに人の温かみを知ることができてよかったと思っていた。
勉強は独学でもできるけれど、この領地で教わった人の温かさはそう簡単に学べないものだからだ。
「お母様、何か手伝えることはありますか?」
シルビアは屋敷のキッチンへとひょっこりと顔を出す。
数人のメイドと一緒に汗を流しながら沢山のスープとパンを作っていた母が、いい笑顔で振り向いた。
「シルビア、いいところに。ちょうど出来上がったので、その鍋運んでもらえる?」
熱いから気をつけてね、と言う母から野菜の入ったスープの鍋を受け取る。
「お母様のこのスープ、評判いいからすぐになくなっちゃうのよね」
「あら、もっとたくさん作った方がよかったかしら?」
「大丈夫よ、私がしっかり人数分に分けるわ!」
得意なのよ、とウインクをして鍋を外へと運ぶ。
「姉様、僕が運びますよ」
グレンも畑仕事から昼食の手伝いに来て、重い鍋を持つシルビアを心配して駆け寄ってきてくれる。
「でもこれはグレンにはちょっと大きくて持てないと思うわ。キッチンにパンがあったからそっちをお願いできる?」
「……はい」
まだ十歳と幼いグレンは、両親と姉の手伝いを満足にできなくて不甲斐ない思いをしているのをシルビアも知っていたので、鍋をゆっくりと床に下ろしてグレンの頭を両手でわしわしと撫でくりまわした。
「姉様⁉︎」
「貴方がもう少し大きくなったらたくさん手伝ってもらうから、覚悟しておきなさいね」
鼻先を指でツン、と弾くとグレンはびっくりしたようだったが、そのあといい笑顔で「はい!」と返事をしてキッチンの方へ駆けて行った。
確かに大変なことの方が多いけれど、シルビアはこの生活が気に入っていた。
伯爵家の娘として、いずれ結婚をしなければならないとは思ってはいるものの、社交界にも出ないこんな貧乏領主の娘を婚約者にしたいなんて奇特な人物もいない為、そろそろ結婚適齢期なシルビアだが婚約者はいない。
両親はその事にも申し訳なさを抱いているようだが、シルビア自身はこの領地を継ぐのは弟だし、無理に結婚をするくらいならシスターにでもなって一生独身でこの領地で働こうとまで思っている。
そう思えるほどこの領地と領民が好きだった。
「今日も自然の恵みをありがとうございます」
食料もなかなか採れないアルヴァイン領では、食事の前に手を合わせて自然の恵みに感謝する。
領主の言葉にみんな続いて感謝をし、野菜スープとパンを畑仕事の休暇をする領民と領主家族が全員一緒に外で食事をする。
少ない食事だが、みんなで和気藹々と食べるのはとても楽しい。
「やだー! 僕にんじん嫌い!」
「わがまま言わないの!」
どこからともなく子供とその母親らしき声が聞こえる。
「そんなこと言ってると、魔王が来てあんたのこと食べちゃうからね!」
「知ってるもん! そういう時は聖女さまが助けてくれるんだから!」
魔王と聖女さま。
この世界には大昔から語り継がれている大予言がある。
予言といっても大昔のことすぎて、ほとんどの人は迷信や昔話の類いだと思っている。
それはそうだ。こんなにざっくりとした予言だからだ。
いずれ魔王が再び降臨するであろう。
そして聖女が降臨し、世界を救うだろう。
誰もがみんな本気にしてはいないけれど、子供でも知っている予言。
なので、子供が駄々をこねたり悪いことをすると「魔王が来るよ」と脅かされるが、「聖女さまが助けてくれる」と返されてしまう。
「魔王とか聖女さまとか、昔から言われてるけどわしらには実感はないのぅ」
「そうね、まずアルヴァインには魔法を使える人もいないしねぇ」
領民の話を聞いて、シルビアも領主である父が「魔法があればまだ違ったかもしれないな」と言っていたのを思い出した。
この世界には魔法というものが存在しているのは知っている。
だけど、魔法もほとんど血筋で使えるかどうか決まってくるうえに、使える者はかなりいい条件で優遇される為に、ほぼ王都へと召集されていく。
なので地方には魔法を見たこともなく人生を終える人の方がほとんどだった。
もちろんシルビアも魔法など見たことがない。
(魔法ってそんなに便利なものなのかしら?)
魔法にどの程度のことができるのかもよくわからなかった。
「魔法で鍬が軽くなるとかだったら便利ね。それならグレンも耕すお手伝いができるわ」
「姉様、それなら植えた苗全て実を成すように魔法を使った方が良いのでは……」
「それもそうね⁉︎」
「姉様は欲がないんだから」と弟に呆れられ、領民にも「本当に」と笑われる。
でも本当に魔法が使えたなら、この領地のためになることをしたい。
シルビアは願っても仕方がないことだと思い、気を取り直して午後の畑仕事を再開した。
◇◇◇
「今日は朝から晩まで畑仕事をして久しぶりに疲れたわ……」
ぼふり、と自室のベッドへと倒れこんだシルビアは、ゆっくりと眠りの世界へと引きずりこまれていった。
ある日の午後、アルヴァイン領主の父と母が話をしていた。
「貴方、このままではこのアルヴァイン領は……」
「そうだな、わかっている。……流石にこれは国王様に援助を頼んでみよう」
アルヴァイン領が原因不明の不作に見舞われたのだ。
ただでさえ少なかった収穫量が例年の一割という数字で、このままでは税を納める前に領民全員が飢え死にしてしまう。
「お父様……」
「大丈夫だ。国王陛下は民の味方なはずだ」
そう言って国王陛下へ謁見すべく、王都へと向かった父母から数日後、シルビア宛てに手紙が届いた。
————————————————
国王陛下に進言するも、
痩せた土地など今後なにをしても蘇らない。税金の無駄だ。そんな領地など潰してしまって、いずれ隣国を攻め落とす際に使う駐屯地にしてしまった方がまだましだ。
そう言われてしまった。
そんな事になったら、住んでいる領民は住処を失ってしまう。私達はもう一度助けていただけるように進言してみようと思う。
いざとなればアルヴァイン家の伯爵位の返還も辞さないことを、シルビアもグレンもわかってくれると信じている。
————————————————
父母の覚悟を手紙から感じたシルビアは、グレンにも手紙を見せて二人で父母からの吉報を待った。
シルビアもグレンも父母と同じく伯爵位など無くても構わない。
アルヴァイン領民の生活が第一なのだ。
数日後、国王軍の軍服を着た兵士が数人、アルヴァイン領地に現れた。
きっと両親の説得に国王陛下が答えてくださった結果だとシルビアとグレンは手を取り合って喜び、兵士の乗ってきた馬車へと駆け寄って行った。
「アルヴァイン領主の娘シルビアと、次期領主のグレンで間違いないか」
だがそこに、まるで温度のない声で兵士が確認をする。
「はい、シルビア・アルヴァインとグレン・アルヴァインで間違いございません」
様子がおかしいと思ったシルビアは、ちらりと馬車を見るけれど父母の姿はなかった。
「あの、父と母は……?」
「アルヴァイン領主夫妻は国王陛下のご意見に逆らい、不敬罪として投獄された」
シルビアとグレンの顔色がサッと青くなる。畑仕事をしていて近くにいた領民も、兵士の言葉に騒つきだす。
「お前たち二人も夫妻の不敬を知っていたとのことで同罪とし、連行する」
兵士の一人がさっと手をかざすと、残りの兵士がシルビアとグレンの後ろに回り縄で後ろ手に拘束する。
「待ってください! 父と母が国王陛下に逆らうなどありえません! きちんと確認してください!」
「黙れ! この拘束も国王陛下のご意思である。これに逆らうことは反逆罪となることを覚えておけ」
シルビアの必死の訴えも虚しく、グレンと別の馬車に無理矢理押し込めまれて、そのまま王都へと連れて行かれた。
窓の外には領民が走って追いかけて来てくれる姿が見えたが、すぐにその姿は小さくなり見えなくなる。
(どうして、どうしてこんなことに⁉︎ お父様とお母様は領民を助けてほしいと頼みに行っただけなのに!)
ぐっ、と拘束されている手に力がこもる。
訳がわからないうちに、王都へ着いてすぐ王城地下の牢に入れられた。
数日の間、何の情報もなく牢に入れられたままだったシルビアの元へ、王国兵士が一人やってきた。
何か書状を携えていて、シルビアの前でそれを淡々と読み出す。
「アルヴァイン領民が、領主一家を拘束することに不満を抱き、王都に押し寄せ王城門扉の前で国王兵士と乱闘。結果全員囚われ反逆罪で絞首刑に」
「……え?」
ガシャリ、と足につながれている重く冷たい鎖の音が、湿った牢に響く。
(今、絞首刑、と言った?)
シルビアは唖然としながらも、聞き間違いだと一縷の希望を抱いて兵士の方へ近づいていく。
「そして民を洗脳し王都で暴動を起こさせた罪として、アルヴァイン伯爵家の爵位の剥奪、先日の不敬罪と領民を使って国家への反乱をしたことによる反逆罪により、一家全員の斬首刑が決まった」
(この兵士は、淡々と、何を言っているの?)
シルビアは突然言われた事に対して頭の処理が追いつかない。
領民を助けてほしいとお願いをしに行った父母は不敬罪に。
無理矢理囚われたシルビアとグレンを救おうと、抗議をしにきてくれた領民も反逆罪で絞首刑に。
領民の事を家族のように思い、慕われていた父母が、領民を先導して反乱を起こしたといわれ反逆罪で斬首刑に。
「おかしい、誤解です! 両親とグレンと一緒に国王陛下に会わせてください!」
シルビアは牢にしがみついて兵士に懇願する。
きっと言葉の齟齬で誤解が生まれたのだ。きちんと説明すればわかってもらえるはずだ。
そう思ったシルビアの希望は、次の兵士の言葉で霞のように消えた。
「もう遅い。先程領民とアルヴァイン夫婦とその息子グレンの刑は執行された。もうこの世にいない者に会わせることはできない」
「な、んで……」
なぜ、心優しい人達が弁明の場も与えられず処刑されなければならないのか。
なぜ、自分はその場にいなかったのか。
シルビアは絶望を感じながらも涙が出ることはなかった。
悲しみよりも、怒りの方が強かったからだ。
「シルビア・アルヴァイン、お前はたまたま空きができた貴族専用の娼館への補充に当てがわれることとなった。命が助かったのだから有難く思い、精々お役目を全うしろ」
大切な家族を奪われて、この身まで売れというの?
シルビアは固く握り締めた自分の拳から、血が滴り落ちている事に気付かないほどの怒りに満ちていた。
そんなシルビアの頭の中に妙によく通る声が聞こえる。
——この世界が憎いか。
誰の声だと周りを見回すと、自分の拳から滴り落ちていた血から黒いモヤのようなものが勢いよく出てきたと思ったら、人の様な形になっていく。
「な、なんだそれは⁉︎」
さっきまで淡々とシルビアに国王からの書状を告げていた兵士が、大慌てで逃げ出す。
「ちゃんと感情があるんじゃない」
シルビアは鼻で笑って兵士が居なくなるまで見続けた。
——お前の地が痩せていたのは、過去にあの大地に魔王が封印されたからだ。
シルビアの頭の中にまた声がする。
なぜかその声の言うことは本当だと知っていて、すんなりと受け入れてしまう。
——私は前魔王。お前は次期魔王になる存在だ。
人型のモヤは、手のようなものをシルビアに差し出す。
——魔王の力を使ってこの世界に復讐をすればいい。
大事なものをすべて失ったシルビアは、魔王の手を取ってしまった。
その瞬間、辺り一面真っ黒な闇に包まれていった——……。
「——……っ⁉︎」
目を開けるとシルビアは自室のベッドの上だった。
着替えることもせず、疲れてあのまま寝落ちてしまったシルビアの服は、汗でびっしょりと濡れていて肌に張り付いている。
畑仕事をしていても、ここまで汗をかくようなことは今までだって一度もない。
「ゆ、夢……?」
シルビアは息苦しい呼吸を整えるためにまず深呼吸をする。
なんて現実味のない夢なのだろう。
国王陛下がそんな傍若無人なことをするなんて、と思いはするが、なぜかただの夢とは思えなかった。
シルビアは自室の窓から外を見る。
夜も深く真っ暗な中、月明かりしかないアルヴァイン領だったが、なぜか森が自分を呼んでいるような気がした。
「夢……だよね?」
ただの悪夢ならそれでいい。
その事を確かめようと、シルビアは森へ行くことに決めた。
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